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 共働き、というものは子供の心には少し堪えるものがある。一人っ子ならば尚更。余所の家から香る晩ご飯の匂いやテレビに笑う声、終いには母親の怒鳴り声ですら羨ましいと思っていた。
 徹はいい子だから、お留守番だってできるよね。
「(……いい子でなくちゃ、いけない)」
 家の窓からは、いつだって焼けるような夕日が綺麗に見えた。けれど、その美しさを誰かと共有できたことは只の一度もないのだ。
 だからかもしれない。徹は、この夕日の紅を苦手だと感じるようになっていた。
 早めにカーテンを閉じてテレビをつけ、小難しいニュースの話を続ける声を聞き流す。用意されていた晩ご飯をレンジへ入れ、メモ通りに操作して温める。その間にテレビの内容はニュースからバラエティーに変わり、飼い主とペットの感動の場面を次々取り上げては出演者みんなで涙を流していた。
 かちり、と控えめに鍵を回す音が聞こえる。響くテレビの雑音の中でも聞き取れたその音に椅子から飛び降りて玄関へ向かうと、買い物も済ませてきたのか両手にビニール袋を抱えた母親がこちらを見るなり疲れ切った顔で、それでも嬉しそうに笑った。
「ただいま徹、いい子にしてた?」
「おかえり、お母さん」
 玄関の上がり框に袋を置き、いつものように両手で愛おしそうに頬を包み込む。絆創膏だらけの荒れた手は、徹にとっては痛々しい傷にしか見えないが、母親にとってその傷は勲章だ。毎日仕事を頑張っているからこそのものなのだと。
 だからその手に包まれることは嫌いではない。ないのだけれど。
「今日ね、面白そうなもの見つけたの」
「なあに?」
 その手に新しい傷ができ続ける限り、己はここで孤独を強いられ、頬を包むその手のささくれを痛いと感じ続けるのだ。
「登山クラブだって。近くの公民館の、ほらよく本を借りるところ。分かるでしょう?」
 肩から下げていた鞄から一枚の紙を取り出しながら母親は言葉を続ける。
「徹くらいの年の子は居ないって言われちゃったんだけど、この間近くの大学生が入ったって言われたし。ほとんど毎日誰かしら公民館に集まってるみたいだから徹の遊び相手になってもらえるんじゃないかなあって、お母さん思ってね」
「……?」
「まあ難しいこと言っても分からないよね。いつも一人でお留守番させてるし、こういうところで学校終わった後に誰かが一緒に遊んでくれる場所にいかないかなって」
「よく、分からない」
 まだ小学校に上がって一年も経っていない徹にとって母親の提案は至極難解なものだった。その不安に気付いたのか、母親は苦笑を浮かべて徹の頭をなでた。
「明日はお休みの日だし、お母さんと一緒に公民館に行ってみよう?」
 いつになく積極的な母親に疑問を持ったものの、一人の夕方を回避できるという漠然とした部分だけ理解した徹は素直に頷いた。


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