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7、手繰り寄せる光の糸



…、…、

…ーーーま、ゆうま…、悠馬…!

少し離れた場所にいた名前の声がすぐ傍で聞こえる。

僕はどうしたんだったっけ。

頭が急に痛くなって、…あぁ、そうだ。
竹見と名前の様子を見ていてそこから記憶がない。

また沈もうとする意識を引き上げて、僕は無理矢理目を開いた。
これ以上このままの状態を続けると次に起きられない気がしたからだ。



「ーーーっ…!…ぅ、…僕は…倒れてた…?」
「悠馬…!良かった気がついた…!」
「野坂君…、一体どうしたの…?」



名前と竹見が心配そうに覗き込んでいた。
配役を変えた先程の完全再現。
これはなかなか困惑する、竹見もこんな気持ちだったのかも知れない。



「…少し、目眩がしてね。
 2人が気になって探していたから、見つかって気が抜けてしまったみたいだ」
「…そうですか」
「目眩?…野坂君、キャプテンだろ。そんな事でどうするの」
「疲れていたのでは。
 新しい環境で、無意識の内に負荷が大きくなっていた…よくある事です」



ちら、と名前と目配せすると理解してくれたのか追求せず話を畳んだ。
この言動からすると竹見は僕が名前との会話を聞いていたと分かっていない。
自分が退去の一歩手前まで来ている、そんな話を誰かに聞かれていたと知ったら
落ち着くどころか余計に情緒不安定を加速させてしまいそうだ。

僕から見ても彼をこれ以上揺さぶるのは得策ではない。そう思った。



「…竹見君、私は悠馬に付き添って行きます。君はどうしますか?」
「どうするも何も、自分の部屋に帰るよ。…じゃあね」
「分かりました。それでは…」



素っ気なく立ち去った竹見の背中を見送って、名前は僕に手を差し伸べた。
立った後も肩を貸してくれようとしたけど、やんわり断った。
気持ちは嬉しかったけどこの前の練習のように、僕に寄りかかられたら
名前は多分支えきれない。

部屋へ行くまでの短い間、名前は僕が彼女と竹見の会話を聞いたかどうか確かめたりはしなかった。
ただ、どこも痛む所はないかとか頭痛は続いているかとか。
そういう一見、差し障り無いような事だけを話した後にこう言った。



「学内でも健康診断は受けられますが…学外の病院で診察して頂くのも良いと思います。
 ここでは検査しないデータもあるので、自分の状態を知るには向いていて…」



月光エレクトロニクスが医療機器を取り扱っている関係で王帝の生徒は割と優遇されるらしい。
名前も友達の宮野茜さんのお見舞いのついでに診察してもらうこともあるようだ。
『良ければ一緒に行きますか?』とも誘ってくれた名前だったが、
僕が返事をする前に丁度彼女が教員に呼び止められた。

講演会の話だろうか、何だか急いでいる様子だ。



「悠馬…」
「良いよ名前、宮野さんの病院で良いんだろう?
 近い内に自分で時間を見つけて行くから」



また日を改めて竹見にもその事を進める旨を伝えて僕はひら、と手を振った。







「ーーー…脳腫瘍、だね」
「脳腫瘍。…頭の癌ですか」
「あぁ、そうだよ。極々小さいもので、今の段階ではまだ手術が出来ないけど…」



後日、練習が休みの日に病院へ足を運んだ僕に待っていたのは検査という検査の嵐だった。
最初の検査で何か引っかかって、若干の空きがあるからと直ぐに精密検査をしてもらってからが目まぐるしかった。
もっとも、忙しく動いていたのは僕じゃなく主に院内の職員さんだったけれど。

そして長い時間待って診察室に呼ばれた後、先程の先生の話に至る。



「(名前が一緒じゃなくて良かった)」



僕自身ショックがないわけじゃないけれど、実感が持てない。
直ぐに入院してどうこう出来るものでもなかったから準備の為の猶予はまだある。
でもこんな調子ではどう考えても彼女の方が僕を案じて動いて、余裕の無い体を更に酷使しそうだった。
そういう意味では同行しなくて良かったのだろう。そう思うことにした。



「(…確か、この先の個室だったかな)」



とにかく、遅くなってしまったけれど今日のもう1つの目的
『宮野茜さんへのお見舞い』を果たして帰ろう。
不意に与えられた大き過ぎる情報を整理しながら、
以前に名前と一緒に歩いたルートを記憶の通り歩く。

探していた名前のプレートは案外すぐに見つかって、迷わず静かにノックする。



「…宮野さん、こんにちは。名前の友達の野坂です。覚えているかな…?」



反応がない。というか反応出来ないのだろう。
彼女は体はおろか、表情さえも自分の意思で動かすのが困難になってしまった。
マシになってきたと名前は言っていたけどそんなに直ぐ機能が回復する事はない。

聞こえていると信じて、開けるよと静かに扉を横へスライドさせた。
そうして一歩病室に入ると待ち詫びていたかのように
不意に電子音、否、機械の音声が響いた。



『こ…、ん…、…にち、…、わ』
「…!?」
『い…、…ら…、…し…、…や…、…い』



ばっと閉ざされているカーテンを見ると小さな肩の影が映っていた。
パッドだろうか、ボード状の端末を手にしている。
恐らくその電子音声が僕に話しかけたのだろうが、影が動いて入力をしている様子はない。
本人だろうか、勿論そうでなくてはいけないのだけど。
僕の入室を邪険にする様子はないので一応確認の為に問いかける。



「…宮野、さん?」
『そ…、…う、…だ、…よ』
「カーテン開けても良いかな」
『ど…、う…、ぞ、』



ゆっくりとカーテンレールがズレる音と共に佇んでいたのは間違いなく名前の友人、宮野 茜…さんだった。
途切れ途切れに『覚えてくれていたんだね』と言う旨の音が紡がれる。
しかし以前と変わらず表情は無い…強いて言うなら若干瞳が震えている様には見えるが。

どうやって声を出しているのかと覗き込むと、持っているのはやはりパッドで一面に50音が並んでいる。



「…!視線で文字入力している、という事かな?」
「う…、…ん。…、…も…、…ら、…、…た」
「そう…」



貰った。
送り主は十中八九、名前だろう。
どういう経緯で手に入れたかは分からないけど、開発中のサンプルなのかも知れない。
隅に月光エレクトロニクスのロゴが小さく入った最新機器は
一般家庭が手軽に買えるものでは無い。



「…友達の宮野さんが時間をかけてでも話せる様になったなら、名前も嬉しいだろうね」
「…」
「え?」



ふる、とぎこちなく僅かに首を横に降る。まだ動かしにくいのだろう。
次いで機械音が『…ひみ…、つ』…秘密、と紡いだ。
位置が近い所の文字はスムーズに出力されている。



「名前はまだこの事を知らなくて秘密にしたい、って事?」
「お…、ど、…ろ…、…かせ…」
「サプライズって事かな?女の子って好きだね、そう言うの」


ほんの少し顎を引く仕草。解釈は正しいらしい。
少し嬉しそうな気がするのは僕の気のせいではないと思いたい。



「今日、名前の代わりにお見舞いに来たんだ。
 彼女は講演会かな、忙しそうだったから」
『…、…、…し、…ん…、ぱ……い、』
「うん…、そうだね。僕も同じだ。名前は無理し過ぎる時が多いから」
『…、…』



動かない顔がじっと僕を見つめている。
見透かす様に、見定める様に。それは何だか名前が『初めて』に向けるモノと似ていた。
僕と出会って初めの頃の彼女を思い出す。
懐かしい、それ程昔の事でもない筈だけどそんな風に思った。

そんな背景があったからかは分からないけれど
僕はどこか微笑ましい気持ちになって、宮野さんへ向けて微笑んだ。
今は無機質に近くなってしまった瞳に僕が小さく映る。



『ーーー…、…の、さかく…、…ん』
「? 何だろう?」
『よ、…、…こ、…の、だ……い』
「よこの、台?」



枕頭台の事を言っているのか。
いまいち要領を掴めずにいると、追って『中』と伝えられる。
上段の引き出しには入院関連の同意書があったが恐らく指している物が違うので戻した。
そして次に開きになっている下段を開けてみた。



「…これは、…絵本?」
『…な、…か…』
「これの中?」



立てかけてあった何冊かの絵本。
その1つを手に取って、宮野さんの言う通りページを捲る。
するとそこからクリップ留めされた書類が足元にバサリと滑り落ちた。



「…!」



拾い上げたそれは研究論文の下書き。
パッと目を通した題目は
『プログラムによって出た影響を緩和する、或いは機能を回復させる有効な訓練について』。
冒頭の要旨からアレスプログラムについて事を書いているのが見えた。



「(もしかして…)」



他の絵本も同じ様に開けば、同じ様に論文が挟まっていた。
『訓練や服薬する薬品毎に発症する症状の種別について』、
『症状の寛解と悪化のサイクルについて』、
『薬剤名×××-××の人体に及ぼすリスクについて』…
この薬に関しては僕や竹見は以前から、王帝の皆は最近服用を始めたモノだった。

そして、最後に残った1つは…ーーー。



「…共同生活における、幼少期心的ケアの有用性について…」
『とち…、…ゆ、…、…う』
「うん…、これはまだまだ途中だね」



他の論文はもう殆ど完成が見えている。
もう少し追跡期間を延ばし、総括・印字をすれば立派な発表が出来るだろう。
一方、僕が読み上げた1本は本当に着手したばかりという感じだった。

書かれてある著者名は覚えがなかったけれど、これはきっと名前が書いたものだ。
ここまで深く内情が分かって、宮野さんの病室にこれらを置けるのは
彼女しか思い浮かばない。



「(ーーー…名前、君は…迷っているのか)」



多くがアレスプログラムを否定する材料の中、
この1つだけはプログラムが僕らにもたらす可能性について探しているように見えた。
何も見えない闇の中、手探りで掴んだ只一本の糸なのか。



「(ーーー…悔しいな)」



自分の歩いて来た道を信じたい気持ちがあって、
でも確証が得られなくて足掻いてもがいて。
誰かに−例えば僕に−相談したら少しは楽な筈なのに
周りに頼れない理由が確かにそこにあるのだろう。

未だその壁を打ち破れないでいる自分がもどかしい。

『僕が名前の事を助けてあげたい』。
火事の後に病院で刻んだ思いは今も変わらないまま、
僕はあの頃より前に進んで来た筈だ。

ーーーそれでもまだ及ばない。



「(単純に、賭けるモノが足りないのか)」



論文を本の中に綴じ込み、仕舞っていく中で目に付いたデータは
味覚の感度低下と服薬量や頻度を示していた。
竹見と名前の会話を聞いていたから分かる、この成果の贄は彼女自身だ。

竹見に向かって『被検体は候補生全員』と言っていた名前は至極落ち着いた、
既にずっと前から覚悟を決めていたような声だった。
尤も、今この論文を目の当たりにしたから余計にそう思ったのかも知れない。



「−−−ねぇ、宮野さん。いや…茜ちゃん」
『…?』
「…僕に協力してくれないか。僕は、名前の事を助けたい。君もそうじゃないかな」



名前は名前で自分の信じるべきものを模索している。
セオリー通りなら、この論文でアレスプログラムの問題を挙げていくという事なのだろう。
でも実の所、それは彼女にはとても難しい筈だ。

勿論、データに変な偏りを出すという意味ではない。
彼女はそういった事に余計な感情は挟まないのを僕が一番知っている。
シンプルに、完成した論文をそのまま正しい場所に突き付けられるかという事。

何故なら自分の研究成果を世に出す事は、誰かを助けられる代わりに月光エレクトロニクスの没落を指すからだ。

僕らの古巣・英才こども教育センターの大きな後援企業もここ。
元々アレスプログラム候補生をプールする役割もあった施設なのだから、
月光エレクトロニクスがプログラムを手離せば
親許を離れざるを得なかった子供達の行き場がなくなる可能性がある。

そんな不自由な選択肢、選び取るのは誰だって苦しい。
でも、本当にプログラムが害をもたらすなら広く蔓延する前に止めなくてはならない。



「(かといって…これを君1人が背負うのはどうかと思うんだ、名前)」



誰かがやらなくてはならない問題、それならば名前だけが着手する必要はない。
いずれ、理由ぐらいは知りたいけど、協力できない理由があるなら
お互い干渉しないまま真実を目指す方法もある。

僕はこれまで少しずつアレスプログラムの情報も集めて来た。
加えてこの論文…少し名前の答えをカンニングしたみたいで心は痛むけど、
これを軸に僕も僕なりのやり方で道を拓く。

それには僕だけではいけない。協力してくれる存在が必要不可欠。



「今度は僕らがアレスプログラムを『秤る』番だよ」
『…!』



ギリシャ神話の戦神、アレス。
その名を冠した人材育成プログラム『アレスの天秤』…
それに僕らは今まで いつだって試されてきた。

けれど、いつまでも翻弄されてばかりではいられない。
その為に動く時は今だ。



「(ーーーその真価、僕が見極めてみせる)」



どうかな、と重ねて問う僕。微動だにしない茜ちゃん。
今日はもうパッドの操作も疲れてしまったのか、
手から滑り落ちて布団に伏せられてしまっている。

けれど、病室から差し込む西陽の朱が
目の前の少女の瞳をジリっと燃やしていたように見えた…ーーー。











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(2019/10/1)


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