グッドエンドの逆算

片想いの女の子にアプローチするのを決意したはいいが、なかなか丁度いいチャンスなど見つからなかった。クラスが違うのはもちろんのこと、俺は部活が尋常ではないほど忙しくて、放課後に会いに行くとかそんな暇はない。
だから太一は昼休みになると執拗に「一組行く?」と誘ってくるけど、苗字さんの昼休みを潰すのは気が引けて動けずに居た。

そんな俺の目には、昼休みのたびに俺のクラスにやってくる瀬見さんがとても眩しく見えた。
付き合いたてだと言うのを差し引いても、瀬見さんとその彼女は仲睦まじい。互いが互いを想っていて、優先して、尊重し、時には意地悪っぽく「英太くんがさあ」と俺に瀬見さんの恥ずかしい話をして来るのも、ぜんぜん興味無いけど「まあ聞いてやるか」と思える。
…ていうかいつの間に真顔でファーストネームを呼び合える仲になったんだ。


「瀬見さん順調だな」


太一は今日も彼女を迎えに来た瀬見さんと、瀬見さんの元へ笑顔で駆け寄るその子を見て満足げに言った。


「…だな。」
「賢二郎は瀬見さんより難易度低いだろ?同学年だし、去年同じクラスだったんなら共通の話題とか」


難易度、ね。確かに条件や関係性を紙に書き出したなら俺が苗字さんと仲良くなれる難易度はあまり高くない。けれどそんなの机上の空論だし、苗字さんが俺をどう思っているのかも分からない。
「本気出すわ」と決意表明したものの、どうも一歩踏み出せないまま数日間が経過した。





インターハイに向けての練習が本格化していく中で、同時に部員を苦しめる期末テストが近付いてきた。
テスト範囲が発表されて慌てる部員たちが多いけど俺は勉強が得意なほうだから、全く心配ではない。ただ、好成績を修めたいなとは思っている。1年の時も前回の中間テストも学年上位の点数だったから、著しく点数が低くなることだけは避けたい。


「…つまり余裕って事か」


談話室の端でノートや教科書を広げ、一緒に勉強をする太一が苦々しく言った。なんでちょっと恨めしそうなんだよ。


「余裕じゃない。悪くても30位以内には入りたいから」
「その目標値すげえな」
「そうか?毎日やってれば難しくない」


これはもう習慣だ。中学校の時にテスト期間など関係なく予習復習をしていたから、高校に上がってからも毎日同じように勉強している。バレーボールでプロの世界に入りたいなとは思うけど、だからって大学進学を全く考えてない事は無い。

選択肢は多いほうが良いだろ、と太一に言うと「俺は方向性を定めてから動く人だから」と言われた。方向性が決まってから動いて失敗したらどうするんだ。…そんな心配をしないところが太一の長所であり短所なのかも。


「恋愛も勉強みたいに楽だったらいいのに」


何の気なしにぽつりと呟く。告白した場合の彼女からの答え、成功する可能性、成功するために必要なもの、マニュアルが全て揃っているならこんなに悩むことは無い。しかし太一はそんな俺の考えが理解出来ないらしかった。


「恋のほうが楽なんじゃね?失敗したって別の事に集中すれば解決。勉強は失敗できない。未来に関わるだろ」
「…じゃあ聞くけど、太一は今まで何人と付き合ったわけ」


勉強よりも恋のほうが楽だ、と言う恋愛スペシャリストの経験を聞こうではないか。
嫌味で質問してやったのに太一は真面目に過去を思い返しているのか、うーんと唸っている。もはや勉強なんて手に付いていない。


「3人くらい」
「曖昧だな」
「自然消滅したのとかあるじゃん」
「知らねーよ」
「思い出したくないほどヒドイ振られ方したりとか」
「………。」


この、本気なのか冗談なのか分からない物言いは本当に困ったものだ。交わすのが上手いというか。
そんな事より苗字さんとどうやって仲良くなるか考えろよ、と言うのでそれ以上太一の恋愛話は聞けなかった。





その翌日、授業を受けていてどうしても分からない事と確認したい事があったので、昼休みに職員室へ行った。一緒に昼食を食べていた太一に「今から職員室に行く」と言うと、「職員室なんか行かずに一組に行け」と呆れられたけど。

職員室に到着し、一応ノックをしてドアを開けると、何やらあまり良くない雰囲気が漂っていた。


「国立目指してるんだろ?さすがに二回連続赤点はまずいよ」
「………はい。」


ドアの目の前に数学の先生のデスクがあり、そこでお説教みたいなものを受けている女生徒の後ろ姿があった。
俺はちょうどその先生に質問があったんだけど、そんな事は吹き飛んだ。今、頭を垂れて怒られているのが苗字さんだったから。


「どうして数学だけできないのかね…」
「……分かんないです…」
「公式覚えて、応用問題こなすしか無いからな。期末は最低でも平均点超えないと」


気まずい場面に遭遇してしまった。
苗字さんが後ろ手に持ったノートにはたくさんの書き込みと、赤いボールペンでバツの印が付けられていて、これまで自分で解いた問題たちがことごとく間違っていたのを物語っている。

俺は自慢じゃないけど公式とか、そう言うのはすぐに頭に入って来るし理解をするのも身に付くのも早いほうだ。だから、 どうして彼女が数学に苦労しているのかは分からない。
…が、閃いた。苗字さんと仲良くなれるかも知れない方法を。


「…じゃあしっかり頑張れよ、後ろ詰まってるぞー」


先生がそう言ったのを聞いて、苗字さんが振り向いた。彼女の口が「あ」という形を作ったが、そのまま唇はぎゅうと閉じられた。先生に怒られている場面を同級生に見られたのだから仕方ない。しかも真後ろで。
苗字さんは先生に会釈をするとそのまま黙って職員室を出た。いつもふわりと笑っている印象だったのに、かなり落ち込んでいる様子だ。


「白布はどうした?質問か?」


先生の呼びかけで、俺の意識は苗字さんから数学の質問の事へと戻された。「ええと」と教科書を開こうとしたけど、こんな質問今じゃなくても出来る。今しか出来ないのは、落ち込んだ苗字さんに声をかける事だ。


「すみません。整理してからまた来ます」
「そうか。バレーも大変だろうけど無理しないようになぁ」
「ありがとうございます…」


俺がバレー部のレギュラーになれた事をどこかで聞いたのだろうか。照れくささもあったので素早く頭を下げて、職員室から脱出した。

廊下に出ると、まだ目の前のすぐ近くを苗字さんがとぼとぼと歩いている。第一声は何が良いだろう?と考えたけど、うだうだしている間に校舎に到着するのは避けたい。思い切って後ろから名前を呼んでみた。


「苗字さん」


ぴたりと彼女の脚が止まったが、すぐに振り返ることは無かった。まさか泣いてるんじゃないだろうな、だとすれば最悪に空気を読めない男だ。


「……ええと。今、大丈夫?」


様子を伺うように聞いてみると、ゆっくりと苗字さんが振り向いた。良かった、泣いてるわけじゃ無さそうだ。顔色はとても暗いけど。


「先生に質問あったんじゃないの?」
「あ、ああ…なんか忙しそうだったから、また今度聞くことにしたんだ」


と言いながら、下手くそな嘘しか吐けない自分を呪った。


「苗字さん、もしかして数学苦手?」


そしていきなり本題を出してしまう臨機応変さに欠けた自分も、藁人形にして吊るしたくなった。苗字さんは「うん…」と肩を落として、手に持った数学のノートをぎゅっと握り締めたかに見えた。


「数学だけがね、何でか苦手でさ…」
「そうなんだ。1年の時はそんなふうに見えなかったけど…」
「そんな事ないよ。ギリギリだったよ」


苗字さんは力無く笑った。そして、2年に上がってからの数学が更に難しくなり授業に付いていけなくなった事を低い声で話し出す。いつもの苗字さんとはあまりにかけ離れていたので驚いた。俺の予想よりも深く悩んでいるらしい。

だから、下心を持ってこんな提案をするのは良くない事かも知れない。でもこれを逃すと苗字さんにアプローチをする機会は、次いつ来るか分からない。
今まで恋愛において積極的になった事は無いけど、意を決して口を開いた。


「俺で良かったら数学、教えようか?」
「……え…?」


俯いていた苗字さんの顔が少しだけ上がったように見えた。いけるかも。


「俺、数学得意なほうだから…」


昼休みとか、テスト直前で俺の部活動が短い日とかでも。必ず出そうな問題や、ここは大事だろうなという部分はなんとなく分かるから。余計な部分は置いといてそういう大切なところだけでも詰め込めば平均点なんて取れると思う。それに何より、これまで俺が数学を教えた相手が平均点を下回った事は無い。

…という事を手短に伝えると、苗字さんはにこりと笑った。


「ありがと…」
「いいよこのくらい、」
「でも大丈夫だから」
「うん。…えっ?」
「気持ちだけ頂いとくね」


100パーセントの勝算があった訳じゃない。自信があった訳でもない。ただ、数学が苦手な女の子に数学を教えるだけの事を断られるなんてそうそう起こり得ないと思っていたのに。
俺の下心、見透かされていたのだろうか。





「マジか。頑張ったのにそれは残念」


昨日と同じく談話室にて勉強をしながら昼休みの事を話すと、太一は半分残念そうに・半分面白そうに言った。


「…断るかよ普通?俺は数学ならクラスで1位なんだぞ」
「引くわー」
「さすがにこんな言い方してねえよ苗字さんには!」


何度思い返しても、俺の言い方はべつに嫌味じゃなかったと思う。数学が1位だとかも話してないし。それなのに断られた理由は何だろう。これだから恋愛は勉強よりも難しいのだ、答えが全く分からない。


「何で断られたんだろ…」


俺のことが嫌い?いや、このあいだ一組の入口で出くわした時の笑顔を見れば、嫌われているとは言い難い。先生に怒られたばかりで他人に構う余裕が無かったとか?既に他の誰かと勉強の約束をしているとか?
そんな事を考えながら机に突っ伏して悶々としていた俺に、バッドタイミングで太一の台詞が聞こえた。


「彼氏とお勉強するつもりだったりして。」
「は!?」


思わずがたん!と音を立てながら顔を上げた。机に置いたペットボトルが転げ落ちそうになるのを慌ててキャッチする太一を睨みつつ、思うがままにまくし立てる。


「彼氏いんのかよ?誰?どのクラス?つうか知ってたのか!?何年生?」
「怖っ」
「言えよ!」
「いやいやいや冗談だよ…言ってみただけじゃんか。リラックスリラックス」


そんなんじゃ苗字さん怯えるよ、と苦笑いの太一は俺の肩を抑えて椅子に座り直させた。こんな冗談シャレにならない。彼氏持ちの女の子に頑張ってアプローチするなんて滑稽な事、出来やしない。


「彼氏が居るか聞いてみたら良いじゃん」
「………いつ。どうやって」
「それは自分で考えなさいよ、数学1位の秀才だろ?」
「殴んぞ」
「いやん。苗字さんが怖がるよ」


…こいつ、「苗字さん」という単語を出せば何でも許されると思ってるんじゃないだろうな?

20170701/リサコ