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「ああ! 俺のキングが!」
「私に勝つなど、十年早い」
見たところ、ヴェルヴェットの圧勝だった。男は悔しそうに嘆息。名残惜しそうに壁時計を見遣り、立ち上がる。
短針は一時を指そうとしていた。昼休みも終わりに近い。
彼はワイシャツの襟を直し、一礼をした。
「それじゃな、ヴェルヴェットさん。次は絶対に勝たせてもらう」
黒い帽子を被り、猫背のまま扉を潜って行った。
それを確認して、ディスは席を立つ。そしてヴェルヴェットの向かい側、空いた座席をすかさず奪った。
「やぁ、お医者さん。随分と楽しそうな話をしていたね」
「……お前か……」
案の定、女性に迷惑そうな表情をされる。しかしディスは見なかったことにした。
嫌がられていることを承知の上で敢えて近寄るのは、一つの楽しみなのだ。
相手は、医者と呼ぶな、と彼を睨み付けた。
「医者と名乗ると、行動に制限が付く。やめろ」
するとディスは笑みを深くした。
「失礼、『お医者さん』」
そして嫌がらせついでに、片付け途中のチェス駒を奪った。
「お前、シェオールは一緒じゃないのか」
「そうだね、あの子は置いてきたよ」
悪びれず告げるディスに、女は深々と溜息を吐いた。
「少しは気を遣ってやれ……。二週間程前も、お前に置いていかれたと嘆いてたんだぜ」
「仕方ないでしょう。あの子が遅いのが悪いんだから」
反省の色、なし。自分勝手にも程がある。
ヴェルヴェットは、振り回されているシェオールが酷く哀れに思えた。
「相棒へ任務内容を伝えず、先に出発した人間がよく言うぜ……」
彼女は、出会った当初よりディスとは反りが合わないと薄々感じていたが、当らずも遠からずと言うところか。自分ルールを通して生活出来るところは至極羨ましい。
それから青年はワイングラスを口へ運んだ。しかし、ヴェルヴェットにすかさず静止を掛けられた。
「ディス、身体に障るぞ」
「おや。たかが酒で、僕が死ぬとでもお思いで」
「顔が蒼白いぜ」
仕返しとばかりに、ヴェルヴェットの口許へ皮肉った笑みが浮かんだ。
「お前は、魔科学〈ヘカテ〉を使用したばかりだと見受けるが」
違うかな、と続けた。
他の者なら灯のせいにしてしまうところかもしれない。しかし彼女は確かな観察眼で見抜く。
親友から頼まれてディスの主治医をしているのも、そのためだ。
性格の面でも能力の面でも最適な人選ではあったが、本人にしてみれば迷惑千万なことだった。
その鋭い指摘に、藍色の瞳が細められる。彼は目を伏せ、楽しそうに喉を鳴らした。
それから、気遣ってくれたお礼に助言をあげようか、と呟かれたのが耳に入った。
「ねぇヴェラ……君はギルドへ入るべきですよ」
妖しい囁きに、赤髪の片眉が動いた。
ヴェルヴェットは、藍色の中に狡猾な光が宿ったのを見逃さなかった。この目をする時は、大抵良いことがない。話し相手にとって都合の悪いことを言及する時の目なのだ。
だからこいつと付き合うのは嫌いなんだ、と脳裏を過ぎった。
止めたにも関わらずワインを飲み干す青年へ、科学者は「意味が分からんな」と返した。
「あーあ……君は名医のくせに頭が悪いんですね」
ディスはわざとらしく両手を上げ、上を向いた。一々癪に障る。分かってやっているところが、救い様がない。
彼はチェス盤を開き、クイーンを取り出した。「良いですか、このクイーンはギルドです」と当てはめる。
「わざわざ言う必要もないでしょうが、ギルドはクァージ国家の要。そして精神的支柱です」
「認めよう。ギルドが無ければクァージは潰れていたしな」
その通りだと頷く。すると、まさしくそれが問題点なのだと彼は告げた。
青年曰く、ギルドは少々力を付け過ぎた。軍事面に置いても、民の信頼に置いても。ギルドが蜂起した場合、国軍など戦闘部隊の前に為す術もなく粉砕されてしまうに違いない。
そして万が一国王が保ち堪えたとして、長く保てるはずもない。
ギルドが持つもう一つの顔――剃刀のような文人部隊が待構えているのだ。軍事、知略どちらにおいても国王に勝機はない。
だがここで、一旦ヴェルヴェットが口を挟んだ。商人についてだ。
ギルドも商人の支援で成立っている。彼らが渋れば上手くいかないだろうと。
するとディスは、明らかに見下した笑みを浮かべた。
「今こそ商人達は国王の前に平伏しているけれども、ギルドに力があると分かれば途端に寝返るに決まっているよ」
そうは言っても、貿易の問題が商人の心に引っ掛かるであろう。
しかし他国が国王に貿易権を認めている本当の理由を理解させれば、味方に付けることは容易だ。
するとすかさず、「理由とは何だ」と切り返された。
青年は頬杖を付き、嘆息した。
「分かりませんかねぇ。他国がなぜ自由な貿易を推奨していないか――国家に貿易権利を認める裏で、彼らに何を望んでいるか」
「……民衆に対する、統制力及び圧力か」
的確な返答に、ディスはにこやかに微笑んだ。
やはりヴェルヴェットと話すのは楽しい。彼は再認識し、満悦な笑みで続きに集中した。
「然り。そしてそれは、産業の弱い国ほど顕著でしょうね」
他国が保護貿易――自由な貿易を推奨せず、あらゆる規制をかけた貿易――を行なう裏には、自国の産業を発展させ、甘い蜜を独占したいと言う渇望が潜んでいる。
ならば必然的に、商人達を統制し、勝手気侭な取り引きをさせない努力が必要になる。
「そこで、国で最も力ある国王にその権利を認め、代わりに統制させると言う訳か」
「見掛けだおしな知者が考えそうなことです」
しかし、ギルドが権力を握ればどうだ。その統制力たるや現国王をも上回ることは目に見えて明らかだ。
他国もギルドを権力の媒介として認めざる得なくなる。
そして貿易が通常通り再開されると分かれば、どうして商人達は反乱資金を渋ろうか。
「だから君も今のうちにギルドに所属して、媚びを売っておくべきだ」
ディスは意地の悪い微笑みで付け加えた。この一言でヴェルヴェットは全てを悟った。助言など全くの嘘っぱちだったのだ。単に嫌がらせの続きをしたいだけ。
そもそもこの青年が他人のために為すことと言ったら、金の入る仕事か、己の欲求を満たすことのみだ。
今回は優越感と称された後者だろう。
ヴェルヴェットは苛立ちを覚えながら、しかし論理を重んじる科学者らしく冷静に話を吟味していた。
ディスの話は、確かに筋は通っていた。理論上は可能だ。
いつだったかシェオールが、「ギルドとレダン国の六大伯が時々重なるんです」と零していたことがあった。
どこが似ているのかと尋ねると、彼は「power」とシザール語で答えた。
その時は意味を理解出来なかったが、力を付けた諸候が皇帝に反旗を翻したこと、ギルドにもその可能性がないと断言出来ぬことを暗に示していたのか。
しばらく後、ヴェルヴェットは重い口を開いた。
「理論は通る。だが、机上の空論に過ぎない」
「へぇ……一体、何故?」
すると彼女は、ディスの手から白のクイーンを奪い、同色のキングの隣りへ並べた。
「ギルド長は、国王の従兄弟だ。仲が良いのに、反乱など起こすはずがない」
「しかし、『やる気のない』発言で国王のイメージダウンを起こした張本人でしょう」
「正直過ぎるだけだ。私は、フィリップのことを昔から知っている」
だから有り得ない、と断固主張する。それから、お前も上司のことを悪く言うものじゃないと厳しくたしなめた。
譲らぬ口調にディスは口を閉ざすしかない。形の良い唇が一文字に結ばれた。彼が指先でチェス盤を叩くと、硬い音が響く。
ディスは思案深げに目元を覆い、しばらく何も発さなかった。
しかし不意に、口角が上げられた。男から笑い声が漏れてくる。
その声が次第に大きくなると共に、ヴェルヴェットは木が裂けるような音を聞いた。
「……?」
嫌な予感がして、視線を手元へ落とす。と、チェス盤と机にヒビが入っているではないか。
彼女が驚いて身を引いた途端、机諸共チェス盤が砕け散った。派手な破壊音が鼓膜を震わせる。青年の仕業だ。
ヴェルヴェットは舌打ちをした。不必要にヘカテを使うなと、幾度忠告したことか。
素直に聞き入れると思っていないが、己の管理くらい自分でなせと言いたかった。
周囲から注がれる無数の視線を感じながら、彼女は紡がれる言葉に耳を傾けた。
「ああヴェラ……僕は一つ、君に教えてあげなければならないね」
笑いを含んだ声が、猫なで声へ変わる。いつになく優しい声色が、酷く気味悪かった。
それからディスは立尽くす科学者へ向かって、満面の笑みを投げ掛けたのだった。
「明日以降も、君の親友が息をしているなんて確証、どこにもないんだよ?」
その笑みを見て、ヴェルヴェットはある記憶を思い起こした。
ヴェラ、お前は必要以上にディスと関わるな――フィリップに言われた言葉が、今しがた漠然と理解し得たように思えた。
続く
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