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二章 緋色の国王
第十話 紅い羽根
クァージ都心の片隅に、古びた居酒屋「紅い羽根」はあった。ご察しの通り、店名は不死鳥より取られている。
そこは半世紀以上続く老舗として広く親しまれており、木造の店内はゆったりとした設計となっていた。
壁に飾られているのは、紫紺に染まるラシーヌ湖。その深い色が気持ちを鎮める。
荒れくれ者もギルドの強面も、この店へ訪れる者は皆表情が柔らかくなるともっぱらの噂だった。
店主の性格がそうさせているのもあるのだろうか。
親から受け継いだ店を自分と他数名だけで切り盛りしていたが、あまりの盛況ぶりに、近々人員募集も考えていた。
ところで、老舗「紅い羽根」の利用客はクァージの中層から下層まで実に幅広い。
昼は学者や科学者、自営業などの中流層、夜はいわゆるブルーカラーの労働者、ならず者まで様々。
しかし好評を得ている「紅の羽根」にも一点だけ、人々が頭を抱える難点があった。
太陽光を中へ入れるための大窓だ。
普段は心地よい風を招入れ、労働で流した汗を乾かしてくれる。
しかし晴れた日は、光輝く首都の象徴が垣間見え、神聖〈ベネディスク〉の名に相応しい威光を放っているのだ。
皮肉なことに象徴たる王宮もまた、不死鳥を連想させるものだった。
「おやっさん、タダめし二つ!」
「はいはい、もうちょっとお待ちくださいね」
四年。
これはクァージで立て直しが始まってから流れた年数だ。貿易も再開され、経済状況は日に日に回復へ向かっているとの見解が示されている。
だが下位層の人間にしてみれば、戦争終結後と何ら変わらぬ生活だった。
戦火に怯える日々が過去ったことに安堵せども、先の見えぬ未来。家を失って以来ろくな職にも就かず、各地を流浪している市民達も珍しくないのだ。
そして「紅い羽根」には、そんな下町の人間も多く集まっていた。
「なあおやっさん、クァージはどうなっちまうんだろうなー」
「おや、それはどういう意味ですか」
「なんだよ知らない訳? この国の王にはさ、政治能力がないんだと。甘やかされて育った、無能なぼっちゃんだよ」
――国王は無能。
この言葉は、クァージが貧困から抜け出せぬ原因を如実に物語っている。
なぜなら、若き国王は政治に関心を示さないのだ。全て臣下任せ、戦争以外の政治を知らないと批評する者もいる。
しかし国王の従兄弟は、その噂を全面否定していた。
才覚がないのではなく、やる気がないだけなのだと。
むろん、この馬鹿正直なフォローは国王に対する反感を更に煽った。
最早あぶれた人間達にとって、国王の威光など腹の足しにもならない。それは単なる自然の光に過ぎず、「王に注がれし神聖なる御光」など愚かな戯言と等しい。
三つ編み赤髪の科学者に言わせれば、「人間に注ぐ光など皆同じ」だろう。
そんな「威光」を天気の良い日に注がれては、美味しい食事も不味くなると言うものだ。
なんとかしろよ、としょっちゅう苦情が来る。だが、そこはやり手の店主である。持ち前の陽気さと人の良さで、客の足が遠のくことはなかった。
「おやっさーん、まだかー?」
「はいはい、ちょっと待ってくださいね。すぐ出来ますから、すぐにね――ほらほら、出来た。出来ましたよ」
巨大なフライパンから、魚と貝が焼ける香りが漂う。するとお客の一人が不平を漏らした。
「今日は魚貝か。なあ、肉にしてくれよ」
「では明日、鶏肉のトルティーヤにしますよ。トルティーヤに」
「明日ぁー? まあ……おやっさんの飯は上手いから、許す!」
「どうも、ごひいきに」
今日の「タダめし」は、魚貝のパスタらしい。
不況により仲間の老舗が次々と消えていく中、「紅い羽根」盛況の秘密がここにあると言っても過言ではない。金のない旅人や貧しい人々へ、タダで料理を分け与えているのだ。
巷では「タダめし」の名で知られている。
それは元々、戦時中家を失った人々へ施していたものだったと言う。その噂が各地に広まり、何時しか店の目玉になっていた。
そのお陰で集客力が高まり、繁盛してる訳だ。
言うまでもなく、長く親しまれているだけあって店主が振るう料理の腕は確かであった。
脂ぎった料理に埋もれている上層の貴族より、中層の人間達のほうが舌は肥えていたが、その彼らでさえ舌鼓を打つ程だ。
店側は、そのメニューの資金ぐりがどこからなされているのかと言う問い掛けに、決して秘密を明かそうとはしなかったが、文無しでも食事にありつけるのだ。文句は言えまい。
――だが、裕福な人間達にも体面と言うものは存在した。というより、彼らの人生の半分は体面で成立っていると言っても差し支えないが、食費へお金を掛けないことに多少なり気後れがあったのだろう。
えてして埋め合わせをすべく、他の品も頼む。「紅い羽根」のは収入は、実質それらで賄われていた。
「二十年もののワイン一つくれませんかね」
「おや、残念ですが、そんな高級なワインはおいておりませんよ」
「はは、知ってます。言ってみただけですから。……では、一番安い赤ワインを」
「はいはい、ありがとうございます。ヴェルヴェットさんのテーブルですね。今すぐに運びますよ、今すぐに」
店主はひっきりなしに掛かる声へ対応しながら、香辛料を振り掛けた。
出来上がった料理を皿へ載せると、待構えていたウェイトレスへ。猫っ毛の店員は素早く腕に載せ、足早に客の許へ去っていった。
それから店主は時間を確認し、年期の入った前掛けを取り外しにかかった。
そろそろ宿屋の掃除をしなければならない。彼は居酒屋の二階で、宿屋も経営していたのだ。
「あー忙しいです忙しいです」
彼は額に浮かんだ汗を拭った。仲間に後を任せ、バンダナを巻き直す。
すると厨房を出たところで、見知った顔を認めた。
その青年は長い外套を羽織り、壁へ寄り掛かっている。ただそれだけなのだが、酷く様になっていた。
店主が「おや」と声を上げると、青年は軽く顔を動かした。
「相も変わらず、盛況のようですねぇ」
「ディス君! おかえりなさい。元気そうで何よりです。ええ、ほんとに何より」
繰り返す癖のある店主に、ディスと呼ばれた青年は軽く笑みを浮かべた。
常日頃の皮肉った微笑とは違う。眼帯の間から覗く藍色は鋭利だったが、彼と話す時だけは幾分優しい光を灯していた。
すると店主は満足したように相槌を返す。
そして、今日の宿はどこにするのか。まだ決まっていないなら、是非泊まって行って、色んな話を聞かせて欲しいとにこやかに語った。
「湖に行ってたんでしょう。いつ帰ってきたんですか」
「今日の朝ですよ」
「では疲れているでしょう。掃除をしたら二階でお休みなさい、二階で」
起きたら酒の肴にお土産話を、と。それに対し、ディスは了承の返事を返した。
普段なら、他人へ任務の話をするなど死んでもごめんだ。
しかし、彼にとってこの宿は我が家も同然。世話になっている店主へ、多少なり心を許していても何ら不思議ではない。
「怪我もないようで」
「心外ですねぇ。この僕が怪我をするはずがないでしょう」
「だから誇らしく思っているんですよ、誇らしく」
店主が彼らと出会ったのは、おおよそ二年前。ディスがまだ昔の名前――『ゲヘナ』と呼ばれていた頃、妹と共にこの国へ流れ着いた時であった。
二人は厳冬の山脈越えをやり遂げたばかりで、非常にみすぼらしいみなりをしていたと言う。その際ギルドの長に拾われ、食事を分け与えるために「紅の羽根」へ連れて来られたのだ。
「全く……無料〈タダ〉メニューなんてよくやりますよ」
青年はねっとりした嫌味を放つ。
「報酬がなければ、仕事を引き受ける意味がないと思いませんかね?」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。年寄りの私にも出来る社会貢献ですから」
気の良い笑みに、ディスは呆れたように首を振った。
そこに店主は軽蔑混じりの笑みを認めて、次に発せられる内容を察する。
すると案の定、「社会貢献と言うのは、回り回って自分に何がしかの利益が返ってくることが前提にあってするものだ」と持論を聞かされた。
「国なんぞに貢ぐより、己の私腹を肥やしたほうが賢明でしょうに……」
しかし、この台詞をディスが言ったところで説得力はなかった。無料メニューの資金元は、他ならぬこの青年なのだ。
彼もまた、間接的ではあるが、自ら無意味と称す社会貢献をしていることになる。
その矛盾の裏に何があるのかは、本人のみぞ知ること。
だが、シェオールに二ヶ月間延々と頼み込まれていたとか、散々渋った挙げ句、一年分のお小遣いと引き換えに承諾したとか。
様々な理由はあれど、人間誰しも持っている特定の感情によるものだと、僅かな希望を込めて語りたい。
それから性善説信望者の店主は、断りを入れて二階へ上がって行った。
青年はすることもなく、カウンターに向かう。一画でチェスを嗜む赤髪を横目に、腰を降ろした。
「ヴェルヴェットさん、知ってるか。クァージはこの先、レダンの歴史を踏襲することになるんじゃないかって噂」
「ああ……先日の学会でも、仲間が似た様なことを言っていた」
チェス盤に向かい合う二人は祖国の行く末を案じ、噂話に花を咲かせていた。
斜め後ろの席だ。
一人は銀髪を短く刈り込み、片眼鏡を掛けた男。学者の風体をしている。そしてもう一方は、長い赤髪を三つ編みにしている女だ――綺麗な男と捉えられぬこともない。
ディスはヴェルヴェットと呼ばれた女とは顔見知りだったが、背を向けているために相手は気が付かぬ。
女は「しかし」と先を続け、次のターンを待った。
「現実味のない話だ。あの国と違って、クァージの民は反乱を起こすだけの財力を持っていない」
「でも、商人がいるだろう」
「それはない。この国の商人は、国王の名の下で潤っている」
とワインボトルを傾けた。
銀髪は、ふむと頷く。ヴェルヴェットの言うことは一理あった。
国交回復したとは言え、完全な自由貿易を承認している国は少ない。
例えクァージ国王が自由貿易を容認したとしても、国家の印がなければ他国は――とりわけドーラ国や弱小国アイリスは、取り引きを拒否するだろう。少なくともあと十年は、国王の「威光」が必要だ。
それから女は駒を一つ動かし、チェックメイトを唱えた。
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