第十二章 激戦


 無線機の音声が、急に聞こえなくなった。
 丘の上に建てられたバラックの屋根で、右手に無線機を、左手に双眼鏡を構えていたシランは、双眼鏡を下ろして無線機を軽く叩いた。不調だろうか、それとも周波数が乱れたか? これももう新しくないからなあ、と手元で少しいじってみる。周波数を合わせ直して呼びかけても、橘からの応答はない。
『こちら犀川。突撃部隊はどうした?』
「こちらシラン。分かりません、急に音声が届かなくなって……そちらとは通信ができますね」
 百合川がちらと、物言いたげにシランを一瞥した。犀川と連絡が取れて、安堵に明るくなった声が耳障りだったのかもしれない。……少し遠くで話をしよう。
 シランは目だけで軽く詫びて、犀川と話しながら大股に数歩、その場を離れた。百合川の気に障らないよう、いっそ屋根を降りようかな、と階段に足を向ける。
 後ろで控えていた兵士も二人、立ち上がってシランについてきた。そのときだった。
 ――ズン、と地面が膨れ上がったような感触が足元に起こって、直後に熱風が、軍帽を吹き飛ばし、シランの両耳を後ろから包んだ。
「大尉!」
 一緒に来ていた兵士が、爆風に押されたシランの前に飛び出す。彼らに抱き留められ、頭や腹を庇われる形で宙を舞いながら、シランは無線機が青空の下で、一羽の黒い鳥のような影になるのを見ていた。
 次の瞬間には全身に、強く打ちつけられた衝撃が走った。かは、と噎せた顔の横に、無線機が落下してくる。
「シラン大尉!」
 丘の下に控えていた兵士たちが、血相を変えて走ってくるのが見えた。シランはどうにか起き上がって、自分を庇ってくれた二人に意識があるのを確かめると、一人の動かなくなった腕に自身の腕章を切って巻きつけ、感謝の念を込めて力強く抱擁した。
 その周りを、駆けてきた兵士たちが取り囲む。
「ご無事ですか、シラン大尉」
「おかげさまで。というか、一体なにが……」
「爆発です。バラックのどこかに、時限爆弾が仕掛けられていたのではないかと――」
 ――爆発?
 シランは説明を遮るように、その場に立ち上がった。遠くにいた者たちがその姿を見て、ようやく彼の無事を認識し、安堵の声を次々に漏らした。
 だが、そのどれもシランの耳に届いてはいなかった。目に映るバラックは無惨にも崩れ果て、鉄骨が針山のように突き出して、汚れた漆喰壁が炎を纏って煙を噴いている。壁の裏に住み着いていた鼠が数匹、シランの足の間を慌ただしく逃げていった。兵士たちが煙を吸わないよう、誰からともなく風上へ移動し始める。
「……百合川大尉は?」
「え?」
「百合川大尉は……、僕の後ろにいたんだけど」
 魂の抜けたようなシランの呟きに、辺りが一斉に静まり返った。鉄骨に張りついていた歪なコンクリートの欠片が、がらんと音を立てて、燃え盛る木片の上に落ちる。
 それが自分たちの立っていた屋根の一角だと気づいたとき、シランの全身の血は、氷のように冷たくなった。
「そ……んな、まさか――」
 百合川大尉、と誰かが叫び、水を操る術師たちが我に返ったように火を消しにかかった。騎蜂兵たちがその後を追って瓦礫をどかしながら、百合川の名を呼んで、残骸の中を飛ぶように駆け巡る。
 痛む足に力を入れて、シランも彼らに加わろうとした。そのとき、足元に落ちていた無線機から、緊急要請を知らせる警報音が鳴った。
『こちら包囲部隊、聞こえますか。応答願います』
「はい、こちらシラン。何が?」
『たった今、東西両方の包囲部隊が、西鬼に包囲されていることが発覚しました』
 言葉の意味が、すぐには飲み込めなかった。え、とこぼれるような声で聞き返したシランに、包囲部隊の通信者が報告を畳みかける。
『敵はワーウルフ型、その数、東西に各五十ほど』
「え……っ」
『西華兵の姿はなく――おそらくすでに、ほとんどがどこかのルートから撤退を図ったものと思われます。現在、敵は我々の様子を窺っておりますが、このままでは交戦を避けられません。数からして、増援をいただけない限り勝率は五割です。シラン大尉』
 無線機から流れてくる音声が、知らない世界の、ばらばらの音の塊のように聞こえた。
『ご指示を、お願いいたします』

 空を裂いて振り下ろされた鉤爪が、子供の身の丈ほどもある剣を、枯れ枝のように放り飛ばす。キイイ、と鳴く声は体に比べて異様に小さな女の頭の、舌のない空砲のような口から予兆なく放たれる。
「千歳!」
 ケイがその長い首に向かって、鞭打つように風の刃を叩きつけた。巨体が傾き、羽ばたきが一瞬ゆるむ。千歳はわずかな隙を逃さず、女の額を目がけて一直線に矢を放った。
「やった!」
 一際甲高い断末魔の叫びに耳を塞ぎ、霧散していくハルピュイアにほっと息をつく。しかし休んでいる暇はない。背後で上がった悲鳴に、千歳はまたしても弓を構えて矢に炎を灯した。
 ボウ、と火に包まれた脚から、鉤爪に捕らえられていた兵士が振り落とされ、呻き声を漏らす。すぐに近くの兵士たちが彼を庇って立ったが、その輪もまた、真後ろから舞い降りてきた別の翼によって崩された。
「無理だ。この人数で、この大きさの西鬼を五羽も相手にするのは」
 その翼に剣を突き立てて、鳴き声に耳を塞ぎながら飛び降りた弟切を見て、ケイが首を振った。初め一羽かと思われたハルピュイアは続々と現れ、一階の部隊はあっというまに、合計五羽のハルピュイアに囲まれる事態となっていた。
 どうやら西の非常階段に、檻を作って隠されていたらしい。開かれた檻の扉が翼に打たれて蝶番を壊され、壁に沿って、今にも外れそうにふらふらと揺れ動いているのが見える。
 その階段の先に、橘たちがいることは分かっているのに――身を守るのに精一杯で、合流ができない。誰も降りてこないところを見ると、二階も同じ状況なのだろう。騎蜂兵の数人が決死の形相で正面に立ち塞がって、上空から食らいつかんとしてくる首を切り落とした。見える残りは、あと三羽。
「一旦、脱出しよう」
 鳴き声に掻き消されて使えない無線機を握りしめていたケイが、覚悟を決めたように大きな声で言った。敵の戦力に対して、手数が圧倒的に不足している。このまま戦い続けても、こちらの限界が先に来ることは明白だ。
 二階と連絡が取れないが、こうなってはそれぞれに、自分たちの命を守ることが最優先である。きっと二階も脱出し、包囲部隊に救援を求める方向で作戦を変更しているだろう。異議を唱える者はいなかった。
「でも、どこから行く?」
「そうだな……」
 壁に手を当てて、兵士たちが顔を見合わせる。鋼のような艶を持つ、耐火性の厚い石の壁だ。どんな技を使っても壊せそうにない。
「薬品庫の非常口へ行こう。あそこのドアなら、暗証番号が分かる」
 ケイが無線機を斜革にかけ直して、全員を導くように宣言した。薬品庫なら、廊下をここから五十メートルほど戻った場所にある。
 千歳たちは無言のうちに呼吸を合わせて、一斉に駆け出した。ふいに攻撃の手を緩められたハルピュイアが、目標を見失って宙を見回す。だがそれも瞬きほどの束の間だ。緑の眼がすぐに逃走者たちを捉え、首を低くし、滑空の姿勢を取って追いかけてくる。


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