おそらくただのゆめ

新しく電話帳に増えた名前を見つめては、土曜日のことを思い出して枕に顔を押しつけ足をバタバタさせる。はたからみれば変な女だ。でも、だって、そんなつもりじゃなかったけど、間接キス、しちゃったんだから。もう高校生なのに、こんなことで浮かれてしまうなんて馬鹿みたいだと思われるだろうか。
スムージーを交換したときの瀬見さんの照れた顔、かわいかった。あんな顔もするんだ。唇の形もよかったな、なんて思ったりして顔が火照ってくる。
奢ってもらったお礼に何かしたい。でもなかなかいい案は思い浮かばない。わたしの脳みそが役立たずで泣けてくる。でも二人で出かけたときの瀬見さんのことはちゃんと鮮明に覚えていてくれている脳みそくんなので、一応褒めてあげよう。そしたらきっと、何かいい案を思いついてくれるかもしれないから。





普段の学校生活の中では瀬見さんに全く会えないので、時間の許すときは放課後に体育館を訪れていた。あまりバレーのことは詳しくないけれど、何となくうちの学校が強豪校だと言われているのが分かる気がした。練習でもみんな本気だ。余所見なんて全くしない。サーブやスパイクの音もすごくて、初めて見にきたときは驚いて息をのんだ。
みんなすごいんだけど、やっぱり目がいってしまうのは瀬見さんで、瞬きすることが惜しいくらいに一挙一動に目を見張るものがあった。この前の土曜日とは全く違う姿。どの瀬見さんも好き。もっと瀬見さんのことが知りたくなる。見ていると時間が経つのを忘れてしまう。
今日もついつい最後まで見てしまって慌ててスクールバッグを肩にかけ階段を駆け下りた。既に陽は落ちてしまって薄紫から濃紺のグラデーションの中に一番星がきらりと輝いている。


「苗字さん」
「はいっ!」


呼ばれて振り向けば、息を切らした瀬見さんが汗を拭いながら近づいてくる。まさかの事態に鼓動が段々と早くなって少しばかり息苦しい。


「もう暗いから送るよ」
「え!?だ、大丈夫です!わたし、バス通学なんで!バス停すぐそこですし!瀬見さんは自主練しててください!」


いつも全体練習の後に少し残って自主練していることは知っていた。だから、そんな申し訳ないこと了承できるわけがない。わたしが勝手に見にきてるだけなんだから。
慌てふためいて早口になってしまうわたしを見下ろして、瀬見さんは少し照れながら言いにくそうに口を開く。


「いや、なんつーか……送るってのは口実で、俺が苗字さんと話したいだけっていうか」
「え?」
「あーもう!そうじゃなくて」


がしがしと頭をかいているのは照れ隠しなのだろうか。わたしも瀬見さんの言葉が予想外すぎて驚いたのでゆっくり噛み締めていると、やっとのこと言われたことが理解でき段々と体が熱くなってくる。


「バスが来るまで話しませんか」
「はい」


申し訳ないと思いつつも、つい自分の欲に負けてしまう。わたしと話したいだなんて、都合のいいように解釈してしまいそうになる。
バス停までの少しの道のりを瀬見さんと並んで歩く。つい先週まではこんなことになるなんて思ってなくて、わたしの日常は突然にいつもの日常じゃなくなってしまった。それは勿論いい意味でだ。
校門を出て、たった五分の距離だけど夢みたいだった。話した内容はきっと他の人が聞けば大したことないと言うだろう。だけどわたしにとってみれば、瀬見さんを構成しているものが何なのか聞き逃さないように必死になるような、そんな大切なことだった。もっと話したい。でもこういうときに限って、タイミングがいいのか悪いのか向こうの方にバスのヘッドライトがチカチカしているのが見えてしまった。
残念だな。そう思って少し俯きがちになる。だけど、そんなわたしの顔をもう一度上げさせたのは瀬見さんの言葉だった。


「なあ、もしよかったら明日昼飯一緒に食わねえ?」


すごく嬉しい申し出で、頭が一瞬真っ白になる。返事しなくちゃ。何て返事しよう。考えを巡らせていると、そこでわたしは閃いたのだ。これならスムージーのお礼ができるんじゃないか、と。


「はい、ぜひ!それで、あの……瀬見さんの分もお弁当作ってもいいですか?」


ばっと顔を上げると瀬見さんは驚いた顔をしている。無理もないか。突然彼女でもないのにお弁当を作りたいと言い出した上に、今日一番のテンションの高さだ。ああ、もう恥ずかしい。もっと落ち着いた女の子になりたい。


「え?いいのか?」
「はい……スムージーのお礼にと思ったんですけど。迷惑なら全然断ってもらっていいんで」


右手を顔の前でぶんぶんと振っていると、その手をがしっと掴まれる。そして、また思考停止。状況があまりよく理解できないままその掴まれた手を見つめ、そして瀬見さんに視線を戻すとにっと歯を見せて笑うわたしの好きな眩しい笑顔が飛び込んできた。


「嬉しい!楽しみにしてる!」
「はい!頑張ります!」


ブロロロと排気音を立てながらバスが到着する。乗り込んで窓から彼を見れば「ま、た、あ、し、た」と口が動き、大きく手を振っている。あの手がさっきまでわたしに触れていたんだと思うと何とも気恥ずかしくて、その触れていたところを軽く撫でて、わたしもそっと手を振り返した。





「あれ?苗字が昼休みに教室いるの珍しくない?」


パンを両手に抱え込んだ川西くんが白布くんの前の席に座りながらわたしに話しかける。


「実は、瀬見さんとご飯食べる約束してて」


頬が緩むのを止められないまま答えてしまい、それを誤魔化すようにお弁当をがさごそと取り出す。


「へえ。瀬見さん頑張ってるんだな……イテッ」


どういう意味?お弁当を机に置いて隣を見れば、川西くんはどうやら弁慶の泣き所を白布くんに蹴られたようで悶えている。痛そうだな、なんて思いながらもわたしは締まりのない顔になってしまう。ごめんね、川西くん。


「瀬見さんも最近ずっと苗字さんと同じような顔してる……痛っ」


今度は川西くんが涙目になりながら白布くんを蹴っている。仕返しは成功したようだ。だけど、白布くんの顔を見ればそれがまた何倍にもなって返ってきそうで恐ろしい。それにしても、わたしと同じ顔って瀬見さんがこんなだらしない顔するの?信じられない。


「苗字さん、ごめん。ちょっと授業長引いて」
「いえ、全然大丈夫です!」


呼ばれてそちらを見れば、つい先ほどまで頭の中に浮かべていた人の姿があり、席を立ちながら返事をすると隣から「いってらっしゃい」と声がかかったので、わたしもそれに頷き返す。


「あいつらに何か言われなかったか?」
「いえ、特には」


瀬見さんは「ならよかった」と言いながらホッとした表情を浮かべている。からかわれなかったか、とかそういった類の心配をしてくれたのだろうか。優しいなぁ。
場所を中庭に決めて移動すると、私たち以外にも何人かそこでお弁当や購買で買ったものを食べている。それもそうだろう。ここは、大きな桜の木が一本植わっていてちょうど見頃を迎えているのだから。きっとみんなお花見気分なのだろう。ベンチが空いてるのが奇跡みたいだ。
桃色の絨毯を踏みしめながらそのベンチに腰かけてお弁当を差し出すと瀬見さんは感嘆の声をあげてくれ、嬉しいけど恥ずかしい複雑な気持ちだ。


「おおっ!うまそう!食っていい?」
「どうぞ。少し焦げちゃってるのとかもあるんですけど」
「それが手作りの醍醐味だろ」


そうなのかな。そう言ってもらえると緊張も少し和らぐ。味はどうだろう。心配していたけど「うまい」と言ってリスみたいに頬に食べ物をつめ込んでいる姿を見ると、わたしより年上には思えなくてつい笑ってしまう。


「何笑ってんだ?」
「いえ、かわいいなと」
「あ?かわいいのは苗字さんだろ。頭に花びらついてる」
「え!?」


瀬見さんは少しムッとした顔をしながらも、わたしの鼓動を早める言葉をさらりと言ってのける。頭を指差されたわたしは慌てて払いのけようとしながら、赤く染まった顔を隠すように俯いていると瀬見さんがポケットから携帯を取り出しているのが視界の端に映った。


「あ!ちょっとタンマ!写メ撮ろう!」


驚いて顔をあげればレンズがこちらを向いていて、瀬見さんはちゃっかりピースをしている。わたしは写真用に顔を作ろうと思ったけれど、時は既に遅し。彼の携帯を覗き込めば、そこには頭に花びらを乗せた間抜け面のわたしと見切れたピース姿の瀬見さんの姿が切り取られていた。


「やだっ!変な顔!消してくださいー!!」
「いやいや、かわいいだろ」


瀬見さんから携帯を奪おうとしても身長差がありすぎる。手を伸ばしてみてもうんと高いところに逃げられ捕まえることが出来ない。その間に瀬見さんは「保存保存」と言いながら画面をタップしていく。ふと顔を見れば、いたずら好きな男の子という表情をしていて、それも新たな発見だった。


「そういや、土曜日さ、実は川西と白布に服借りててさ」
「あ、そうだったんですか」
「俺、ファッションとかよく分かんねえから今度苗字さん買い物に付き合ってくんねえかな」


瀬見さんは携帯をポチポチ触りながら少しだけバツが悪そうだ。わたしもアドバイス出来るほどおしゃれでもないし、ましてや男の人の服なんてよく分からない。だけど、こうやって次につながる約束が出来ることがすごく嬉しくてふわふわと宙に浮いてる気分だ。


「わたしで良ければいつでも」
「じゃあまた部活がオフの日に頼むわ」


ああ、目元をくしゃりとさせて笑うその顔が好きだ。その笑顔がわたしに向けられているなんて現実じゃないみたい。こっそり手の甲をつまんでみると、チリっとした痛みが広がってこれが夢じゃないことを実感させられる。昼休み、終わってほしくないなぁ。そんなことを思いながら、いつもよりしょっぱい玉子焼きをゆっくりと口に運んだのだった。





帰りのSHRを終えて荷物の整理をしているとお弁当の包みにきらりと光る何かがひっかかってるのが見えた。


「あれ?これって……」


手にとって見れば三年一組の組章で、それが瀬見さんのものだということは容易に想像がつく。明日また渡せばいいかとも思ったけど、ふと後ろに掲示された今月の行事を見てみると明日の日付には服装検査と書かれてある。
このままわたしが持っていては瀬見さんに迷惑がかかってしまう。どうせ体育館にバレー部を見に行くのだから丁度いい。届けに行こう。
また話せるかも、とスキップしそうな勢いのまま体育館を覗き込んだが、まだ下級生しかいないようだった。
練習が始まってしまえば渡す機会もないかもしれないと思い、部室棟に足を向けてみる。


「名前じゃん。こんなとこで何してんの?」


部室棟の近くで立っているともう話すことはないだろうと思っていた人物の声がしてびくりと肩が震える。そちらを向けば元カレのスズキタダシがわたしに前と変わらない笑顔を向けながら近づいてきた。


「人を待ってて……」
「ふーん。そうそう、お前に聞きたいことあってさ。俺とつきあってるときどこが嫌だった?」


何?この質問。聞いてどうするの。不快に思いながら感情を読み取ろうとタダシを見るも悪気はなさそうだ。きっと好きな人とやらにアピールするために悪いところを直そうと思ってるだけなんだろう。
強いて挙げるなら、こういうところが嫌だ。振った相手に軽い気持ちで聞かないで。でも、わたしももう前を向いて進めている。タダシにもうまくいってほしいと思えるようになったのだ。


「悪いところはちゃんと直す努力がしたいんだ」
「うーん……そうだなぁ」


だから真面目に答えよう。応援しよう。そう思った。きっと、良いことが続いていて気が大きくなっていたのだ。そして同時に浮かれていたのだろう。私たち二人がこうやって話しているのを瀬見さんに見られていることに気づかないくらいに。良いことが長く続くはずなんてなかったのだ。


20170513 /ララ