冷戦日和番外編T


「くそっ、何なんだよあのポケモン……」

「はいはい、負け惜しみはいいから。これ。約束でしょ?」

人差し指で円の形を作った少女が、ぐったりした様子の青年に歩み寄る。
渋々青年が取り出した財布を受け取ると、少女は嬉々とした様子で中から数枚の札を抜き取った。

「そ、そんなに取るの!?」

「当然。あのポケモン食費がかかるのよ」

ひっそりと呟くように言って、少女は未だ鋭い目線をこちらに向けているポケモンを顎でしゃくって示した。
その目線に気がついたのか、ポケモンは宙を滑るようにして二人の方へ近づく。

「う…。分かってるわよ」

その鋭い目線が少女に注がれると同時に、彼女はバツの悪そうな声を出して、青年にひらひらと手を振った。

「それじゃ、また縁があれば会いましょうね」

正直二度と会いたくないと思いつつ、少年も踵を返す。
ポケモンセンターに寄らなくては、と、瀕死状態のポケモンたちを見ながらうなだれた。




「はい、買ってきたよ」

店の影に隠れるようにして待っていたミュウツーの手に、おにぎりが二つ渡される。
同じく二つを手に持った*は、背中を店の壁に沿わせるようにして座り込んだ。

「いつまでこんな風に逃げ隠れしなきゃいけないのかしら」

ぽつりと呟いた言葉に、隣に座ったミュウツーが尾を波打たせる。

「その割には今日の戦いでも目立つ事を厭わなかったようだが?」

その口調が責め立てるものだと気付いて、*は苦笑いした。

「ごめん、って。次からはもっと速やかに金を奪って逃走するから」

大体貴方がポケモンフードで我慢してくれればもうちょっと安く済むのに…
と零した愚痴に、ミュウツーは厳しい視線を投げて寄越す。

「私にあんなものを食すことを強要するなら、まずお前が人間の食事を捨てろ」

「私は人間なんだから人間のものを食べるのは当たり前でしょ?」

「お前がそう言っている限り、私は餌は食べない」

「そんな風に強情だから……」

*が突然言葉を切った。
視線はゆっくりとミュウツーの背後に流れ、店の横でポケモンフードを食べながら毛並みを整えていたマッスグマに注がれる。

「どうした?」

ミュウツーの言葉を手で制し、壁によりかかりつつそっと覗き込む。
唇を噛むその姿に、ミュウツーはかけようとしていた疑問の言葉を失った。
彼女の答えを聞くまでもなく、マッスグマの正体が予測できたからである。

「マッスグマ、そんなに食べると後で後悔するぞ?明日は初めてのジム戦なんだから、ほどほどにしろよ」

トレーナーと思しき少年が頭を撫でる。マッスグマは嬉しそうに身を捩り、フードを食べるのを辞めて少年に抱きついた。

「離れるぞ」

その場から動こうとしない*を引っ張るようにして立たせる。
マッスグマが視線の主に気付いて振り返った時には、その場にはおにぎりが一つ転がっているだけだった。

「……お前のポケモンか?」

町から大分離れたところにテレポートしたミュウツーは、唇を噛んで黙り込む*に尋ねていた。
答えは既に分かっている。そして、彼女が答えないであろうことも。

「ずっと、幸せそうだった…」

絞り出すように、*が言う。
その目には、一度も見せる事の無かった涙さえ、うっすらと浮かんでいた。

あの日の事件は、たった一度だけ、遺伝子操作で生み出された凶暴なポケモンが
ハナダの洞窟から悪事を企む人間に盗み出された、という形で発表された。
事件を事前に予期した現チャンピオン・ワタルの手に寄って、犯人の元で酷い扱いを受けていたポケモンたちは助け出された。今後彼らは心のケアを受けた後、新米のトレーナーたちに譲り渡される、と。

今でもその「凶暴なポケモン」と「悪人」はひっそりと追われ続けており、未だ休まることはない。

いつ危険が起きても逃げ出せるように交互に睡眠を取るのが常だったが、二人ともが起きている夜、時折*はポケモンたちの行く末を危惧するようなことを零していた。
そして今、そのポケモンたちが、自分の元にいるよりもずっと幸せそうだと涙を漏らしている。

「……だが、バトルの腕がお前ほど良い者はいない。戦うポケモンとしては、
お前の元にいることも相当の幸せだったはずだ」

そんな慰めが無力であることも、ミュウツーは知っていた。
ただ、黙って。夜の帳が降りてきた頃、ようやく*は口を開いた。

「ミュウツーは、」

小さな声に、思わずミュウツーは身を乗り出す。
どんな小さなことでも、聞き逃してやりたくはなかった。

「ミュウツーだって、洞窟に居た頃の方が、幸せじゃない?
他のトレーナーに…例えばワタルさんの所に居た方が……」

*の口を、ミュウツーの尾が塞ぐ。

「私は、戦うように作られた。…お前は、戦わせるように生きてきた。
私は今が一番、自分に合った生活だと思っている」

「そういうことじゃないわ……」

再びこぼれ落ちそうになった涙は、しかし、落ちる事は無かった。

尾の先から伝わる*の震えを感じながら、ミュウツーは生まれて初めて
自分が無力だと、そう思った。

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