毎日毎日彼女の好みはちぐはぐだった。


「アイリス」
「なぁに?はじめまして、あなたは誰?」

この言葉ももう聞き飽きた。

アイリス。
そう呼びかければ彼女は反応してくれる。
それは睦月に「名称を覚えた」と錯覚させる。覚えてるはずはないのに。

「はじめまして、俺は医者の瀬谷川だ。どこか体調が悪かったりは?」
「大丈夫よ」


毎日こんなやり取りの繰り返しだ。

「アイリス、トランプはわかるか?」
「カードゲームでしょう?」
「神経衰弱をやろうと思うんだが、ルールはわかるか?」
「数字を合わせればいいのでしょう?」

ルールはわかっている。
ならばと睦月はトランプを並べていく。

最初はアイリスから。
順々に行い、大体同じくらいのカード量獲得で終わった。

……ふむ、その場の記憶力は問題ない。
明日になったらこの遊んだこともわすれるのだろうけど。
複雑だな。


「俺の名前は覚えているだろうか」
「瀬谷川さん、だった?」
「あぁ、正解」

当日なら対人でも復唱は可能か。
次の日になれば、次に会えばきれいさっぱりになる。

境目はどこだ、睡眠だろうか。
日付の境目だろうか。
そんなこと考えたって、仕方がないのだろうか。







「……の、……」
「んあ……」
「軍医殿」

睦月がゆっくり目を開けるとそこにいたのは刹那と春樹だった。

「むつきち大丈夫?寝てないの?」
「調べ事しててな」

睦月の調べものというのは記憶障害について。
やはり何度も繰り返し学習を行うことがリハビリ、らしいが。
アイリスにその常識が通じるのかどうか。

「党首から。検査の結果はまだかとお声がかかってましたけど」

「……そう簡単に血液検査の結果がでるもんでもねぇわ」

ただでさえ設備がまともでもないのに。

党首はそんな検査をしてどうするつもりだ。
我が軍でも強化人間制作しようというのか。

刹那にちらりと目を向けてみる。
我が軍期待の兵士。
ナンバーワンの対人能力の持ち主だ。
近距離戦で彼にかなう人間などいないに等しいだろう。

「……何ですか」
「お前、真っ先に人体実験の標的になるだろうなと」

思って。
その言葉に不平を言ったのは春樹だ。

「んなことしなくても刹那強いじゃんか、リスクなんていらねぇ」
「弱いものを引き上げるよりは、強いものを強化する。そんなもんだ」
「人体実験のご予定でも?」
「あるかもなって話」

適性、耐性が大切になる。
そうでなかったらやっこさんは人体実験によって強化人間の大量生産をしてるだろう。

沢山失敗して、沢山死んでいった中で、
彼女、アイリスは唯一の成功作だったのだ。
成功作とは言い難い。何せ障害を伴っているから。


もし、強化人間制作方法なんてわかってしまえば、それを行う人間は軍医であり技術も申し分ない睦月に向かうわけで。
つまり、失敗することで人を殺していくのだ。

「俺は、したくねぇな」

ひとごろし。

だって怖いだろ。
そんなことするのは軍人の役目だろ。

あぁでも、救えなかった意味では俺は大量に殺してきたな。


「……あの子どうなった?」

春樹が控えめに睦月に問いかける。
あの子、とはアイリスのことを指しているのだろう。

「まだ、生きてるよ」

睦月は目を細めて笑ってみせる。
安心させようという算段なのかもしれなかった。

まだ。
その言葉に、春樹は顔を歪ませた。
その言葉は、いずれ彼女は命を失うと示唆していた。


俺も歪ませたいよ。


捕虜。
奴隷。
殺し合い。

嫌な時代に生まれてしまったものだ。
昔からこの国に平和な時代なんてなかったんじゃないかと思ってしまうほどで。

何も失わずに幸せになれる人間なんて、結局お偉い人間くらいなのだ。


「今更だが、どこか怪我をしたのか?」
「刹那がね」
「……」

珍しく来たなと、睦月は呟いた。
子供みたいに病院いやいやーってやつなのに。


「見せてみろ」

腕の傷は、深くグロテスク。
痛そうなのに、その人は顔を歪ませることはしない。

治療を始めれば、ようやく青年は表情を変えた。


「……ッ怪我、したときより」

いてぇ。
その言葉は俯いたことにより消える。

表情はきっと歪んでいて、下唇をぎゅうと噛んで我慢しているのだろう。


「そんなに酷い怪我だったの?」

春樹がおろおろと表情を変化させる。
治療が終わって、睦月は春樹に笑いかける。


「大したことねぇが、治るまで無理はさせんなよ」
「軍医殿、覚えてろ……殺す、絶対殺す……」
「この兵士こえぇー」

痛覚が生きてて良かったな。
大怪我しても平然と帰ってくるからちょっと心配だったんだよ。


「じゃあ俺は仕事あっから。つーか仕事増やすなお前等」
「軍医なのに仕事増やすなって!?」

うるせぇな槇田。怪我してくんなってこったろ。

涙目の刹那と驚いた春樹に手を振り
医務室を出て、地下牢へと向かう。


「アイリス」
「はじめまして、あなたは誰?」

……変化なし。

牢の中の女は相も変わらず、不平も言わずにへにゃりと笑う。


「はじめまして、俺は医者の瀬谷川だ。体調は?」
「問題ないわ」


寧ろこんな暗闇に押し込められているのだから、崩さないほうがおかしいのだが。

彼女は強がる性質があるのかもしれない。

「あんたは捕虜だろう?逃げ出したいとか、ないのか?」
「別に」
「何で?」
「戦うことは好きじゃないから」

今日の気分か。
それとも、本当のことか。


寂しそうな表情に、睦月は唇をぎゅっと噛んだ。


「あなたは?戦争が好き?」
「俺は……嫌いだな」

ぽつりと本音を零して、目を逸らす。

「お医者さんならお金を稼げるじゃない」
「人が死んでくのを救えずに、ただ見てるだけなんて手をかけるよりも苦しいもんさ」


「優しいのね」


「優しくなんてねぇよ」



こんな暗闇に女を閉じこめているのだ。
優しい人間のすることじゃない。



思えば、やっこさんの人間はこいつを助けに来ない。
やはり殺戮兵器、道具だから使い捨てだったのだろうか。

徐々に、劣勢は優勢へと傾きつつある。
こいつの存在がどんなに大きかったのかを再確認した。


「瀬谷川さん」
「どうした?」

珍しく、名前を呼ばれた。
睦月が驚いて、首を傾ける。


当日の記憶は問題なし。
昨日と同じことを記入した。



「あなたの名前を教えてちょうだい」



確かに、少しずつ。
何かは変化しているのかもしれない。

名前を覚えてくれれば、いいなんて。
叶いもしない願いを込めて

「睦月」

ゆっくりと、その名前を告げた。



変化


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