「…はぁ、はぁっ……くっ……」
普通は車で移動するタッカー邸までの道のりを、リトはひたすら走った。車を出してもらう時間がもどかしかったし、何より自分の身体能力に自信があったから。
なのにいつもより呼吸が苦しく、足が重い…。気持ちだけが焦りとなって先走る。
ヒューズに調べてもらった事からリトが導き出した結論は人間を使ったキメラ錬成、…禁じられた忌むべき行為だ。しかし、それは今まさに繰り返されようとしている。
とは言え確証はない、寧ろ、信じたくない。出来れば自分の思い違いであってほしい、とリトは願う。失礼な事を言って、エド達に怒られて、タッカーさんに謝って、またニーナの笑顔を見て……安心したい。
「……っ……ニーナっ!」
リトの切実な呟きを吸い込んだ空は、今にも泣き出しそうだった。
司令部から走ること数十分。リトがタッカー邸の前に着いたのは、ちょうどエド達が呼び鈴を鳴らそうとしている時だった。
「リト?そんなに慌ててどうしたの?」
「お前、今日は司令部に行くんじゃなかったのかよ?」
突然現れたリトに驚いた二人だが、リトの様子がおかしい。
「はぁ……っ、はぁ…」
こんなに苦しそうに肩で息をする彼女は初めて見た。苦悶の表情を浮かべ、エドとアルの問いかけにも気づかない。
「リト?……って、おい!」
制止するエドの声も聞かず、リトは玄関の扉を開けた。家の中は不気味なほどシーンと静まり返っていて、いつもならニーナとアレキサンダーが飛びついてくるのに、今日はそれがない。家の雰囲気が昨日までとはまるで違う。
ドクン……ドクン……
リトの鼓動が速くなった。まるで体中が心臓になったみたいにうるさい。
「……っ!」
リトは駆け出した。
応接室、キッチン、庭。ニーナがいそうな所を見て回るが、ニーナの姿はおろか声すら聞こえない。
「ニーナ!どこですか!?ニーナ!!」
「ちょっと待てよ、リト!……っ!?」
何かに取り憑かれたようにニーナを捜すリト。そんな彼女を見ていられなくて、エドはエドは肩を掴んで制止するが、振り返ったリトの表情を見てハッと息をのむ。
「…リト……?」
「…っ」
目の前で人が死んでも微動だににしない眉は八の字に下がり、威圧的な瞳は不安と焦燥から大きく揺れていた。
「リト!どうしたんだよ!?お前らしくねーぞ!!」
リトの考えてる事を知らないエドは、取り乱すと言っても過言ではない彼女の様子が理解できない。
「しっかりしろ、リト!!」
エドはリトの両肩を掴んで名前を呼んだ。リトの表情は前髪の影になって分からない。
どうして今日の彼女はこんなにも焦っているのか?確かにニーナの姿が見えないのは気になるけど、もしかしたら出かけてるだけかもしれない。
そんな事を考えてるエドやアルとは反対に、リトの中では不吉な塊だけがどんどん膨らんでいった。
リトは知ってる、この感じを。そこに人がいないだけで急に家が広くなり、怖くなる。
デジャヴするこの感覚は両親を失ったあの日によく似ていた。
「……離して下さい」
顔を上げないままリトはエドの手を振り解くと、また足早に歩き出した。
リトが最後に向かった先は研究室。少し開かれた扉の向こうにはタッカーが片膝を立てて座っていて、ニーナは…と呟いたリトの声でタッカーは漸く来訪者に気づいた。
「なんだ、いるじゃないか」
「ああ、君たちか」
心配しすぎなんだよ、とエドはリトの肩をポンポンと叩きながらゆっくりと扉を開ける。
……タッカーはいた。だが、リトの憂いは一向に晴れない。それどころか、薄暗い部屋で奇妙な笑みを見せるタッカーに何かとてつもなく嫌な感じを覚えた。
タッカーは三人の方を向くと立ち上がり、誇らしげに言う。
「見てくれ、完成品だ。人語を理解するキメラだよ」
タッカーの前には、一匹の毛の長い犬のようなキメラが頭を垂れていた。それを見た瞬間、リトは全てを理解する。自分の勘違いであってほしいというリトの願いは脆くも崩れ去った。
「見ててごらん。いいかい?この人はエドワード」
タッカーは幼い子どもにでも教えるかのように、キメラに話しかけた。するとキメラは首を傾げながらも、ゆっくりとその言葉を復唱する。
「信じらんねー。本当に喋ってる……」
エドとアルは初めて見る人語を理解するキメラに感心した。その表情が固まる瞬間はもうすぐそこだ。
「………リト?」
リトは入り口で俯いたまま動こうとしない。
「(……なんて事を……)」
憶測が現実となる、これはまさしく悪魔の所業。
リトはゆっくりとキメラに歩み寄った。その表情は依然、俯いたままで分からない。
──…と。
「綴命の錬金術師、ショウ・タッカー。失礼ながらあなたの事を少し調べさせていただきました」
先程までの平静さをなくした声ではなく、淡々とした口調でリトは話す。
「……それであなたに、いくつかお訊きしたい事があります」
「何でしょうか?」
准将であるリトの質問に答えないわけにはいかない。タッカーはこれといった動揺も見せないで聞き返す。
リトはキメラの前にしゃがみ、その頭を優しく撫でた。
「(ッ!?……リトが…)」
「(キメラを…撫でた?)」
あれほどキメラを嫌っていた彼女がとったこの行動は、エドとアルを驚かすには十分だった。だが、その後のリトの質問に二人はもっと……それこそ信じたくないと思うくらい驚く事になる。
「あなたが国家錬金術師の資格を取得したのは、二年前ですよね?」
「はい。」
「奥さんがいなくなったのも、同時期で間違いないでしようか?」
「正確には資格をとる少し前です」
貧乏生活が嫌になって逃げられてしまいましたよ、とタッカーは苦笑する。なんて白々しいのだろう。
「………。」
キメラを撫でていたリトの手が止まった。同時に部屋の空気が冷たさを帯びる。
「あなたの前妻、ご両親から捜索願いが出てるんですよ、二年前に。……何かご存知ありませんか?」
「……いえ」
タッカーから笑みが消え、エドはキメラを見た。
リトの質問の意味、目の前のキメラに残る彼女らの面影は偶然か?いや、そんな偶然あるはずない。キメラ嫌いのリトが慈しみ、また、彼女によく懐くそのキメラは…。
そして、キメラは喋った…。
「ぉ…ねぇ…ちゃ……ぅ…たって……ょ…」
──お姉ちゃん、歌ってよ!──
何度も聞いたその言葉を、目の前のキメラが自分の意志で喋った。その瞬間、太陽の下で無邪気に微笑む少女と少女に寄り添う大きな犬がエドの頭を横切る。
「……タッカーさん…。オレからも質問いいかな?」
バラバラだったピースが一枚の絵画となり、音をたてて崩れ落ちていった。それは幸せが崩壊する音。
「…ニーナとアレキサンダー、どこに行った?」
「……君らのような勘のいいガキは嫌いだよ」
鋭い眼でタッカーを睨みつけて言う、エド。アルもタッカーの行った所業にまさかと思い、キメラを見る。キメラはリトに抱きしめられていた。
演じる事をやめたタッカー、そこに優しい父親の面影は欠片も残ってはいなかった。
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