紅の幻影 | ナノ


氷点下 6  


──…ガッ ゴンッ
「がは!……」

刹那、エドがタッカーの胸ぐらを掴んで壁に押し付けた。その目にははっきりと憤怒が宿っている。

「この野郎……やりやがったなこの野郎!!二年前はてめえの妻を!!」

行方不明になった妻は、『死にたい』と言って死んだあのキメラ。

「……そして今度はニーナとアレキサンダーを使って、キメラを錬成したんですね…」

冷やかにリトは言う。リトが抱きしめているキメラと同じように、ニーナの髪も長かった。

「そうだよな。動物実験にも限界があるからな。人間を使えば楽だよなあ。ああ!?」

エドはタッカーをギリギリと締め上げて怒声を浴びせるが、タッカーは開き直り、何を言っているんだ、と嘲笑った。

「は……何を怒る事がある?医学に代表されるように、人類の進歩は無数の人体実験のたまものだろう?君も科学者なら…」
「ふざけんな!!」

エドはタッカーの言葉を遮って、叫ぶ。
こんな事、許されるはずがない。こんな……人の命をもてあそぶような事が!!と。

「人の命!?はは!!そう、人の命ね!鋼の錬金術師!!君のその手足と弟!!それも君が言う“人の命をもてあそんだ”結果だろう!?」

タッカーのこの言葉にエドの何かが切れた。激情に駆られたエドは何度もタッカーを殴る、鋼の右腕で。

──ゴッ
「がふっ……はははは!同じだよ、君も!私も!!」
「っ…ちがう!」

殴られた時に口の中が切れたのか、タッカーは血を吐き出しながら狂ったように言った。

「ちがわないさ!目の前に可能性があったから試した!」
「ちがう!」

自分とこいつは全然違う!オレは命をもてあそぶつもりなんてなかった!!ただ、母さんの笑顔が見たかっただけなんだ……っ!こんな……こんな外道野郎とは違う!!

そう叫びたいのに、それを上手く伝えられないエドは、ただ必死で「ちがう!」と叫びながらタッカーを殴り続けた。

「ごふ!!……一緒だよ。君も私と同じ…」
「違います。」

激昂したエドとは打って変わって、冷厳なリトの声が部屋に響いた。部屋の温度がまた下がる。

「あなたとエドは全然違います」

立ち上がり、ぎゅっと手を握りしめてキレるリト。その眼にはタッカーに対する純粋な怒りがこめられていた。

「リト……」

エドが掴んでいた手を離すと、タッカーは壁にもたれたままずるりと落ちる。

「ショウ・タッカー……あなたは最低ですね」
「最低?……ハハッ!雪女が何を言うんだい!?」
「……、」

握りしめたリトの手のひらに爪が食い込み、血が滲んだ。

「君は今までに、いったい何人殺してきた!?いくつの屍を踏みしだいてきたんだね!?なあ!?」

イシュヴァール、特務での任務、何人殺したのだろうか。リトはもう、その数すら覚えていない。

「………」
「ははっ、冷酷な雪女が!!私が最低なら君は最悪か?」
「てめぇ!!リトは……っ!」

その言葉にキレたエドがタッカーを殴ろうと鋼の拳を振り上げる。しかし、後ろから感じた冷気に思わず動きが止まってしまった。殺気を孕んだ冷気に振り返ってみれば、そこに佇むのはリト……いや、雪女。

「…そう、雪女である私にあなたを説教する資格なんてありません」

痛いと感じる程冷気を帯びた声でリトは冷たく笑った。尋常じゃない冷気はやがて部屋全体を包み、リトの着ている服の袖口や裾までもをパキパキと凍らせていく。…冬でもないのに吐息が白い。

「っ!リト……やめろ…」
「ダメだよ、リト!」

リトの手には紅い氷刀。手のひらから流れ出た血を使って錬成したそれは、処刑の道具。
エドとアルはリトを止めようとするが、リトの瞳にはタッカーしか映っていない。

「っ……雪…女……」
「…………。」

リトはタッカーの前に立ち冷たく見下ろすと、腕を振り上げた。

「……雪女を怒らせた事、後悔して下さい」

──ザクッ ゴトッ
紅い閃光が走り、嫌な音をたてて斬り落とされた。




「──………どう…して…」

氷刀を持つリトの手が震え、信じられない、と小さく首を横に振った。

「…っ、どうしてそんな男をかばうのですか!!?エド!!」
「……、」

斬り落とされたのはタッカーの首ではなく、殴った時に手袋に返り血がついたエドの右腕だった。
リトが刀を振り下ろす瞬間、エドがとっさにタッカーとリトの間に割って入り、軌道をずらしたのだ。おかげでエドの機械鎧は肩口からスッパリと斬り落とされ、バランスを保てなくなったエドはその場に崩れる。

──カラン… カラン…
同時にリトの手からも氷刀が落ちた。

「何で、この男を守るんですか!?この男はニーナを……っ!」

取り乱す自分を心底「らしくない」と思いつつも、こみ上げてくる怒りや悲しみが折り混じった感情を抑えられない。
それ程失いたくなかった……。だからこそ、タッカーをかばったエドがわからない。

「何で!…なんでよ…っエド…」
「勘違いすんな……」

エドは真っ直ぐリトを見上げ、胸ぐらをを掴むリトの手に自分の手を添えて言った。

「オレが守ったのは、お前だよリト」
「どういう、意…味……」

誰がどう見ても、エドがかばったのはタッカーだ。しかし、エドはリトの手をぎゅっと握る。

「また……人殺しに戻しちまうとこだった」
「……っ!」

エド達と旅をするようになってから、リトは一度も人を殺してはいない。抜けたにもかかわらず、度々特務からくる仕事の手紙はリトの知らないところでロイが捨てていた。
……だが、ここでタッカーを殺せばリトはまた人殺しに戻ってしまう。

人を傷つければ、その分自分も傷つく。リトが傷つくのを見たくない。だからこそエドはタッカーをかばう事でリトを守ったのだ。

「これ以上お前が傷つくのは、見たくねーんだよ!!」
「っ、……あなたは甘すぎるんですよ…」

しっかりと握られた手。とうの昔になくした温かさを感じながらリトはそっと呟き、手を離した。


「はは……きれいごとだけで、やっていけるかよ……」
「タッカーさん、それ以上喋ったら今度はボクがブチ切れる」

二人の様子を見ていたタッカーは口元の血を拭いながら言うが、アルの迫力に圧倒され、それ以上何も言えなくなった。


「……あなたの処分は軍法会議所に委ねます」

リトはタッカーに対しそれだけ言うと、この場をエド達に任せて部屋を出て行った。

…バタン…──


「ニーナ……ごめんね…」

閉じられた扉の向こうでリトが呟いた言葉は、この惨劇を嘆くように降りしきる雨にかき消され、誰にも届くことはなかった。



(リトside)

タッカーの事を軍に通報した後、雨の中、司令部の前の階段でエドと大佐が何か話している。それを少し離れた所で見ている私にも、雨は容赦なく降り注ぐ。

「………」
「何の用ですか?」

後ろにいる人物に問いかける。気配を消して私の後ろに立ったつもりだろうがバレバレだ。元、特務のエースをなめないでもらいたい。
振り返ったそこにいたのは一人の軍人……いや、ただの軍人じゃない。特務にいた頃に何度か見た顔だった。

「特務が今更、何の用です?」
「………」

男は無言で封筒を差し出した。特殊な素材で出来ているその黒い封筒は特務専用のもので、中身はおそらく殺しの任務。

「……私はもう特務の人間ではありません」

そう言って突き返そうとするが男は受け取ろうとしない。訝しげに思い封筒の裏を見てみると、特務のマークの下に大総統の捺印がしてあった。


「これ以上お前が傷つくのは、見たくねーんだよ!!」


一瞬だけエドの顔が浮かんだ。

……くだらない、タッカーの言う通りそんなのきれい事だ。一度ついた汚れは簡単には落とせない上に、私はもう汚れに染まりきってしまっているのだから。

「…了解しました」

封筒をくしゃりと握りしめて空を仰いだ。私が受け取ったのを確認すると、男は音もなく雨の中へと消えていった。

「……雨は…嫌いです」

氷雪系の錬金術師にとって雨は絶好の錬成材料かもしれないけれど、私にとって雨はただ寒いだけ。
雪女と呼ばれるわりに、寒さに弱いこの体。熱いのも、暑いのも、寒いのも苦手な私が唯一平気なのは……冷たさだけ。
氷の冷たさだけは何も感じない。

「……寒い………」

やっぱり雨なんて、大嫌い……。




2009.01.14


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