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 キーボードを打つ手を止めてコーヒーを啜る。ふと時計を見ると既に短針は三から四へと移る直前だった。
「またこんな時間かあ……」
 腕を天に突き上げて軋んだ体を伸ばす。ばきばきと関節を鳴らして体への負荷と引き替えにひとときの気持ちよさを味わう。
 太陽系外惑星についての調査を始めたのが三ヶ月ほど前。進捗としてはなんとも微妙なところだが、さすがに進捗がないだけの報告書など書いていられない。数えるのも嫌になるほどの観測に次ぐ観測、実験に次ぐ実験。それらがすべて失敗に至った詳細までをきちんと書き上げなければ、いつか同じ失敗をしてしまうことになる。
 無から有を作り出すことは出来ないが、毎日繰り返している失敗は限りなく無に近い有だ。何事も積み重ねが大事である。
「頭では分かってるんだけど、なあ」
 頭を机に置く。ごん、という鈍い音がしたわりにそう痛みがないということは、もうそろそろ眠気で意識がもうろうとし始めているのだろう。
「……火曜だから二限と四限の授業か……一旦寝よう」
 付けていた暖房を消し、上着を一枚羽織ってから本棚の奥に隠してある毛布を引っ張り出してソファに寝ころぶ。本音を言うと暖房をつけたまま寝てしまいたいのだが、起きたときの喉の辛さと後々事務から来る電気の使いすぎによる苦情を思うと切らずに寝ることなど出来ない。夜中どころか早朝まで電気と暖房をつけて論文制作にいそしんでいる辺りで半分以上アウトなのだが。
 忘れないうちに一日の進捗を書き留めておこうと寝ころんだままソファのすぐ横にある机から手帳を手探りで探し出して開く。カレンダーのページももう十二月にさしかかったことで押さえていないと自然と手帳が反対側に閉じてしまうのを片手で押さえながら論文の字数と書き起こした調査記録のページ数を簡単に書き記す。
「……あ、」
 最後のページからはみ出るように姿を現している写真を落ちないように押し込み、少し考えてから押し込んだそれを再び引き抜く。
「懐かしいな……」
 長く続く階段の中腹に座り込み毛づくろいをする猫の写真。の後ろにもう一枚、色あせて色もよく分からなくなった夕日の写真。
 猫の写真は今年の夏に写真のプロを目指している青年からもらったものだ。確か広島に旅行に行ったときに撮った、と言っていたか。これだけではなく、毎年何度かに分けて片手の指に収まる程度で写真をもらう。そのたびに差し替えてきたものなので、今ある写真たちの中では一番新しいものだ。
 もう片方の時代を感じる色あせた写真は、もう十年近く前に青年がまだ少年だった頃に初めてもらったものだ。
―好きなの、あげる。
 今考えるとあれが彼なりの友情の証だったのだろう。そう考えると、今なお写真のやりとりが続いているという事で、この友情がまだ続いているのだと信じることが出来る。
「もう半年になるか……」
 彼の手を引き続けた二年間。そこから長く続いた空白に比べれば半年など大した期間ではないが、それでも友人との連絡もない期間というのは、心のどこかに穴が空いたように、ほんの少しの虚無感を連れてくるのだ。
 締め切ったはずのカーテンの隙間からぼんやりと光る赤い空と、最後まで残った明けの明星が、部屋まで照らさんとばかりに煌々と輝いていた。


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