シュガー・オーバー

授業中、俺はいたって真面目に机に向かい黒板の内容をノートへ写す。それが自分の頭に入っているかどうかは別として。何故なら俺の目の前に座る大きな背中を持つ男、スズキタダシが机の下で携帯電話を触っているのが目につくのだ。

開かれているのは見慣れたメッセージアプリの画面で、頻繁にやり取りが行われている様子。相手は新しい彼女候補だろうか、それとも?…なんて考えていると勉強なんか手につかなくて、いつの間にか授業内容は教科書の別ページに切り替わっていた。

待ちわびた6限目の終わりを告げるチャイムが鳴ると、スズキは大きく伸びをした。がやがやと騒がしくなるクラス内に紛れ、俺はそれとなくスズキに話しかけてみた。


「お前、ケータイ見すぎ」
「ん?あ、見えてた?」
「見えるわ。気が散る」


気が散るというのはスズキがゴソゴソと画面を弄りまくっているせいではない。彼が一生懸命メッセージを打ち込む相手が誰なのかと言うことが気になって仕方が無いのだ。


「いやさ、今ちょうどイイ感じの子がさ…」
「……へえ。誰?」


俺は何も気にしていないぞ。それをアピールするために、机の上の教科書や参考書を意味もなくぱらぱらめくりながら聞いてみる。するとスズキの口からは、3組の美人で有名な女の子の名前が出てきた。


「ふーん…」


苗字さんの名前が出てこなかったことに安堵した俺はやっと教科書を仕舞いこんだ。これでひとまず、厄介な事で悩まなくて済みそうだ。しかし、俺が部活に行く用意をしているとスズキがくるりと振り返り話しかけてきた。


「瀬見って彼女とか居ねえの?」


スズキのこれは、単なる興味本位だったのだと思う。だって今も携帯電話を片手にぽちぽちメッセージを打ちながら話しているんだから。
俺は一気に自分の心拍数の上昇を感じた。俺に彼女なんて居ないけど、「彼女だったらいいな」と夢見ている相手はスズキの元カノだからだ。


「居ないけど…」
「勿体ねえな!バレー部モテんだろ、知ってるぞ」


スズキは明るく笑いながら、彼自身も荷物をまとめ始めた。
別にバレー部がモテているとは感じたことが無い。モテるために部活をしているわけじゃないし、試合成績が良いから全校生徒に注目されているだけだ。練習を見に来てくれる人たちだって、もしも俺達が弱小だったなら見向きもしないと思う。…ということを手短に伝えてみると、スズキはやはり「勿体ない」と訴えた。


「おうおう瀬見よ、暗いなあ!気になる子でもいんの?」
「ばッかお前、居ねえし」
「…お前、分かりやすいって言われるだろ」


びくり、と肩が震えた。分かりやすいと言われた事は無いけれど、もし俺が分かりやすい人間だとすれば、俺の好きな子が苗字さんであるとスズキにバレてしまうのでは?
冷や冷やしながらスズキを見たがどうやらそこまでは勘づいていないらしく、「とにかくデート誘えよ!」と、皮肉にも想い人の元恋人から手ほどきを受けたのだった。





デートなんて言われても、俺はデートらしいデートをしたことが無い。高校1年の時に付き合った女の子には、俺が部活ばかりしていて全くデートや電話をしなかった事が原因で振られてしまった。1ヶ月くらいしか続かなかった記憶がある。
そこから1年以上のブランク(ブランクと言うほど立派でもないか)がある俺が、男として好きな子をデートに誘うにはどうすれば良いのか。そもそも誘いに乗ってくれたとして、どこに行けば良いのか?


「何かお悩みですか、瀬見さん」


部室で頭を悩ませていると、最近なにかとちょっかいをかけてくる後輩の川西が話しかけてきた。


「……何で?」
「悩みがあるって顔に書いてあるんで」


そんな訳ねえだろ、スズキならまだしも後輩に読み取られるほど俺は分かりやすい人間だと言うのか。


「…悩みっつうか、疑問ならある」
「つまり悩みですね。まあ聞きましょう」
「何で上から目線なんだよ」
「いやいや。賢二郎ちょっと来て」


川西が、先ほどから気配を消していた白布に声をかけた。振り向いた白布の表情から察するに、「お願いだから話を振ってくるな」と願っていたように見える。川西は白布が迷惑がっているのは分かっていたようだが、お構い無しで話に参加させた。


「で、悩みとは?」
「いや…例えば…例えばなんだけど…お前ら、好きな子をデートに誘う時ってどうしてる」


俺は恥もプライドもかなぐり捨てて、歳下の二人に教えを乞うた。白布はよく分からないが川西は女子とのコミュニケーションも得意そうだし、何かの助けになるかも知れないと思ったからだ。しかし、先に口を開いたのは白布のほうだった。


「…もう少し具体的な設定がないと分かりません。例えば相手は後輩で、まだ少ししか喋ったことは無いけど仲良くなるために頑張ってるところだとか」
「な…」


何でそんなにピンポイントなんだ。あまりの驚きで言葉が続かず口をぱくぱくする俺を見て、川西は眉がぴくぴく動いている。白布はそんな友人をちらりと見ながら呆れ顔で続けた。


「…瀬見さん、気付かれてないと思ってるみたいだから言わせてもらいますけど」
「あ?」
「相手は苗字さんでしょう」


とうとう川西は思い切り口を閉じた。俺の百面相で笑うのをこらえるために。





その日の夜、早速呼び出されて川西の部屋に集まった。と言っても俺と川西と白布だけ。面白がって天童にまで声をかけなかったのはお礼を言いたい。
しかし後輩の部屋に来て何をしているのかと言うと、どうやら苗字さんを上手く呼び出してくれるというのだ。しかも次の土曜日、明後日に。


「…本当に大丈夫なのかよ」
「もちろんです。上手くやります」
「ほんとかよ…」


川西は苗字さんと去年同じクラスだったらしく、理由は分からないが彼女を誘い出せる自信があるそうだ。全面的に信用するのは難しいが、苗字さんに会う機会のない俺にとっては藁にもすがる思いである。
白布はというと川西のベッドに腰かけて、俺が着せ替え人形になるのを全く興味が無さそうに眺めていた。


「…つうか、至れり尽くせりかよ。服まで貸してくれんのか」
「瀬見さんクソダサいですし」
「おい」
「これ履いて下さい」


俺が睨むと「協力したいんですって」とへらりと笑う川西に溜息をつき、用意されたままパンツを履いた。すべて川西チョイスの服である。


「素晴らしくマシですよ瀬見さん」


その褒め方はどうかと思ったが、鏡を見てみると確かに「マシ」という表現が一番しっくりくる自分の姿が映っていた。
マシ、だよな。マシならこれで行こう。後輩を信じてみようではないか。





そして、きたる土曜日。その日は部活が午前中までだったので、部活を終えてシャワーを浴びると再び川西の部屋に召集された。昨日彼らがリサーチしたところによると苗字さんは甘いものが好きらしい。


「とにかく何か甘いもん食わせたら良いと思うんで、頑張って下さい」


餌かよ。思わずツッコミそうになったものの、珍しく白布まで「いい報告待ってます」なんて言うもんだから気が抜けた。いい報告ってなんだよ。…告白して成功する、とか?手を繋ぐ、とか?いやいや早いだろう、まだ数えるほどしか会っていないというのに。


指定された時間に指定された場所へ行くと、遠くからでもすぐにその姿を発見することが出来た。苗字さんが、時計の下に立っている。私服だ。時折携帯電話の画面を見たり、あたりをきょろきょろしているのは俺を探しているのだろうか。…そう言えば今日、どういう理由をつけて彼女を呼び出してくれたのだろう。
そんなことを考えているうちに待ち合わせ時刻を数分過ぎてしまったことに気付き、慌てて苗字さんのもとへ駆け寄った。


「悪い、遅れた」


遅れたっていうか、ずっと遠くから苗字さんのことを眺めていたのだが。苗字さんは俺に気づくと「あ」と言った後、少しだけ前髪を直したような気がした。


「大丈夫です、今来たところなので」
「そっか…」


いきなり問題発生だ。話題がない。何も情報を与えられずに野放しにされてしまったのだ。甘いもの、甘いもの、どのように声をかけようか頭をフル回転させていると苗字さんが口を開いた。


「今日は誘ってくれてありがとうございます」
「え?あ、うん。いや、」
「おすすめのお店ってどんな所ですか?」
「………」


そんなの全っっっ然聞いてねえ。俺が女の子におすすめできる店なんかあるわけが無い。あいつら俺を買い被っているのか?それとも失敗を望んでいるのか?俺は先程よりも更に速く頭を回転させた…恐らく試合中よりも速く。
そして、思い出したのだ。クラスメートの誰かが、「駅前にできたスムージーの店が美味しかった」と言ったのを。

駅の名前と「スムージー」という単語さえ入れればすぐに店の場所を検索することが出来た。さすがに新店なだけあって列んでいたが、ひとつひとつを作るのにあまり時間はかからないようで、すぐに順番が回ってきた。
どんなものが良いか分からないけど前に並んでいる女の子が「おすすめは何ですか」と店員に聞いたら「マンゴーサンライズです」と聞こえてきた。…ので、そのマンゴーサンライズとやらを頼む事にした。本当に何も考えてなかった自分に怒りを覚えると同時に、隣に好きな女の子が列んでいる、これはデートなのだという状況が俺の背筋をぴんと立たせた。

何度か拒否されたがここは歳上として、男として奢らなければならない。だから苗字さんは苺味のものを注文し、僭越ながら俺が支払いをした。…初めて女の子に奢ったかも。歩きながら飲むのも良くないので駅ビルに入り、ちょうどベンチが空いたところに腰を下ろした。


「すみません…いただきます」
「いいよこのくらい。うまい?」
「美味しいです!すごく」


ストローで吸ってからその味を確かめたあと、ぱあっと表情が明るくなるのが何ともたまらない。俺が買ってあげたスムージーで、こんな顔をしているのだ。信じられないほどの達成感である。


「それ何の味だっけ」
「ストロベリーとバナナと、…あと何でしたっけ。飲んでみますか?」
「えっ」


飲んでみますか、ってことは。そのストローをそのまま俺が使うんだよな。そうしなきゃ飲めないもんな。それはつまり間接キスをする、ということだ。
俺が再び言葉に詰まっていると苗字さんは不思議そうにしていたが、やがて理解したらしい。大慌てで弁解してきた。


「すみません!そうですよね無理ですよね!ごめんなさい変な意味は無くて、」
「いや、俺は…」


俺は無理じゃない、嫌じゃない。むしろ苗字さんが許すならいくらでも。

そんな甘い言葉はもちろん出てこずに、ごくりと息を呑んだ。苗字さんの手の中にあるスムージー、そこにささったストローの先が潤っているのを思わず見つめてしまう。そのまま視線を上げれば苗字さんが俺を見ていて目が合った。やばい、と思わず目を逸らす。何故って俺は、今このストロベリーの何倍も赤くなっているに決まっているのだ。


「…瀬見さん、あのう」


俺が黙りこくっているもんで、苗字さんがおずおずと声をかけた。後輩に、しかも好きな女の子に気を遣わせてしまうなんて格好悪い。


「ご…ごめん。何?」


軽く咳払いをして、平静を装って隣の彼女を見てみると。今度は苗字さんがしばらく黙り込んで、でも何かを言おうとしていたので俺は待った。そしてゆっくり口を開き、俺の手元を指さして言った。


「私、それ…そっちも飲んでみたいです」
「………え」


間抜けな声が出た。そこは音楽や行き交う人々で賑わっているはずなのに、嘘みたいに静かに感じられた。ここには俺たち二人しか存在しないかのような。
俺が何も言えずにいると苗字さんは、自分の持っているスムージーを差し出して続けた。


「ひとくち、交換しませんか」


この、オレンジ色とピンク色のスムージーを互いに持ち替えて、吸い上げて、味わっただけの一瞬の出来事をどのように語れば良いのだろう。

ベンチに並んでスムージーを飲んだ、それだけで今日の「デート」が終わった事を後輩たちは憤慨するかも知れない。でも苗字さんから分けてもらった一口の味はストロベリーの酸味と、彼女の唇を控えめに彩るリップクリームの香りがとても甘く、ずっとずっと俺の中に残っていた。


20170505/リサコ