第十一章 新王都支部へ


 突撃部隊は正面入り口から支部へ突入してすぐ、百匹を超える黒犬の襲撃に遭って、二手に分かたれてしまった。階段を半分ほど上ったところで、大群が上から押し寄せてきたため戦闘を余儀なくされた。同時に正面階段の踊り場に、侵入防止用のシャッターが下ろされたのだ。部隊の前半が二階に逃げ切り、後半が一階に残されてしまった形となった。
 無線機を通して、ひとまず群れを掃討次第合流との指示があった。黒犬に紛れて襲ってくる西華兵を倒しながら、頭に入れた地図を元に、シャッターのない非常階段からの合流を試みる。百合川の声が増援を送るかと問いかけて、ナーシサスが今はいい、しかし準備をしておいてくれと答えた。
 ナーシサスも橘も、二階にいってしまっている。一階に取り残された部隊の中で千歳のよく知った人はと言えば、ケイと弟切がいた。
 弟切は無線機を預かっていないのか、誰かが二階との通信を始めると、戦いながらその様子を気にして情報を聞き取ろうとしている。千歳は意外だった。橘は通信機の一つを、弟切に預けているだろうとばかり思っていた。何とも言えない違和感を覚えながら、やっと数の減ってきた黒犬を見回したとき。
『こちら支部二階、橘。群れを掃討した。西の非常階段からそちらへ向かう』
 ケイのつけている無線機から、橘の声が聞こえてきた。周囲からわっと、一安心したような歓声が上がる。同時に一階でも、黒犬の最後の一匹が霧散した。
「こちら一階、桐尾。同じく掃討完了しました。西へ向かいます」
 ケイが素早く無線機を取って、橘に答える。了解、と返事がいくらかくぐもった声になって響いた。
『ひとまず作戦通り、三階の管制室を目指したい。上に向かえそうか?』
 ケイの持ち帰った地図によれば、新王都支部は三階の中央にある管制室で、すべての出入り口やシャッター、西鬼の檻の開閉までが一括管理されている。支部の中で、最も重要な部屋だ。ここを押さえることによって、新王都支部全体の機能を奪うことが、突撃部隊の目標の第一段階である。
 管制室には鎖に繋がれた対侵入者用の西鬼、通称白虎型が置かれている。これとの戦闘には、できる限り人数を集めてかかりたい。
「問題ありません、合流します。しかし橘少尉」
『どうした?』
「状況が少々、予想と違っています。番犬のようなものには出くわしましたが、廊下に配置されているはずの西鬼が一切見当たらない」
 ケイの報告を横で聞いて、千歳も確かに、と周囲を見渡した。作戦書ではこの辺りで、廊下の曲がり角に設置された檻から放たれた西鬼との戦闘になるだろう、との見解だったのだが。先ほどからいくつもその檻らしきものを通過しているが、すべて蛻の空なのである。
 中にいたはずの西鬼はどこへいったのだろう? 千歳はまたひとつ、自分の背丈より少し大きな檻を覗き込んで、弟切に「何もいないわ」と首を振った。
「ワーウルフ型が配置されていたはずですが、姿が見えません」
『半年の間に何らかの事情で撤去したか、あるいはすでに放たれた可能性もあるな』
「はい。あの番犬の導入といい、やはりいくらか警備システムに変更があるようです。気をつけてください」
 ケイが悔しさを押し隠した声で、淡々と告げた。昨夜、彼と巴と三人で兵営にいたとき、千歳は彼から聞いていた。本当は、この作戦は春に行われる予定だったのだと。
 だが度重なる西鬼の襲撃により、東黎軍は民間の支援にも人員や資源を裂かねばならず、なかなか大きな作戦に踏み出す余裕が持ち直せなかった。計画は何度も提示されては流れ、今になってようやく動いたというわけだ。
 ――半年もあって、何も変わっていないわけがない。僕が調べてきたことが、明日どこまで役に立つか。
 炊き出しの雑炊を飽きたように手の中でぬるめながら、そうこぼしていたケイの懸念が、現実味を帯び始めている。幸いなのは、建物の構造そのものには変化がなさそうなことだ。千歳は頭の中の地図を思い出しながら、西の非常階段と思しき階段を見つけ、先頭に立って付近の様子を見に行った。
『了解。そちらも慎重に――』
 背後の無線機から聞こえていた橘の声が、ふいに何か、金属を研ぐような音に掻き消されて途絶える。ひどく耳に突き刺さる、何か細いものが鼓膜の奥へ入ってきて頭をかき回されるような、不快な音だった。
 耳鳴りだろうか? 思わず耳に手を当てて振り返ると、他の面々も同じような反応をして耳を押さえている。全員に聞こえているのだ。ならば、周波数の乱れによるノイズだろうか?
 千歳がそろりと、耳を塞いでいた手を離したとき。
「……っ、後ろ!」
 顔を上げたケイが、声を嗄らして叫んだ。人差し指がまっすぐに、千歳の上を指している。ひっ、と誰かが息を呑む声が聞こえた。
 千歳はとっさに弓を構えて振り返り、
「キイィ――――!」
 金属音の正体に向かって、火矢を放った。
 バサッ、という羽ばたきの音と共に、甲高い声が痛みを受けて濁る。青銅と瑠璃の粉で染めたような、真っ青な羽根が辺りに散った。廊下を丸々塞ぐほどの、大きな翼。鉤爪を持つ褐色の脚。金襴の枝垂桜のように、優美に垂れ下がった尾。緑から青に色を変えていく、長い首。
 その首の上に据えられた、表情のない彫刻のような、女の顔。
「ハルピュイア……!」
 大きな孔雀のような姿をした怪物の名を、誰かが呟いた。千歳の放った矢は、その胸に深々と突き刺さっている。だが柔らかな羽毛に遮られて、心の臓までは届いていない。
 怪物は女の顔をそのままに、白目も瞳孔も虹彩もない、緑色の玉を嵌めたような目だけをぐるりと動かして、千歳を捉えた。キイイ、と耳を劈く鳴き声が、頭の真上で響く。
『鳴き声に気をつけろ! 体が』
 ザザッという音声のぶれと共に、一瞬聞こえた金属音に呑まれて橘の声が途切れた。ハルピュイアだ。この声が周波数を乱し、無線機を聞こえなくさせたのだ。つまり二階の部隊も、同じ怪物に襲われている。
(体が)
 動かない。金属の糸で脳を絡め取られてしまったかのように、立て、立って走れ、その信号を手足が上手く汲み取れない。青い影が、崩れる天井のように落ちてくる。
 は、と喉の奥で引き攣れた息を呑んだとき、千歳の前に、剣を構えた弟切の背中が音もなく滑り込んだ。


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