春風ロマンス

一人で念入りに鏡の前でファッションショーを開催して、くるりんと一回転する。シルエットのきれいなフレアスカートはまあるく円を描いてストンと元の位置におさまる。
ほんのりと色づくリップを塗りながら、わたしは気分が高揚していくのを感じていた。好きな人と会うための準備ってどうしてこんなに楽しくてどきどきするんだろう。世の恋する女の子たちも可愛く思われたくて、こうやってたくさん努力しているに違いない。
時計の針は待ち合わせの30分前を指していた。今、家を出れば10分前には待ち合わせ場所に着くことができる。最後に髪を手櫛で整えてから、お気に入りのパンプスにわたしの足を柔らかく包みこませる。
今日は日曜日。爽やかな青い風が、外に晒された素肌を撫でていく。すれ違う人も平日のしがらみから解放されたような穏やかな表情をしている。わたしもきっと踊り出しそうなくらい楽しげな顔をしているだろう。
初めて二人で出かけたときに待ち合わせた時計の下が、今日も二人が落ち合う場所だ。予定どおり10分前に駅前に到着して、彼の姿を探してみる。まだ少し早いからわたしの方が先かな、なんて思っていたけど、時計の下では既に私服に身を包んだ瀬見さんが立っていた。携帯と睨みっこしたり、周りを見渡してみたり。遠くから見てもかっこいい。あんな人がわたしの彼氏だなんて。着ている服も瀬見さんが気にしているほど特に問題ないようだけど、今日も川西くんたちから借りてるのかな。
待たせちゃ悪いと思って駆け出すと、ぶわぁと吹いた風がスカートをふくらませ、家を出るときに整えた髪をなびかせる。


「瀬見さん、すみません……待ちましたか?」
「いや、全然」


髪を撫でつけながら瀬見さんのところへ駆け寄ると、慌てて携帯をポケットにしまい込んだ瀬見さんははっと息を呑み、ぼそりと呟いた。


「かわいい……」
「えっ……」


髪をといていた手が思わず止まる。段々と顔に熱が集まるのを感じて俯きたかったけれど、瀬見さんの頬もピンク色に染まっていて目を逸らさずずっと見ていたかった。照れくさいのはお互い様か、と半ば開き直っていたのかもしれない。
このデートに向けて、ワンピースを新調してよかった。少し背伸びしておしゃれしてよかった。
二人で見つめ合いながら照れている様子は側からみれば滑稽だと思うけど、恋をしている二人にはそれすら気にならない。


「髪、食ってる」


瀬見さんはわたしの頬をなぞるように唇についた髪の毛をはらい、それを耳にかけた。くすぐったくて心地よくて、でも覗き込まれるように顔を近づけられてしまうと、全身が熱を持ち始める。
キスされることを想像してしまったのだ。これでもか、というくらいどきどきが止まらなくて目が泳ぐ。
「そろそろ行こうか」と言った瀬見さんが全く動こうとしないので、焦点を瀬見さんに合わせると、自分自身の手のひらをじーっと見つめていた。声をかけようか悩んでいるとその手がわたしの方へ伸びてくる。


「えーっと……手、繋いでもいいか?」


もしかして、手のひらを穴が空くほど見つめていたのはそれを悩んでいたからなのだろうか。もちろん、いいに決まってる!断る理由なんてないし、わたしだって少し期待してた。そんなこと面と向かって言えるわけないけれど。


「はい!」


きっと今のわたしは嬉しくて満面の笑みだろう。手を重ねると二人の体温が混ざって、じんわりと全身に広がる。たくさんボールを触ってきた手は、手入れが行き届いていて、だけど男の子らしい骨ばった手だった。わたしのとは全然違う、あったかくて大きな手。
しばらくそのまま歩いてファッションビルに向かう。時折磨き上げられたショーウィンドウに二人の姿が映し出されて、デートしているんだと実感させられる。その度に瀬見さんを窓越しに確認して見とれてしまうのだから、もう完全に首ったけ状態だ。
今日のデートのメインは以前約束したとおり瀬見さんの服を買うことなので、メンズフロアに到着すると、ひと通り一周する。普段メンズフロアは歩かないので、どきどきがまた戻ってくる。


「瀬見さんはどんな服が好きですか?」
「俺?特にこれといって好きな服はないけど……」


「あ、これとかいいかも」と言って瀬見さんが手にしたそれはボタニカル柄の色鮮やかなシャツだった。「どう?」と言って胸元で合わせている瀬見さんを見ると、どうも派手めなシャツは似合わない気がする。


「瀬見さん、顔立ちがはっきりしてるのでシンプルな方が似合いそうですよ」


先ほどのシャツよりも色味が抑えられたシャツを代わりに合わせてみると、俄然こちらの方がしっくりきている。わたしの好みの問題かもしれないけど。


「おおー!ホントだ!苗字さんすげえ」


目をキラキラと輝かせている彼に乗せられてわたしも次々と瀬見さんに似合いそうなシャツを持ってくる。


「これとか……あっ、これも!」


瀬見さんはモデルみたいだからコーディネートしがいがある。最初は男の子のファッションって分からないと思っていたけれど、だんだん楽しくなってきた。


「試着してみませんか?」
「おう、じゃあ着てくるわ」


にかりと笑って試着室へ消えていく瀬見さんを店員さんに用意してもらった椅子に座って待つ。きっとどんな格好しても似合うと思うんだけどな。本当にわたしの好きな服選んでいいのかな。少し考え込んでいると、シャっとカーテンが開けられ、わたしの選んだ服を身に纏った瀬見さんが現れた。


「苗字さん、マジですげえよ。何か雑誌から飛び出したみたいだ」


何も言葉が出ない。自画自賛してるんじゃない。わたしのセンス云々じゃなくて、着る人が素敵だからもっともっと素敵に見えるのだ。今日着ている服よりも季節を先取りしたスタイリングは胸元から少しだけ日焼けした肌がのぞき、ちらりと見えているくるぶしが何だか色気を醸し出していた。


「彼女さんのスタイリングですか?よく似合ってらっしゃいますよ」


店員さんの言葉に二重に照れてしまう。彼女だと言われたこと、スタイリングを褒められたこと。


「あ、えっと……すごくかっこいいです!」


どもりながら答えてしまったわたしを瀬見さんは声を出して華やかに笑った。脳裏に焼き付けてしまいたいほど素敵な笑顔だった。大袈裟だと言われてもいい。きっとわたしはつき合って初めてのデートで見たこの笑顔を忘れることはないだろう。


ショップバックを片手に再び手が繋がれる。今度は自然に、優しく指が絡まった。果たしてこれに慣れるときはくるのだろうか。心臓がうるさい。想いが溢れ出て止まらなくなる。


「瀬見さんはどんな服着てる女の子が好きですか?」
「んー……俺はその子に似合ってればそれが好き、かな」


考えている彼の顔をしかめっ面で見る。これだ、と断言してくれた方が選びやすいのに。この答えだとさらに難しいじゃないか。わたしだって少しでも瀬見さんの理想の女の子に近づきたいと思っているのに。


「そんな難しい顔しなくても、苗字さんいつもすげえかわいいよ」


大きな手がわたしの髪をすべる。この人はずるい。恥ずかしげもなくそんなことを言うのだから。わたしは休むことなく顔が熱くなる。もう、会った瞬間からずっと照れっぱなしなのにもかかわらず今も。
あ、でもやっぱり恥ずかしかったみたいで、うなじをかきながらわたしから目を逸らした。ちらりと見える耳たぶが心なしか赤く見えてかわいい。
ファッションビルを出て次どこに行くかを決めるために一旦立ち止まる。ぶらぶらしているとお腹が減ってきたので何か甘いものでも食べたい気分だ。


「ケーキでも食べに行きませんか」
「そうだな」


瀬見さんは携帯を取り出して近くのカフェを探し始めた。そして急にぷっと噴き出し、くすくす笑い始めた。わたし何か変なことしたかな、なんて心配になる。


「どうしたんですか」
「あ、いや……川西が苗字さんには甘いものでも食べさせときゃいいって言ってたの思い出して」
「川西くんそんなこと言ってたんですか!?」


少し頬を膨らませて見せると瀬見さんは慌てたように手を振って弁解し始めた。


「いや、俺たちが初めて一緒に出かけたとき、俺本当にどうしたらいいか分からなくて、あいつなりに気遣ってくれたというか……」


うん、本当は分かってる。川西くんと白布くんが背中を押してくれたおかげでこうやって瀬見さんと付き合えて手を繋いで歩けてるということを。ふ、と笑みを零し「分かってますよ」と言えば瀬見さんは目を細めてじとりとこちらを見つめたあと、わたしの頭をぐしゃぐしゃとかき回した。


「怒ったふりしただろ」
「ごめんなさいー!」


二人でじゃれていると視線を感じ、乱された髪を整えながら顔を上げると、わたしと同じくらいの年代の男の子と女の子に凝視されていた。その二人はこちらに声をかけようとしているのか、口を開きかけては止め、を繰り返している。


「あのお二人、もしかして瀬見さんのお知り合いですか?」


服の裾を引っ張り、軽く背伸びして耳打ちすれば瀬見さんも二人に目を向け「げ」とカエルのような声を漏らした。そして二人は瀬見さんが自分たちに気づいたと確認した後、目を輝かせながらこちらに近づき、声を揃えた。


「瀬見さんの彼女さんですか?」


わたしは瀬見さんを軽く見上げて答えてもいいか了承を得た後こくりと頷くと二人はさらにパアッと表情を輝かせた。対して瀬見さんはというと、片手で顔を覆いながらはぁっと長い息を吐き出した。


「こいつら、部の後輩とマネージャー」


軽く紹介されたのでぺこりとお辞儀をすると二人も同じように返してくれた。「お前らこそデート?」と言う瀬見さんに二人は顔を赤くしながら「ただの買い出しですよ」とそそくさと去っていった。まだ初々しさが残っていたから一年生かもしれない。


「苗字さん、明日部活見に来ない方がいいかも……」
「え?どうしてですか?」
「なんつーか……嫌な予感がする」


わたしにはこのとき瀬見さんの言ってることが全く分からず、首を捻るしかできなかった。





月曜日、いつもどおり放課後は体育館の方へ足を向けていた。昨日の瀬見さんの言葉は気にはなっていたけど、瀬見さんを見たい欲の方が勝っていたので無視することにした。まさか怒られるなんてことはないだろうし。
ボールの跳ねる音が聞こえるけど、おしゃべりの声も聞こえるのでまだ準備が始まったばかりようだ。そんな体育館に足を踏み入れようとしたとき、わたしの前を横切ったのは昨日出会った前髪が切り揃えられた男の子で、パチリと目が合ったと思えば深々とお辞儀をされてしまった。


「瀬見さんの彼女さん、こんにちは!」


元気のいい大きな声が体育館に響き渡る。そして静けさが辺りを包み込んだのち、どっと雑然たる声が沸き上がった。


「瀬見さんの彼女って……え?」
「瀬見さん、彼女いたのか」


皆、口々にそんなことを言い出して中に入ろうにも入りづらい。右往左往していると、赤い髪をしたひょろりと背の高い部員がパッツン前髪の男の子に近づいていく。


「つとむ、この子が英太くんの彼女って本当?」


男の子が頷くと赤髪さんがわたしの方に近づいてくる。人からこんなにじっくり見られることがないので、何となくお姑さんに品定めされるのってこんな感じなのかなと思って緊張する。それに、ふと思い出した。この人、前に瀬見さんの組章を預かってもらった人だ。


「あれ?苗字さん中入んねえの?って、天童!?」


赤髪さんがわたしに何か言いかけようと口を開いたとき、背中から心強い人の声が聞こえてきて、安心したからか力が抜けてスクールバッグを落としてしまった。その声の主はバッグを拾うとわたしに手渡して、敵から守るように背中に隠される。


「英太くん、俺聞いてないよ」
「瀬見!おまえ……最近やたら二年の教室行きたがると思ったら……水臭えぞ」


瀬見さんは色んな人から詰め寄られ「まあまあ」と両の手のひらで宥めている。その側で前髪パッツンの男の子が心配そうな不安そうな顔でそわそわとしていた。


「あ、あの、俺、余計なこと言いましたか?」


「いや、別にいいよ。遅かれ早かれこうなってただろ」と瀬見さんがフォローすれば、パァっと明るい顔に大変身した。分かりやすい。全部顔に出てる。
そして聞きなれた声がわたしの背中にぶつかってきたので、振り向いて見上げれば飄々とした背の高い友人が「何事?」と言いたげに首を傾けていた。


「ちぃーす」
「あ、太一!この子、英太くんの彼女って知ってた?」
「はい、俺の友人なので」
「おまえら、いい加減にしてくれ」


依然ざわざわが収まらないために痺れを切らした瀬見さんが少し大きな声を出したけど、天童さんと呼ばれた人は意に介さない様子で目を細め、肘で瀬見さんの脇腹を突いた。


「それより英太くん、つき合ってるんだから名前で呼ぶべきなんじゃないの?」
「……は?」
「そうですよ、瀬見さん。俺も名前で呼ぶべきだと思います」


天童さんに続き、川西くんまでもが煽ってくる。瀬見さんはいよいよ焦ってきたみたいで後ずさる。そして、その行動によって瀬見さんの背中に密着する形となり、名前を呼ばれてしまうのだろうかという期待と相まって段々と体が熱を帯びてくる。


「太一、この子の名前は?」
「苗字名前です」
「はい、では、名前ちゃん、リピートアフターミー?英太くん」
「……英太……くん」


遠慮がちにか細い声で囁くように呼んだけど、瀬見さんの耳にはしっかり届いたようだ。びくりと震えて耳が赤くなった。


「はい、次は英太くん!リピートアフターミー?名前ちゃん」
「……名前……」


わたしの反応を見るように少しだけ振り返る瀬見さんの頬は血色よく色づいている。でも、わたしだって負けないくらい顔が赤い自信がある。手のひらだってじんわり汗がにじんでいる。瀬見さんがわたしの名前を呼ぶだけで、こんなに満たされた気持ちになるなんて恋のパワーって強烈だ。


「ヒューヒュー!お幸せに!」


天童さんを筆頭に部員たちから冷やかされる。申し訳なさそうに眉尻を下げた瀬見さんがわたしの方に向きを変えて、少しだけ覗き込むようにわたしと視線を交差させた。


「な?俺の嫌な予感当たってただろ?迷惑かけてごめんな」
「そんな……わたし、むしろ嬉しいです」
「え?」
「瀬見さんの大切な人たちにこうやって囲まれて祝ってもらえるの、すごく嬉しいです!」


軽く目を見開いた瀬見さんはすぐに歯を見せてにかりと爽やかに笑った。「ありがとう。俺も本当はそう思ってたから嬉しい」と大きな手のひらがわたしの頭に乗せられた。
開け放たれた体育館に暖かい南風が入り込む。どうやら春がきたらしい。桜が咲く頃出会ったわたしたちの恋。きっとそれはこれからもっともっと色濃く鮮やかに咲き誇っていくんだろう。
一段と大きくなった冷やかしの声にわたしたちは顔を合わせて今日一番の笑顔で笑い合った。

20170617/ララ