は、は、と荒い息を漏らす。
気持ち悪い他人を受け入れて。
あーあ、気持ち悪い。心地良いものなんてこれっぽっちもないや。
久住はぼうっと意識をそらす。
人間的に好きだな、優しくしてくれるなと思った男はすっと、姿を消した。
彼がいなくなってから痛くて。
ずっとずっと胸あたりが痛くて痛くて仕方がない。
死んじゃうのかもしれない。
ああ、やっぱり。
奴隷なんか。
そう考えると、また胸あたりがきゅうと痛んだ。
「久住くん」
狭い牢に押し込められて。
自分よりは大人っぽい少女が、にこりと久住に話しかけた。
久住は少女を見て、ふにゃりと表情を綻ばせる。
「珠希」
太陽みたいな少女。
自分の、大切な人。
いいやまぁ、この想いは一方的矢印ではあるのだけれど。
少女は、ゆっくりと目を細めた。
「ずいぶんと悲しい顔をするのね」
「……俺が?」
「君が」
久住は首を傾ける。
「今日は久住くん、訓練ないの?」「……たぶん」
「じゃあ、遊ぼう!おままごと!」
年の割に少女は幼い遊びを提案する。
こんな生活をしているのに休まずに遊ぼうなんて、酔狂な少女だ。
「刹那くんも!遊ぼう!」
「……眠いし、あそばない」
珠希が呼びかけた男は最近──といっても数年前だけれど、とにかく久住よりも幾分か後にここに来た人間だった。
最初は悲しそうな顔をしていた、怯えていた少年は青年に近付き表情も消え去って。
大体の人間がそうなのだから、寧ろ珠希や自分が、笑顔を浮かべられるのが異常なのだろうなんて久住はどうでも良さげに考えた。
刹那は眠たげに目を擦ってみせてその場を立ち去る。
ふいに、ぐぅと久住のお腹が鳴る。
あぁ、そうだ。今日はご飯もらえなかったなぁ。
睡眠を取って飢えを凌いだ方がいいのかもしれない。
久住の肩を珠希はぽんと叩く。
「おままごとしようって言ったじゃない」
彼女が手に持っていたのは、パンだった。
「あげる」
「え、でも」
「私は他の物、食べたもの」
彼女は女神のように笑った。
あれから、いくらだけの時間が経ったのだろう。
時間もよくわからない生活を送っていたからわからないけれど、とにかくうんと長い期間が経過した頃だったはずだ。
槇田珠希は、弱い奴隷の子たちのように的になった。
何で、彼女はずっと、ずぅっと、俺の前からいるのに。強いのに。
何で、今更。
やだ、殺さないで。
そんな彼女の願いも虚しく。
そこに、いつもと変わらず。
銃声が響いた。
何でどうして。
彼女は優しかったのに。
「──優しかったから死んだんだろう?」
にんまり笑っていたのはへらへらした表情をいつも浮かべる安川で。
「優しさなんていらないんだよ……最も、あの子は優しさだけじゃなかったけどね」
狂っていたから。
安川は久住にそう告げた。
「珠希を、俺たちを、おかしくしたのはあんただろ……」
「……君は今日、食べ物をもらってないね?特別にあげるから、おいで」
笑顔で。
疑わなくていいのかと疑うほど、笑顔で。
安川は半ば無理矢理久住の手を引いた。
小さな部屋に通されて、時計の針が随分と進んだ頃に目の前に出されたもの。
スープ。
お肉。
普通の量がつまれている。
毒は入っていないからねなんてけらりと安川が言った。
今更毒なんかで怖がってられるか。
口にしないと部屋から出してもらえそうにないのでそれらに口をつけた。
久住が口にしたそれらは美味しいとはとてもいえない。
でもまぁ何もないよりは良いだろうと、口に運んでいく。
半分食べた頃にゆっくりと安川が口を開いた。
「彼女の気持ちはわかったかい?」
「……彼女の、きもち?」
何だ、珠希は。
こうやって定期的に部屋に通されてご飯を食べていたのだろうか。
安川は首を揺らして、唇で弧を描く。
「あぁ、ごめんね。分かりづらかったかな?じゃあ
──槇田珠希は、美味しかったかな?」
久住の手からからんとスプーンが落ちた。
槇田珠希は美味しかったかな?
は?彼女が、美味しい?
つまり、それは。
俺が、俺が、彼女を食べたってこと?
これ、この肉は。
このスープは。
──槇田珠希だったもの。
理解した久住は反射的に胃から全てを吐き出そうとした。
安川は声をあげて笑う。
楽しそうに、悪魔のように。
「わかったぁ?あの子はオトモダチを食べてたんだよ、今の君みたいに、困るんだ、才能のある奴隷を食べられちゃあ、売上が減るだろう?良かったねぇ、あのまま彼女が生きてたら、君も殺されてたかもしれないね」
聞こえない聞こえない聞こえない聞こえないキコエナイ。
嘘だそんなことしない。
珠希はそんなことしない。
彼女は太陽みたいな存在で。
みんなに優しくて、
「……うえっ」
だから、
だから、
あいつが悪いんだ、小野寺刹那、そう、あいつが珠希を撃ち殺した。
罪もなく優しい彼女を殺したんだ彼女を無抵抗の彼女を殺した。
──許さない。
俺は、絶対に絶対にぜったいにゼッタイに小野寺刹那を許さない。
「あぁ、可哀想だなぁ、こういう逃げる子って」
安川の嘲笑も、久住の耳には届かなかった。
安川は用事があるのか部屋からいなくなった。
ちゃんと戻るようにと、久住に告げて。
部屋からいなくなった安川のことなんて久住はこれっぽっちも気にしなかった。
ただ目の前の、冷めたスープと肉を光のない目で見つめている。
「……珠希、」
ふざけた狂言だと信じたい。
だけどもう彼女は死んだ。
狂言であろうとなかろうと、彼女はもうここにいない。
「……何でぇ?」
なんでみんなおれのまえからいなくなるの?
久住は胸の痛みの正体に気がついた。
──ただ、愛されたかったのだ。
こんな場所にいるからこそ。
家族の、恋愛の、どんな形でもいいから。
ただただ、愛されたかった。
それだけだったのに。
久住は涙を落としながら、そこにあるスープと肉を口に運んだ。
気持ち悪さもこみ上げてくる中、無理矢理運んでみせた。
あの男が言った言葉が本当なら、
珠希と同じ行為をすれば彼女に近づけるかもしれないと思った。
珠希はここにいる、なんて自己満足のように思いたかった。
愛されたがりのカーニバル
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