4、触れた熱で見出して
どこか異様な感情を持ったまま、僕は火の上がり続けるビルへ駆け込んだ。
ーーー結果、助けを求めていた少女は大火事から逃れた。
そして僕もまた生還した。夜が明けるまで気を失ってはいたけれど。
助けた子の退院を見送ったり、名前も知らない少年から「何故あんな事を」と聞かれたり、
火傷の他に大事がないか検査を受けたりと今日は忙しかった。
まだ昼過ぎだと言うのにもう気怠さで瞼が重い。
いくら身体を鍛え上げても気疲れには敵わないのかも知れない。
名前が大勢の前の講演から帰って来た日にやや言葉数が少なくなる理由が少し理解出来た。
「(今頃は講演の最中か…、終われば君もこんな気分になっているのかな)」
他愛ない雑談も君がいなければ『話』にもならないね、とすぐ近くの窓を見ながら今いない名前に思いを馳せてみる。
こんな事をしても離れた相手に伝わりはしないのは分かっているけれど、
昨日の鬱屈した気分と違って、今日は意識もクリアで外に向いている。
火事直前のどこまでも沈み込むような感情、本当にあれは何だったのだろうか。
降って湧いたものなのか、それとも僕の中に元からあって溢れ出たものなのか。
ただ、少なくとも普段から「流されるな」と言われる部類のものである事は何となく分かった。
「(…そういえば)」
昨日、外に出てからプログラムで服用が決められている薬を飲んでいないと思い出す。
多感な世代の僕らは自分で感情をコントロールするのが難しいから
平静の状態を保ちやすくする定期薬 服用の体制が整備されている。
その事を踏まえるとしたら、薬効が切れていたのかも知れない。
緊急事態だったとは言え、施設に帰った後 未服用を含めて今回の件を事細かに話さなければならない。
その煩雑さを予想すると気怠さを押して何かしようという気にはなれなかった。
最も、ここだとやれる事もないのだけれど。
「(少し休もう…)」
屋上に近い、当てがわれた病室のベットに横になろうとした時、
遠く薄く、『院内で走らないで下さい!!』という年配の女性の声と硬い靴底で走る足音が近づいてくるのが聞こえた。
通り過ぎるだろうかと思うくらいのスピードを感じさせた音は、僕の病室の引き戸をバン!!と勢いよく開けた。
「ーーーっゆうま……!!!」
「っ、名前…!?」
「ゆ、…っは、…っ…げほっ」
余所行きのフォーマルな服を乱して息絶え絶えの名前だった。
僕の姿を確認してずるっと膝をつきそうになったが、堪えてこちらへまた駆け寄る。
ぎゅうっと、真正面から熱が僕に重なった。
「…、…よかっ……、無事で…!」
「名前、どうして…!?」
「っニュース、観…っ」
「っ、ごめん急かして。落ち着いてからで良いんだ」
咳が混ざり、肩で呼吸をする名前。全身で酸素を探すような様子が落ち着くまでは、聞きたい事も飲み込まなければ。
相当必死で走って来たようで彼女の身体は平素と違って燃えるように熱かった。
僕がここにいる事を確かめるように名前の腕の力が強くなると、応えるように僕も抱きしめ返す。
さっきより更にお互いの体温を感じると、変な話だけれど 火事から逃れた直後より 僕は生きているんだと実感できた。
「(…あたたかい…)」
じわりと伝う温もりは、懐かしいような初めてなような、でも心地良い感覚をもたらした。
昨日浮かんだ疑問の答えが名前によって輪郭を見せる。
―――僕には生きる意味がある。こうしてそれを望んでくれる人がいる。
「―――…、すみません悠馬…落ち着きました…」
「そう…良かった」
少し彼女の体温が引いていくのが寂しいけれど、講演をしている筈の彼女が僕を見舞っている訳は聞かなければならない。
そっと力を緩めると『…!…、汗かいているのに、私…。悠馬、汚してすみません…』と珍しくハッと青ざめた名前が腕の中にいた。
***
「ーーー…じゃあ、講演抜け出して来たの」
「…はい」
現地で起きて、テレビのニュースを見ていたら火事現場へ入っていく僕の映像だったらしい。
脊椎反射よろしくホテルを飛び出して公共交通機関を乗り継ぎ、現場からほど近くにあったこの病院へ辿り着いたと言うのが経緯だった。
報道カメラが絶対的に多かったからすぐに分かったらしい。
僕はまだ『児童』の区分なので多くの人の目に晒される事はなかったが、
地上に近い病室や受付窓口は騒がしかったりしたのだろうか。
きっと同じ様に喧騒に気付いて施設職員もここに来るまでは然程かからないだろう。
そうしたら名前は何故責任を果たさなかったのかと責められる可能性が高い。
問題行動の対価は先の面々の処遇で知っている。…悪い方向にしか考えられない。
彼女の功績はプログラムにとって大きいから、少しは軽くなるだろうけれど。
「…ごめん」
「…?どうして悠馬が謝るのですか…?」
「僕が動かなければ、君が抜け出す必要もなかったから」
人間、1人で出来る事なんてたかが知れている。
冷静に考えれば、危険を冒したところで少女が助かっていたという結果は変わっていなかったかも知れない。
助けた人間が消防隊員か僕か、くらいだろう。
そう。
僕は火事場に入るのではなくあの場に留まるべきだった。
それが『正常な』判断。そして優秀な人材に求められるべき資質だった。
「こんな事になるなら、気分が塞ごうが何だろうが施設の外に出るべきじゃなかった」
そうすれば、決められた事を当たり前にこなして、訓練をして、薬を飲んで…
より正しい考え方を持てるようになった僕で君が帰るのを迎えられたのかも知れないのに。
苦しい時を耐える力と動いた後の危険を予測する力が足りなかった。
「…暗い気持ちになったら外の空気も吸いたくなります。
そんなに自分を責めないで下さい」
「でも、…それでも」
いなくなった人達のように名前がここからいなくなってしまったら、なんて想像したら耐えられない。
その上、僕がきっかけになったなんて問題外だ。そんな事になったら僕は自分で自分を許せない。
軽く足にかかっている布団を握りしめる指に力が入る。すると、そっと添えるように彼女の掌が被さった。
「名前…?」
「…ここに着いて、君を見つけるまで私…とても怖かったです。
あんな激しい炎見た事ないし、その中に悠馬が飲み込まれていく様に見えて…
もう二度と会えなかったらどうしようって…」
「…、…」
「君とのお茶会、途中で離れてしまった事も凄く後悔しました。
何か様子がおかしいと思っていたのに、どうしてきちんと話をしなかったのだろうと。
先生にもう少し待ってもらう事だってきっと出来たのに」
報道を最後まで見なかった名前は僕の安否が分からなかったようだ。
中学に上がっていない僕らは携帯を持つことを許されていないので移動中に情報を得る事も出来ない。
先の見えない漠然とした不安。傍にいる人が急にいなくなってしまうかも知れない恐怖。それはきっと、僕が感じたものと似ていた。
経緯は違うけれど一緒だよ、と 分かるよ、と名前が僕に共感してくれているように思えた。
「…悠馬も私も『正しい』行動は出来なかったのだと思います」
メディアは命を助けた事を取り上げて『勇敢な行動』と褒めるだろうし、
離れた所からその人を心配して見舞いに来たとなれば『思いやりがある』となって聞こえが良い。
でも実際、僕は自分の命を危険にさらした。
今回は僕も助けた子も無事だったけど、両方が死に至る可能性もあった。
もっと言えば、第三者がまた僕らを助けようと犠牲になったかも知れない。
彼女は講演をする役目を放って場を離れ、
その日の為に集まった大勢の人の時間を不意にする事になった。
それはこれからアレスプログラムを担う子供達の大きな躓きになるかも知れない。
分岐する未来を考えたら、僕らがした事は決して美談では済まされない。
「…けれど。目の前の人を助けたいと思う気持ちや、
大事な人を心配する事が悪い事なら…良い事とは一体何なのでしょう」
「…!」
「良くも悪くも、決まった事だけしかしなければ機械です。
自己愛だけで周りを思いやれなければ けものです。
そんな生き方を続けていたら、私達はいつか人ではなくなってしまう」
「人では、無くなる…」
真っ直ぐに僕を見る名前の瞳と言葉が突き刺さる。
名前は『今回私達は悪くない』と言うつもりはない。
僕の感じている後悔を否定する訳でもない。ただ自分の意見を言っている。
そして僕の考える優秀な人とは何か、と問うている。
「(僕の『優秀』…)」
大きく描いていたモノは、強いて言うなら全てを兼ね備えている事だった。
知能、運動能力、コミュニケーション…全てに秀で、何でも出来る事だった。
それが『一般的』だからこそ、訓練にも知識を蓄え学ぶ座学や身体能力向上のトレーニングが取り入れられている。
じゃあ、『僕』の目指すものは…?
世間の優秀と全く同じかと問われたら『YES』とは言えない。
ふと脳裏に蘇ったのは食卓にアルコールと共に突っ伏す母の姿と、それを見てどうすれば良いのか呆然とした記憶だった。
父は恐らく仕事が出来なくて家族を顧みる余裕がなかった訳ではない。
母を労わる気持ちが無かったのだ。母も父や僕の言葉を受け取る為の感度は既に失くしていたのだと思う。あるいは、自ら閉じていたのだろう。
…皆、心が足りなかった。それが僕の見解だ。
能力がなければ心の崩壊はより早くに訪れる。
かといって、いくら賢くても身体能力が高くても、結局 僕たちは『人』だ。
誰かからの気持ちがなければ壊れてしまう。そして、壊してしまう。
だから候補生は社会で求められる能力を鍛えるべく訓練をしている。
仕事を早く処理できればそれは余暇を生み、時間的余裕は心の安寧ひいては他者への思いやりを生み出すから。
しかし能力はあくまで要素だ。
僕らの言う優秀は、そこに心がなくては成り立たない。そうしなければ何も変わらない。
…小さい頃の僕らはいつまで経っても報われない。
「―――…そうだね。名前の言う通りだ…。
訓練を繰り返している内に、いつの間にかそれをこなす事が目的になってしまっていた…気づかせてくれて、ありがとう」
「…、偉そうに言ってしまってすみません。
でも、せめて君には…君だけには、私の考えを知っていて欲しかった…私達の夢を忘れないで欲しかったんです。
先生方には言えないから…」
「名前…そんな」
「本当を言うと…悠馬が火事場に飛び込んで行ったのは、宮野さん達のように精神崩壊を起こしてしまったからじゃないかって思っていたんです。
…でも、違った。悠馬は小さい頃と同じで優しい…人らしい人のままでした」
何でもないような顔をして、心の奥の奥ではひっそりと傷付いている。
名前は昔からそういう性格だ。
そんな彼女にしてみれば、自分が選定して入学した仲間が心を病んで去っていくのはどんな訓練より苦しい筈だった。
当然ながら悲しさや辛さは僕の比ではない。
でも名前はそれが責任だと言って除籍者が出た時には必ず見送りに行く。
そこで目にするのだろう、精神バランスを崩した仲間達の姿を。
その蓄積がニュースの僕の姿と重なった…つまり心を壊したサインや症状に共通点を名前は見つけているという事になる。
点と点が繋がると、僕が持つ疑いはより深くなった。
最近の候補生の入れ替わりは、単に個人の忍耐力云々の問題じゃなくやはり何かプログラムが関係しているのか。
「名前、もしかして君…」
「…危ない事なのは変わりないので、メディアの様に褒める事は出来ませんが…
君の意志と行動は他の人の未来を変えた。それは純粋に、凄い事だと思うんです」
「名前」
何か知っているのかと問おうとすれば、人差し指がそっと口元に当てられる。
「―――…今はただ、悠馬が無事だった事を喜ばせて下さい」
「…、―――…分かったよ」
まだ何か言えるような段階じゃないのか、緘口令が敷かれているのかは分からない。
けれど名前は理由もなく僕にだんまりを決め込むような事はしない。
だから敢えて深くは聞かない。
…少なくとも、今は。
「でも僕の事ばかりではいけないよ、分かってる?…名前はこれからどうするの」
「大丈夫…自分の事は自分で何とかします。君が自分自身で未来を切り拓いたように」
「…、…」
『だから心配しないで…悠馬はここで、火傷の治療に専念して下さい』と眉尻を下げて微笑む名前。
彼女は僕を優しいと言ったけれど…僕に言わせれば、彼女の方がずっとずっと優しい。
そんな名前が独り 秘密を抱えて苦しそうにしているのは見ていて痛々しかった。
「(―――今度はきっと、僕が君を助けてあげたい)」
その為には、僕自身もアレスプログラムについて調べ始める必要がある。
今は共有できる情報はなくても、同じように訓練を受ける僕にも無関係な問題じゃない。
もしプログラムに欠陥があって、危険を前提としても尚 人を呼び込んでいたなら。
本当に『ただ悪戯に犠牲者を増やしているだけならば』。
その時は…―――僕がこの手で終わらせる。
例え、『僕らがやっている事に意味がなくなった』としても。
火事の前に抱いた不安や感情は、今し方 僕の行き先を照らす指針に形を変えた。
暗がりとも取れる思考の海から明確な答えを見出せたのは
向き合うべき存在があったからだろうか。
「―――…約束だよ。しばらくしてお互い落ち着いたら、またお茶会をしよう」
「…はい、勿論」
すぐだったらと良いと願う未来へ約束の言葉を馳せれば、
名前は嬉しそうに目を細めた…―――。
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夢主との関わりが野坂君の考え方の軸になったり
行動原理になってたら良いな〜…と。
次回からやっとピカピカの中学生になります。
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[mokuji]
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