紅の幻影 | ナノ


崩壊の言霊 3  


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「───……ッ、っ!」


私はハッとして目を覚ました。心臓は今も尚ドキドキと過剰労働を盛んに行い、全身からは脂汗が滲み出ている。呼吸は浅く、荒い。喉が貼り付いたように乾き、唾液を嚥下するのも一苦労なほど体が口渇を訴えている。

「あれは…夢……?」

悪夢にうなされる事は人よりも多い方だと自負してはいるが、あんなにリアルなものは初めてだ。

「……っ」

思い出して、背筋に悪寒が走った。嫌だ、気持ち悪い。私は思わず自分の身体を守るように抱きしめた。血の匂いも、生暖かい感触も、鉄の味も……まだ身体に染み着いている気がしてならない。

「………これの影響…?」

汗で額に貼りついた前髪をかきあげながら、スカートのポケットから賢者の石を取り出して眺めた。
人々の命を糧とするこの石には数多の嘆き悲しみが込められている。その怨念が悪夢を見せたというのか。だとしたら、ずいぶんと憎たらしいことをしてくれる。

あなたを嫌う要素が一つ増えましたね。と、石に向かって悪態、もとい独り言を呟く私は端から見ればかなり痛い子なのだろう。と言っても、今は人目を気にする理由がないのだけれど。

「………さて、どこに連れて来られたのでしょうか」

私が今いるのは簡素な部屋の質素なベッドの上。広さにして六畳半あまりのお世辞にも綺麗とは言い難い部屋の中に、ベッドと扉、そして壁に私のコートがかけてある。
コートは気を失う前まで着ていた白いコートではなく、何年も愛用しているデザインの黒いコートだ。当たり前だが、私の用意したものではない。

「それにしても、ここは息がつまりますね……」

部屋のどの壁を見ても窓らしきものはない。唯一の換気口にも板が貼られていて、空気の循環しないこの部屋はカビ臭く、閉塞感が半端ない。ガンゼル症候群になりそうだ。

雰囲気からして、この部屋は地下。それも、相当ヤバい地下なのだろう。さっきから手元にある賢者の石以上に不愉快な気配に飲み込まれそうだ。
気配の出どころは恐らく扉の向こう。その更なる奥から視覚化出来そうなほど禍々しい空気が漂っている。

「……呼んでいるのでしょうか…?」

私を?それとも鍵を?
何にせよ、この誘いに乗らない他前に進む道はない。だったら私は…。

「……望むところです」

ギィッ…と錆び付いた蝶番が悲鳴を上げる扉を自分の手で開けた。きっともう、戻ることはできない。

さぁ、前へ進め。二度と振り返るな。後ろで私を呼ぶ声も、眼前の屍も越えて。私は扉の外へと一歩、足を踏み出した。






長い廊下を歩くと、天井や暗闇から獣の唸り声が聞こえてきた。特務の研究部隊が錬成したものだろうか、ナンバープレートを首につけた無数のキメラたちが闇と同化しながらこちらの様子を伺っていた。
研究部隊隊長……あのマッドサイエンティストにかかれば、犬猫とて立派な化け物になると聞く。もう少しその頭脳を他に生かせないのかと常々疑問に思う……が、あんな変人奇人のことを考えるだけ無駄かと、首を振って彼女の顔を思考から消し去った。

その間もキメラたちは鋭い爪と牙を惜しげも無く晒し、涎を滴らせ、無数の目玉はギラギラと私を睨んでいた。しかし、それだけだ。どうやら襲ってくる気配はないらしい。大方、見張り番といったところか。 

キメラは大嫌いだ。普段なら一匹のこらず斬り殺すか、或いは凍りづけにしているところだが、生憎と今はそれどころじゃない。

「命拾いしましたね」

全てを終わらせてから後でちゃんと殺しに来よう。そう決心して私は先を急いだ。





また暫く歩くと、いよいよ頬を冷や汗が伝っていることに気がついた。

得体の知れない何かに引っ張られる感覚。後戻りはできないと、背中に拳銃を突きつけられているような緊張。ついに闇の深淵へと辿り着いた……例えるなら、魔王の部屋の前に立つ勇者の気持ち。そんな危なげな高揚感。

感情も思考も全てが混じり合い、私の胸を締め付ける。

──トクン トクン
一歩、また一歩。進む度に速くなる鼓動。呼吸の仕方、唾の嚥下の仕方さえ忘れそうになる。




歩き続けるうち、少しだけ空間が広くなった。そう感じた刹那…。

──シュッ
「っ!」

それは一瞬の出来事。物音も気配もしなかった。後ろの暗闇から迫ってきた鋭利なそれをギリギリの距離で避けると、私はバク転してその場から少し奥へと着地する。

危うく串刺しになりかけた“それ”とは、最強の矛。

「…ラスト…!」
「久しぶりね、リト」
「リト!リト!」

私は威嚇するような低い声で女の名を呼んだ。対するラストは相変わらずの余裕の笑みで、後ろから出てきたグラトニーに至っては何がそんなに楽しいのやら、しきりに私の名を連呼する。そして影に潜む、もう一人。

「…っ、ブラッドレイ…!」
「改めて名乗ろう。憤怒の“ラース”だ」
「……ラース…そういうことですか…」

やはり大総統はホムンクルス。気配こそ人間だが、白日の下にさらされた眼帯の下には確かにウロボロスの刻印があった。

ラストにグラトニー、そしてラース。ホムンクルスが3人。この状況ははっきり言って分が悪い。だが、負けるつもりは毛頭ない。

──パン バシィッ 
床から薙刀を錬成し斬りかかった。日本刀よりリーチのある薙刀の方がラストには対抗しやすい、と考えての錬成。

私はラストの爪を紙一重でかわし、胸の刻印を貫いた。ぐちゃり、と薙刀の刃を通して伝わってくる独特の感覚。肉を裂き、骨を断つ。命を奪う感覚は皮肉にも人間と全く同じだ。違うところと言えば…、

「……流石ね紅氷の錬金術師。まだそんなに動けるなんて凄いわ」
「…っ!!」

この回復力と個々の能力。ほんっと、バケモノ。

──スパッ
ラストは爪で薙刀を切断し、他愛もなく振り払った。 

──ズサァッ
「…くっ!」

反動で私はよろめき、バランスを崩したまま後ろに倒れる。体勢を立て直そうにも、膝に思うように力が入らない。まずい…こんなに早く呼吸が乱れてくるなんて…。

ここに来て何度目かになる体力の低下を痛感しながら、なんとか上半身を起こしてラストを見ると、貫いたはずの胸はもうすっかり再生しきっていた。私は小さく、それでいて聞こえるように舌打ちを零す。

「ねぇ、リト?大人しく協力してくれないかしら?」
「はい、わかりました……なんて言うとでも?」

私の性格、あなたならよく知っていますよね?と嫌み混じりに答えれば、ラストは呆れたようにため息を吐いた。

「…そうよねぇ。でも暴れられるのも面倒なのよ」

そう言って冷たい眼で私を見下ろしながら、爪を私へと向ける。

足か腕か、それとも両方か。何にせよ、私の動きを封じるつもりらしい。瞬発力には自信があるが、如何せん体力が残り少ない。かわせるか?

筋一本の動きも見落とすまいと、瞬きもせずラストを凝視する。そのせいで他への注意が愚かになった私は後ろから伸びてきた腕に気づくことができなかった。

「っ…──!」

身体を優しく抱きしめられる感覚。蛇のように纏わりつく腕……嗚呼、虫唾が走る!

「っ、エンヴィー!」

あの男の横顔が隣にあった。

「やめてくれない、ラスト?リトを傷つけていいのは僕だけだよ」

一番会いたかった。二度と会いたくなかった。誰よりもあなたのことを思っていた。誰よりもあなたを殺したかった。私の思い人…──

「っ…エンヴィー!離して下さい!」

絡まる腕を振りほどこうと懸命にもがいてみるものの、さして効果はないようで、エンヴィーは涼しい顔のまま私の身体を締め上げる。

──ギリギリッ
「ぅっ…ぁあ!」

苦しい。それ以上に悔しい。こんなにもエンヴィーが近くにいるのに何も出来ないなんて。

苦痛に呻く私の耳元でエンヴィーがクスクスと嘲笑を零した。余計に怒りが掻き立てられる。それでも、とっくに限界を越えていた私の身体は言うことを聞いてくれ無かった。

「くっ…、離し…っあぁ!」
「ダーメ。もう鬼ごっこも隠れんぼも終わりだよ」

小さな子供を叱るようなエンヴィーの声。こんな時に保護者面しないでもらいたい。

私は両手を後ろ手に拘束され立たされ、そのまま部屋の奥へと歩かされた。その間もエンヴィーはニヤニヤとかんに障る笑みを浮かべたまま。私が渾身の力で睨んでも全くと言っていいほど動じない。今ほど死ねと強く念じたことは無いだろう。

「さぁ、リト。最後の仕事だ」
「なに言っ…!」

言い終わる前にエンヴィーは私の顎を掴み、無理やり前を向かせた。

行動の意図が解らないのは今も昔も変わりない。が、それが良くないことなのは解る。案の定、眼前に広がる光景は不気味なものだった。

無数のパイプが毛細血管のように複雑に入り乱れ、中心の椅子へと繋がっている。その玉座に鎮座する人物は明らかに異常だ。目覚めてからの不愉快な気配は、この男で間違いないだろう。何故ならこの男を見た瞬間、自分の中のDNAが叫んでいるような錯覚を覚えた。
こいつがアールシャナ一族の敵……つまりはタイアースの敵なんだ、と。遠い遠い記憶の中で私はそれを理解していた。そして、多分…この男が…──

「“お父様”だよ」

私の思考を知ってか知らずか、エンヴィーはそれまでの飄々とした雰囲気からがらりと一転、ひどく真面目な表情で言った。

“お父様”と呼ばれる男。こいつこそが諸悪の根元。倒すべき敵なんだと、頭の中で誰かが叫んだ。




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