夏の終わりのハイライト

いつか好きな人が出来たら、一緒に勉強したりお出かけしたり、時には喧嘩をしたりして最終的には赤い糸で結ばれたい。

そんな少女漫画のようなことを夢見ていたわたしが今や、この夏最後のお祭りに男の子と出掛ける事になった。
ネットで流行りの髪型を調べたり、お母さんの浴衣に合う髪飾りを買いに行ったり、夏の課題を終わらせたりしているうちにあっという間に夏祭りの前日。まだ明日の夕方まで準備期間があるというのに、ノリノリなお母さんのおかげで浴衣はすでにハンガーにかけてある。髪飾りもお母さんが買ってくれた。お兄ちゃんときたら私が白鳥沢に合格した時のような盛り上がりで、「食いたいもんあるか?駅前のケーキ買ってやろうか?」と言ってくる。そんなものを今日食べるわけには行かない。明日白布くんに会うまでに太ってしまうのは御免だ!

念入りにシャンプーをして、初めて買った高めのトリートメントをして、身も心も彼に会う準備を整える。明日の夜、ついに白布くんとの夏祭り。海に行った時とは違い、正真正銘ふたりきりのデート。ほんとうにわたしの浴衣姿を特別に思ってくれているのだろうか。
もしかして浮かれているのはわたしだけで、白布くんが「それ名案」と了承してくれたのは幻だったりして?ドキドキのあまり、そんな事まで考えてしまうわたしは相当白布くんにお熱のようだ。

少しでも気分を落ち着かせるため、すでに終了した数学の課題を取り出した。勉強のことを考えていたら冷静になれる気がして、解き終えた問題の見直しに没頭する。
…けれどもわたしにとっては数学イコール白布くんなのだった。あの時こうやって教えてくれたっけ。この公式を説明してくれた時には、集中できなくて解いているふりをしたっけな。白布くんはわたしの理解度から何から全てお見通しで、手が止まったわたしにもすぐに気付いてくれたし、根気強く教えてくれた。
白布くんは一体いつから、わたしのことを…


「わっ!?」


びっくりした!突然携帯電話が鳴り出した。滅多に鳴らない電話の着信音に一体誰だと画面を覗き込むと、またも大きな声が出そうになった。
表示されているのは明日、夏祭りに行く男の子の名前だったのだ。


「どうしよっ、ど、どうしよ」


どうしよう、って出るしか無いんだけどなんと言って出れば良いんだ。夜に男の子から電話が来るなんて初めて。「ごめん、明日やっぱり無理」とか言われたらどうしよう?
そうこうしているうちに電話が鳴り止んではいけないのでとにかく応答しなければ。第一声を考える前に、わたしは画面の通話ボタンを押した。


『………あれ。もしもし?』
「はっ、はい!!」


慌てて耳元に押し当てると、白布賢二郎くんの声が聞こえる。わたしの声は上ずってしまったけど彼はいつも通りの落ち着いた声で、わたしの慌てっぷりを不思議に思っているようだ。
だって、いきなりデートの相手から電話が来るなんて驚くに決まっている。


『ごめん。何かしてた?』


白布くんは、わたしがなかなか電話に出なかったので取り込み中だと思ったらしい。取り込んでいたといえば取り込んでいた。考え事が忙しくて。その考え事を紛らわすために開いたのが数学の課題だったんだけど。


「…す…数学の課題を…見直してた」


白布くんのことを考えていたなんて口が裂けても言えない。言ってしまったら全て彼のペースになってしまうのが目に見えている。
だから数学の課題を見直していたと伝えると(決して嘘ではないし)、白布くんからは感嘆の息が漏れた。


『へえ、偉いじゃん』
「いやあ…」
『効果はありそう?』
「へ?」
『勉強の成果はありそうかって』


夏祭りに行く前夜だと言うのに、試験中と変わらないテンションで試験中のような質問を返されてしまった。さすがは優等生、勉強の話題に関しては相当真面目だ。
そこそこかな、と答えると白布くんはフーンと言ったのみで暫くは無言が続いた。あれ、今日はどうして電話をくれたんだろう。なにか言いにくい事でもあるのだろうか。


『…明日のことなんだけど』


きた。明日の話。しかし白布くんの声色はあまりよろしくない。
もしかしてわたしの予想通り「やっぱり無理になった」とか?そんなのやだ。お母さんに合わせる顔が無い。久しぶりに外に出してもらえた浴衣はわたしの部屋でゆらゆら揺れてご機嫌だ。浴衣に感情があるかどうかはさておいて。


『7時に待ち合わせでいい?俺、部活終わってからシャワー浴びないとヤバい』


白布くんは流れるように言った。


「…7時に…待ち合わせ」
『うん。遅すぎ?』
「……7時に…」
『おい』
「はっ、ごめん!」
『どうしたのさっきから』


ついに白布くんからは、ちょっと呆れた声が聞こえてしまった。そりゃそうだ。


「…明日のこと、ずっと考えてたから…ドタキャンされたらどうしようって」


夏祭りに行くのを楽しみに色々用意してきたのに、無しになってしまったら立ち直れない。たとえ理由が白布くんの部活だったとしても。
明日は待ち合わせをして、わたしの浴衣姿を見た白布くんがどんな顔をしてくれるのか観察して、そのあとかき氷を食べたりりんご飴を食べたり、射的をしたり。最後には打ち上げ花火が上がるのを、寄り添って見られたらなぁと思っていたから。

お祭りの妄想が再び頭を駆け巡っていたとき、耳元からは笑いをこらえる声がした。


『そんなに楽しみなんだ?』
「へっ、」


バレている。明日が楽しみで楽しみで仕方が無いのを。どうやって誤魔化せばいいんだろう、海に行った時からわたしばっかり余裕が無くて、白布くんに迷惑かけたり呆れられたり、笑われたりしている。べつに特別楽しみとかじゃないよ、普通だよって涼しい声で言わなければ。と思っていたのに。


『俺は楽しみだよ』


白布くんは数字の計算だけでなく、こういう計算も得意な人なのだろうか。そんなことを言われたらわたしが言葉を失ってしまうと分かっているくせに。

結局まともな返事が出来ないまま『じゃあまた明日』と電話は終わってしまった。電話でよかった。顔を見られていたら大変だった。
でも、言いたかった。わたしも楽しみだよって。






夏祭り当日は、夜7時の待ち合わせのためにできる限りのことをした。朝からウォーキング、そのあと野菜を食べて家の手伝いをして、合間には欠かさずナナちゃんに報告と進捗のメール。
いよいよ今日なんだ、白布くんとふたりきりで出掛けるのは。

夕食の用意をする前にお母さんが呼んでくれて、普段は滅多に使わせてくれないお母さんの鏡台に座らせてくれた。そして「この髪型したい」と話していた髪型に、信じられないほど器用にセットしてくれたのだ。


「サマになってるじゃん、今日で決めてこいよ?」
「決めるって何!分かってるもん」


お兄ちゃんにも冷やかしという名のエールを送られながらついに午後6時半、わたしは家を出発した。黒地にエンジ色の牡丹の花が散りばめられた古き良きデザインの浴衣、白布くんは気に入ってくれるかな。

待ち合わせ場所に一歩一歩近づくごとに、ポンプで空気を送り込まれているような感覚になる。それほど今のわたしは宙に浮きそうだ。浮かれているのにドキドキする。
しかし突然、送り込まれた空気がぱんと破裂しそうになった。白布くんがもう到着して、そこに立っている!


「しらっ、しらぶく…ごめん待った?」


恥ずかしい、声が上ずって噛み噛みだ。白布くんはわたしに気付くと顔を上げてこちらを見た。
男の子にしては大きな瞳に姿を捉えられ、彼の眼が上から下へ、また上へ動くのが分かる。


「………その浴衣」
「あ…これ!?これお母さんのお下がりで、昔のだけどいいやつだよって、お母さんが髪とかも色々セットしてくれて」


緊張のせいでわたしの口は勝手に回る。こんなに落ち着きのない女が浴衣を着ていたって全然魅力的じゃないだろう、どうしよう。
いっぽう白布くんは、冷静に私の全身を見たあと一歩近付いて、今度はじっと顔を見られた。


「お母さんセンスいいね」
「へ」
「すげえ似合ってる」


そう言いながら白布くんがわたしの顔へと手を伸ばした。そして、わたしの顔の横にあるおくれ毛を「これいいじゃん」と指でするりと触ったのだ。


「自分の子どもに何が似合うのか、ちゃんと分かってるんだな」


ただのお団子頭ではなく、最近の流行りも取り入れてくれたお母さんには感謝しかない。白布くん、おくれ毛好きなんだ。こういうの好きなんだ。


「行く?」


わたしがお母さんへの感謝に浸っていると、視界に手のひらが現れた。白布くんの手だ。わたしに向かって差し出されている。これはやはり、そういうこと?
この手を握るのが正解なのかと視線で訴えてみると、白布くんが頷いた。手を繋ごうという意味だ。右手で握るべき?左?と迷っていると白布くんがわたしの右手をぎゅっと掴んだ。


「あ」
「行くぞ、もう始まってる」


そのままわたしの手を引っ張って、白布くんが歩き始めた。
花火の時間までまだまだなのに、一発目の花火がわたしの脳内で弾けてしまったではないか。でも、掴まれた彼の手も同じくらいに熱かったので、白布くんも何発かは花火が弾けているらしい。

白布くんは部活が終わってすぐにシャワーを浴びてきてくれたらしいけど、川西くんが「センベツ」だとおにぎりをくれたので空腹ではないようだ。それならかき氷が食べたいなあ、と話しながら歩いていると懐かしいものが目に入った。


「あ、金魚」
「金魚すくい?好きなんだ」
「うん…一応ね、家に水槽があるの」
「へえ」


お父さんが大きい水槽を持っていたので、手に入れた金魚たちはいつも水槽で飼っていた。
すぐに死んでしまったり共食いしてしまう金魚も居るけど、ずっと元気な金魚も居る。そういえば金魚すくいなんて久しくやっていないかも。


「勝負する?」
「いいよ。言っとくけどわたし、けっこう得意だからね」
「どんくさそうなのに」
「ひどっ!」
「はは」


白布くんはけらけらと笑って金魚すくいの前で立ち止まり、小銭を漁り始めた。
確かにわたしはどんくさい。この世にわたしを「機敏」だなんて思っている人は存在しないと思う。でも金魚すくいは近所の子どもたちの中では誰よりも上手かったし、白布くんに負ける気はしないなあ。


「負けたらどうする?」


勝負をするからにはこういう事を決めておきたい。白布くんは顎に手を当てて考えていたけど、あ、と小さく呟いた。


「……ありがちだけど。勝ったやつの言う事、ひとつだけ聞くとか」
「いいね。そうしよ」


そして互いに金魚すくいの道具、ポイと呼ばれるものを受け取って戦いがスタートした。
金魚たちは活きがよくて、あっちへこっちへとすいすい泳いでいく。それを追いかけてすくおうとしてもなかなか捕まえられない。うまく誘導しているつもりなのに、全然こちらに来ない。わたし、腕が落ちたかも。


「わ!跳ねたっ」
「難しいなこれ…」


白布くんも苦戦しているらしく、何度か「うわ」とか「やべ」とか言いながら取り組んでいた。普段落ち着いているのに、ふとした時に年相応になるんだなあ。今日は白布くんの珍しい顔が見られて嬉しいかも。
…とぼんやりしていたら、わたしのポイは盛大に破れてしまった。


「ああ〜」
「苗字さん、得意なんじゃなかったのかよ」
「久しぶりなんだもん」


久しぶりだから上手くいかなかった、という事にしておこう。きっと白布くんが隣にいて集中できなかったせいだけど。しかしその後すぐに白布くんも「げ」と声をあげ、わたしたちの金魚すくい勝負は幕を閉じた。

出店のおじさんが金魚をビニール袋に入れてくれて中を数えてみると、惜しいことに白布くんのほうが一匹多い。…勝負は白布くんの勝ちだ。


「やった」
「うー悔しい……何がいい?ひとつだけ命令していいよ」


とは言ったものの白布くんは少し意地悪な人だから、変なお願いをされたらどうしよう。難しい数学の問題を「解いてみろ」とか?さすがにそんなロマンに欠けたことは無いと信じたい。

しばらくどうするか悩んでいた白布くんだったけど、「よし」という声とともに顔を上げた。


「ちょっと歩こう」
「え…?」
「ここじゃ命令できない」


すると白布くんは再びわたしの手を引いて歩き始めた。びっくりして危うく金魚の袋を取り落としそうになる。わざわざ場所を変えての命令なんてどんな事だろう、ひとまず数学の問題ではないようだ。

たくさん並ぶ出店のあいだをくぐり抜けて、人混みが落ち着いた場所に出た。白布くんはまだ歩き続けているけど速度はわたしに合わせてくれて、ゆっくりと夏祭りの中心部から離れていく。


「……金魚、いる?」


やっと立ち止まった時、白布くんが金魚の袋を差し出した。わたしのよりも一匹多い金魚が言葉どおりぎゅうぎゅう詰めだ。


「寮には水槽が無いから」
「あ、そっか」


せっかくとった金魚なのにと思ったけれど、言われてみれば寮暮らしの白布くんが飼うのは難しい。
じゃお貰おうかなと彼の袋に手を伸ばした時、白布くんがもう片方の手をわたしの手に添えた。


「………」


熱い熱い白布くんの手が優しく私の手を包んで、そっと離して金魚は無事に私の元へ渡された。
金魚と一緒に別の何かを受け取ったような感覚だ。例えば白布くんの、気持ち、とか。


「…このあいだの、海の事なんだけど」


視線は金魚に向けたまま、白布くんが言った。


「海…?」
「苗字さんのお兄さんに…あー…彼氏ですって嘘ついたこと」


それを聞いて顔が熱くなるのを感じた。あのとき私は白布くんに対して怒っていたはずなのに、お兄ちゃんのせいで…いや、お兄ちゃんのおかげでそれが少し静まった。そこへ白布くんがやってきて、わたしが変な人に絡まれていると勘違いした彼は嘘をついたのだ。
でも、わたしは、あれが嘘じゃなければ良いなと思っていた。あの時から。


「俺は本当にそうなりたいと思ってる」


そして、もしかしたら白布くんもそうなんじゃないかと心のどこかで思っていた。ナナちゃんもお兄ちゃんもそう言っていたし。けれど今ひとつ自信が無かった、自分の耳で聞くまでは。


「好きなんだ。去年から」


彼の口から、そう聞くまでは。


「…きょ、ねん?うそ、」
「じゃなきゃいちいち勉強教えるなんて言い出さないよ。気づかなかった?」


気付かなかった。夏休み前にやっと「もしかして」と思い始めたところなのに、まさか去年からだなんて。


「好きだよ。苗字さん」


白布くんは、いつの間にか金魚ではなくわたしの顔を真っ直ぐに見ていた。夏祭りの灯りに照らされて、白布くんの瞳がくっきりと良く見える。 ということは彼からもしっかり見えているはずだ、動揺したわたしの瞳が揺らいでいるのが。


「……わ、わたしは」
「うん」
「…わたしは…最初、白布くんのこと…ちょっと気持ち悪いと思った」
「ぶっ」
「さ、最初ね!最初」


だって最初はどうして勉強を教えてくれたのか分からなかったんだもん。
去年同じクラスだったとはいえ、特別仲が良かったわけじゃない。そんなわたしに突然数学を教えようかと声をかけてくれ、断ったにも関わらず何度も何度も同じことを言ってきた。しまいには勝手に隣の椅子に座ってくるものだから、どういうつもりなのかと頭を抱えたものだった。


「けど、勉強教えてくれて…成績上がって…それは嬉しかったけど、それより」


白布くんの教え方は的確だったので、数学では見たこともないような高得点を取れた。あの時の喜びは忘れられない。私の点数を見た白布くんの顔も。


「点数なんかより、白布くんが一緒に喜んでくれたのが嬉しかった」


よく頑張ったな、と目をきらきらさせて言ってくれたあの顔にドキリとして、お礼にとご飯に誘ってみたものの「部活があるから」と断られた事にガッカリして。白布くんの一挙一動がわたしの気持ちを大きく揺さぶった。
これはもう、間違いない。


「わたしも、好き…です」


それを口にした瞬間に白布くんの目は大きく開き、唇はぎゅっと閉じられた。下を向いた白布くんの髪がさらりと揺らぐ。かたく閉じられた唇の隙間から深呼吸が聞こえる。
もしかして今、嬉しさで取り乱してしまうのを我慢しているのだろうか。だったらいいな。


「…じゃあ…今日から彼氏って名乗っても?」
「うん、もちろん」
「つうか俺、苗字さんのお兄さんに嫌われてない?」
「大丈夫だよ」
「………そう。よかった」


今思い出してもあの時の白布くんは穏やかじゃ無かったし、あれが兄だと知った時の驚きようは川西くんが見たら大笑いするだろう。
しかし今は、心なしか頬が染まっているものの、晴れて恋人同士になったと言うのに彼は落ち着いている。


「なんか、白布くん…冷静…?だね」
「そんな事ないよ。今にも力ずくで抱き締めたいくらい」
「え!?」


ああ、落ち着いているなんて気のせいだった。
白布くんは普段の彼からは想像できないような熱い眼差しでわたしを見下ろし、わたしの顔周りのおくれ毛をくるくると弄った。そのまま手が肩に置かれて、ぐっと力が入る。
もしかして「抱き締める」以上の事をしようとしている?


「…いい?」


かすれた声でそう言われると断れるわけもなく、断る理由もなく。無言で頷いたわたしに「目、閉じて」と言い、静かにそれに従った。
白布くんの唇がわたしに触れるまでどのくらいだろう。目を開けたいような、このまま閉じていたいような。

その時突然空が明るくなり、心臓が震えるほどの大きな音が鳴り響いた。


「……あ、花火…」


夏の終わりを告げる花火が始まってしまったらしい。大きな音とともに色とりどりの花火たちが夜空に咲いて、ぱらぱらと光の粉が落ちていく。
今年の花火はとても美しい。白布くんが一緒に居るから?と、白布くんを見てみると彼は花火など見ていなかった。
いまだ真っ直ぐに、わたしを見ていたのだ。


「白布くん、」
「…花火、あとでいい?」


もう我慢出来ない。その欲望を押し殺すことが出来なかった彼は、わたしが頷く前に初めてのキスを奪っていった。

約5000発の花火が打ち上がっているあいだ、結局わたしたちは花火に集中することは出来なかった。少し残念だったけれど仕方ない。来年もまた夏の終わりを一緒に過ごせばいいんだし。

20171008/リサコ