鮮やかに乱反射

いつの間にやら心に宿る熱は色を持って、それは時間が経つにつれ鮮やかさを増していく。人の気持ちなんて単純なもので、意識すればますます拍車がかかる。気がつけば、彼女のことばかり考えるようになったのだ。
きっと、この目の前に座る男にも原因がある。再び苗字さんと話すきっかけになった男。苗字さんを意識するきっかけになった男。こいつが俺の視界に入る度に、彼女の曇り顔と笑顔が交互に頭の中に再生される。こいつがずっと目の前で居座り続けて授業を受けているせいでなおさら止められない。
先ほど終えた授業の教材を片づけながらどこを見るわけでもなくぼーっとしていると、ふと後ろを振り向かれる。急に一体何だというんだ。
にこにこと笑うスズキの顔は人懐っこい。性格もそんな感じだ。愛想が良くて誰からも好かれるようなタイプ。悪く言えば馴れ馴れしくて少しチャラい。あとは……思ったことはストレートに口にする嫌いがあるのだろうか。その点は俺の生意気な後輩にも言えることだが、あいつと違うのはこの爽やかな笑顔だろう。しかし、本人の前で『元カノ』だなんて、俺がどうこう言える立場じゃないにしても、苗字さんの浮かない顔を思い出すと何とも言えない気分だ。


「なあ、名前にCD渡せた?」
「ああ、まあ一応。てか、借りた物は自分で返すべきだろ」


頼まれてからずっと思っていたことだ。借りた物は自分で責任を持って確実に返すべきだと思う。たとえ次の女がいたとしてもだ。それが礼儀ではないのだろうか。そんなことを思う俺は頭が固いのだろうか。
まあ俺もこいつに頼まれたCDを白布にお願いしようとしたから人のこと言えないが、そもそも俺と彼女の関係はただの顔見知り程度のものだからそれは仕方のないことだろう。


「真面目かよ」
「悪いかよ」


ちょうど気にしていたことをそのまま言葉にされて、少しむっとしたので口をきゅっと結ぶと目の前の男は肩をすくめながら俺から視線を外した。


「ま、真面目に答えると、自分から別れた手前会いづらいというか。それに顔合わさない方がお互い前に進みやすいだろ」


こいつが言っていることはもっともだ。嘘を吐いているようには見えない。自分のことだけじゃなく一応苗字さんのことも考えているのだろうか。それならいいけど。遠くを見ているようなその顔は二人の思い出でも振り返っているようにも感じる。
ああ、そうか。だから憎めないんだ。どうせならこいつがすっげえ悪い奴だったら良かったのに。それならば俺だって苗字さんのことを堂々と守ってやれるのに。今はまだ名前だけしか知らない彼女からこいつを忘れさせるためにはどうすればいいのだろう。願わくばあの柔らかい笑顔を独り占めできたら、と思うのに。
ずっとバレーばっかりで恋愛経験がそんなに多くない俺はここからどうすればいいのか分からず、「CD返してくれてサンキューな」と言いながら向きを正すスズキの背中をぼんやり見つめ、彼女が言った言葉を反芻していた。


『瀬見さんがくれた絆創膏だから』


その言葉は魔法のように俺の心に灯をともしたというのに、俺はこの恋の進め方が分からないでいる。


顔が見たいなと思っても学年が違えばそんな機会があるわけない。白鳥沢学園はマンモス校だ。そりゃ白布のクラスに行けば会えるんだろうけど、用もないのに俺が現れたとしたら完全に邪険にされるに違いない。あいつら二人の態度が簡単に目に浮かぶ。用があったのにあんな態度取られたのだ。
でもとにかくあいつのクラスに行くための口実を作ればいい。彼女に初めて会ったときのようにプリントを渡しに行くのでもいい。何か伝言を伝えるのでもいい。俺自身は特に何もないので、とりあえず若利に何かないか聞いてみることにする。まずはそこから。
昼休みをむかえ、とりあえず購買でおにぎりを購入する。男子高校生たるもの腹ごしらえしないと始まらない。多分若利もいつもどおり食堂でハヤシライスを食しているだろう。
頃合いを見計らって三組をのぞいてみれば、若利と隼人が椅子に座って喋っている。天童がいなくても会話は盛り上がっているようだ(と言っても喋っているのはほぼ隼人だが)。


「よっ。下の連中に何か伝えることねえか?」


こちらを見た二人は少し驚いているように見える。この質問は少し唐突すぎたかもしれない。


「いや、特にないが?」
「俺も別にねえな」


そりゃそうだ。簡単にいくはずがない。思い立って行動したら思惑どおり事が進むだなんて、そんなことが当たり前なんだとしたら世の中苦労しない。不思議そうに見つめてくる二人の近くの椅子をひいて、どかりと腰をかける。天童がいなくてよかった。絶対つっこまれる。鈍そうなこの二人でも不思議に思ってるくらいなのだから。


「そうか。ならいいけど。何かあったらいつでも言ってくれ」
「ああ、助かる」


残念だな。今日も会えずじまいか。けれど会ったところで何を話せばいいのか分からない。しかしまあ顔を見るだけでいいんだ。
毎日毎日、今日は会えるだろうかと少しドキドキしながら登校して、会えなければ少しブルーな気分になったりして。何となく周りの景色が違って見えるような気がしたり、いつもより丁寧に行動してみたり。恋ってこんなにむず痒いものだったか。何か女子みてえ。
くだらない雑談をしていると予鈴が鳴り、昼食後の眠気を感じながら教室へ戻る。このままでは午後からの授業、絶対寝てしまう。目頭を軽く押さえてみても眠気は取れない。しょうがない。俺の体は今、おにぎりの消化を頑張っているんだ。先生には悪いけど一眠りさせてもらおう。
春の午後の柔らかな光が落ちる教室で、開けられた窓から入ってくる暖かい風がほのかに花の匂いを運んでくる。そういや、苗字さんもこんな匂いしてたな。何でも彼女に結びつけてしまう自分に半ば呆れながら、頬をなでる気持ちのいい四月の風を感じつつこっそりと微睡むことにした。


部活が始まってしまえば頭の中はバレーボール一色である。それくらいいつも集中しているし、そうじゃないとスタメンの座は勝ち取れない。きっとここにいる連中はそういうやつばかりだ。
ただ、部活を終えた後はまた普通の男子高校生に戻る。今日の反省点を思い返しながら汗をかいたTシャツを着替えていると、片づけを終えた二年たちが部室に入ってきた。
近くで着替え始めた白布をちらりと見るとどうしても苗字さんのことを思い出してしまう。彼女と席が近いなんてうらやましい奴め。


「なあ、苗字さん元気?」


自分では普通を装って聞いたはずなのに目の前の後輩にはそうは見えなかったらしい。怪訝そうに眉を寄せて着替えていた手を止めた。


「何でそんなこと聞くんです?」
「え?い、いや特に理由はねえよ。世間話の一つだろ」


だからどうしてこいつは俺に対してこんな態度なんだ。冷たい白布の後ろからひょっこり顔をのぞかせた川西は、含み笑いを隠そうともしていない。本当にかわいくねえ奴らだな。こいつのこの顔は嫌な予感しか感じさせない。


「もしかして瀬見さん、苗字のこと気になってます?」
「ば、ばっか!そんなんじゃねえから」
「ふーん。そうですか」


まさかこんな簡単に言い当てられるとは思わなかった。思わず否定したけど、観察眼の鋭いこいつらの目は誤魔化せていないような気がする。俺が浅はかだった。くっそ。前途多難だ。いっそのこと協力してもらった方がいいのか。いやいや、そんなかっこ悪いこと出来るかよ。
二人はすでに何事もなかったかのように着替えに戻っている。これ以上つっこまれなくて安心してるのか、何の情報も得ることができずに落胆しているのか複雑な気分で、何となくうつむきがちになる。とりあえず俺も着替えよう。また明日に期待して。





あんなに期待したのにも関わらず翌日も結局彼女の顔を見ることもなくあっという間に一日が過ぎ、早くも放課後をむかえて部活の時間になってしまった。念入りにアップしながら、頭を切り替えていく。今日の練習の後半は大学生とのミニゲームだ。それまでに昨日の反省点を復習して、ミニゲームではどんどん実践していきたい。
こんなふうに俺はすっかり集中しきっていた。だから一旦休憩を挟んで大学生を迎え入れるときに、ふと目線を上にやり予想していなかった光景に思わず体が強張ってしまった。
苗字さんがギャラリーにいたのだ。
きっとそこへ目がいってしまったのは、普段人がいないところに丁度苗字さんが立っていたからだろう。練習を見に来てる生徒は少なくはないが、どうやら皆ギャラリーの中でも定位置があるらしい。だからピンポイントで彼女を見つけられたのだと思う。


「なあ、苗字さん来てる」


この気持ちの高ぶりをとりあえず誰かに報告したい。しかしその興奮は隠すように近くで水分補給をしていた白布と川西に声のトーンを抑えて話しかけた。そして、ふと疑問がよぎる。どうして急に見学に来たんだ?二人は俺が目線をやったところを同時に見上げている。


「まさかお前ら余計なことを」
「そんなめんどくさいことするわけないじゃないですか」
「めんどくさいって、」
「苗字に練習見に行ってもいいかって聞かれたから、いいよとは答えましたけど」


相変わらず冷たい白布のせいで、川西がすごく優しいやつに思えてくる。二人でアメ役とムチ役分けてるのかよ。それにしてもどうして突然練習を見たいだなんて言ったのだろう。バレー部に誰か気になるやつでも出来たのだろうか。


「誰見に来てるんだろな」
「それは知らないですけど、手でも振ってやったらどうですか?」
「いやいや、俺なんかが振ってもしょうがないだろ」
「いいから」


手を振るまで二人はこの場所から動かないつもりらしい。川西はともかく我関せずを決め込んでいると思っていた白布にまで、急かすように見られている。視線が痛い。
苗字さんの方を見上げればこちらを見ていたようで何となく目が合ったように思えた。勘違いかもしれないが、顔を見たいと思っていたところなので何だかいいように解釈してしまう。
思い切って顔の横で軽く手を振ってみると彼女はびくりと大きく肩を揺らしてきょろきょろと周りを見渡している。自分に振られているのか確認しているようだ。その様子は小動物のようで可愛らしい。
俺が手の振った方に自分しかいないと認識した彼女は少し顔に赤みが差していて、遠慮がちに手を振り返してくれた。ああ、顔がにやける。まさかここで会えるとは思わなかった。それにそんな照れた顔まで見れるなんて。


「瀬見さん、その締まりのない顔やめてください」
「あ?」


自覚はある。しかし、先輩に対する態度ではない白布に言い返す気は起きない。川西にいたっては真顔を保ってはいるものの肩が震えている。


「お前ら面白がってるだろ」


口ではそんなこと言ってても頬が緩むのは止められない。この後またちゃんと集中するならば、少しの休憩時間のたったこれだけの短い時間、表情筋が馬鹿になってても誰も咎めやなんてしないだろ。
人の気持ちは単純だ。ついさっきまで顔が見れたらいいとだけ思っていたはずなのに、もうすでに話してみたいだなんて欲張りなこと考えている。


20170429/ララ