アイリス。
体調はどうだ?
何か違和感とか、ないか?
飯は口に合うか?そうだろ、ここの飯は何気に美味いんだ。
他の奴と話をしてみたいとかは?いいのか?
毎日繰り返す言葉にも、不必要な事が増えてきた。
つまり、あれだ。
俺はアイリスと、会話を少しでも多く交わしたいのだ。
軍医の仕事をこなして、アイリスの様子を窺って。
大変だけれど、それでも構わないとすら思う。
「睦月さんは優しいのね、捕虜なんかとお話してくれて」
「俺の好きでやっていることさ、気にしなくていい」
彼女の表情も徐々に増えつつあった。
毎日毎日、会話したことは覚えてくれていないのだけれど、それでもどこかに変化はあるのだ。
反復学習、もしかしたら効果的なのかもしれない。
変化を生み出すという点で。
「……私は、あなたのことを知っているの?」
「……はじめまして、だろう」
驚いた。
彼女からそんなことを言うとは。
アイリスは元々、忘れているという行為はわかっていたのだ。
何を忘れていた、かまでは考えようとしていなかったのに。
「あなたを、忘れてしまっているの?」
「……」
寂しそうな顔。
無言で肯定されてアイリスは睦月に寂しげに笑いかける。
「ごめんなさい」
「謝るな」
仕方のないことなのだ。
だって、そう、彼女は記憶障害なのだから。
「怖いの、何を忘れているかって。私は、大切な人も覚えられない、から」
彼女は俯いて、今にも泣き出しそうだった。
やはり彼女は変化している。
覚えられなくても、それだけでも十分な成果だ。
「俺が教えてやるから」
何度でも。
昨日はこんな会話をしただとか。
あの人間は、この人間はこう関わって、こんな関係性だとか。
全部、全部教えてやるから。
「あんたが望むなら、何度でも教えてやる。毎日、伝えてやる」
彼女と同じ目線になるようにしゃがみ込む。
牢ごしに、視線が合った。
「優しいのね」
「……あぁ、前にもあんたに言われたよ」
笑いかけて、今日はもう行くと告げる。
「また明日」
「えぇ、また明日」
記録書は大分、分厚くなってきた。
あぁそうだ、血液の検査結果が出たな。
党首の所へ行くか。
お偉い女のいる元へ、睦月はゆっくりと歩を進める。
失礼します、と形式的な言葉を出して、部屋に入った。
「瀬谷川軍医、お疲れ様」
「お疲れ様です。例の捕虜の検査結果が出ました、こちらです」
紙束を机に置いて渡す。
党首は目を通しながら、小さく頷いた。
「検査に異常値は出てません。記憶障害が見られるので、そこに影響を与えるような場所、の手術があったものかと」
「なるほど」
「──つまり、兵士にリスクを負わせる可能性がある」
同じことをすれば、同じ、記憶障害を呈する可能性が高い。
まだ、どこが普通の人間と違うのかわかってすらいないけれど。
「俺はこの手術、お勧めできませ……」
「解体せ」
「……は?」
ばらせ。解体せ。
彼女を、アイリスを?
あぁ、わかりきっていたことだろ。
解体して、どこが普通じゃないのかを見るんだろ。
「……了解しました」
──情を移してしまえば、それまでだと。
こんな世界で、当たり前のことなのに。
悲哀
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