第十一章 新王都支部へ


「それではこれより、軍議を始めたいと思います」
 細く、奥行きのある長方形の室内を、暗褐色の木製テーブルが縦断している。向かって左に座るのは、カーキの制服に真っ赤な裏地の覗く外套を纏った騎蜂軍将校。右に座るのは、白の制服に紺色の裏地が覗く外套を纏った、花繚軍将校だ。
 奥から順に、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉と階級の高い者から並んで腰を下ろしている。少尉である橘は最も手前の、扉の近くに他の少尉たちと並んで着席しながら、遠く離れた、最も奥の席にいる一人の蜂をちらと見やった。
(珍しい顔がいるな)
 皺の入った二重の顎、口許に生え揃った金茶色の短い髭。香綬支部の支部長、雨宮である。腕に大佐の階級を示す腕章が、一片の汚れもなく輝いていた。支部長に任ぜられて三年。雨宮が戦場に立つ姿を見た日は一日もなく、彼の職場は専ら、支部長室の豪奢なデスクか黎秦本部である。
「手元にお配りした資料をご覧ください」
 突き当りの席で、蜂花両軍の中心に立って軍議の進行を取り仕切るのは、シランだ。軍帽を被っていても、その下の広がりから柔らかな癖の窺える金の髪が、背後に嵌め込まれた窓から差す光を背負って眩しい。薄いレースのカーテンを引いているだけ、まだましだが――やはり夏の日差しは貫くように鋭いな、と橘は視線を手元の資料に移し変えた。
 紐綴じされた資料の右上に記載されている日付は、七月十三日。一時はどうなるかと思われた怪我も、ひと月が経てば存外回復するものだ。
 戦線復帰後、初の軍議参加である。シランの指示に合わせて一斉に資料を捲った周囲を見て、橘も軍議の感覚を思い出したように、さっと表紙を開いた。
「二年前、我々東黎は旧王都の全土を押さえ、西華領東部、青興とその周辺まで進出を果たしました。しかしその後、国内での自然災害と、南輝との単発的な衝突に見舞われ、現在までに旧王都の三割を西華に取り返されています」
「シラン」
 ふいに、雨宮支部長が進行に口を挟んだ。
「言葉は正しく使いなさい。取り返されたのではない。奪われたのだ」
「あ……、しかし大佐、旧王都は我々の侵攻以前は西華のものでした……、そもそも、あれは大帝の地であって東黎のものでは」
「シラン」
 ずしりと、重い声がそれ以上の反論を踏み潰した。びくりと肩を縮こまらせたシランの姿から、またか、と言いたげな空気で居並ぶ将校たちが目を逸らす。続けなさい。雨宮がいとも当然のことを述べたまでのように、先を促した。静寂に喉を上下させて、シランが再び、口を開く。
「この度の軍議は、その……奪われた土地に、西華国が築いた新たな支部への直接制裁を執行する件についての軍議となります。この支部は内部の守備が非常に厳重なため、東黎ではこれまで直接的な手出しをすることは見送って、他支部との合同部隊により、物資の提供源になっている街の制圧、搬送ルートの断絶などを続けてきました。しかし近頃の西鬼による襲撃の増加は、主にこの支部から送り込まれたものである可能性が高く、新型の西鬼も送り込まれていることから、ここでは西鬼の製造実験も行われているのではないかと考えられます。この支部の活動を根本から止めないことには、いずれ今よりも大きな戦いに発展するというのが、我々香綬支部および本部の視察部隊の見解です」
 白と黒で塗り分けられた地図を簡単に確認し、一同はまた資料を捲る。
「支部の名称は、新王都支部」
 辺りにざわめきが広がった。新王都とは、ずいぶん大きく出たものだ。橘も西華の挑発的な態度に、一瞬耳を疑った。シランが一同の静まるのを見計らって、話を続ける。
「そちらに印刷した地図は、昨年、この支部に諜報員として出向いていた花繚軍ナーシサス隊兵長・桐尾ケイが作成したものです。次の頁をご覧ください。そこには彼が持ち帰った、施設が蜂花からの襲撃に遭った場合の対応行動マニュアルが載っています。内部の兵士向けに作成されたものだそうで、どこにどういった防護用の仕掛けがあり、攻め入られた場合はどう戦闘を行うべきか、非常に細かい記載がされています。この度の作戦ではこれを参考に防御の裏をかき、新王都支部への侵攻と壊滅、および西鬼に関連する実験場を奪取し、西鬼そのものの構造や弱点などの情報を入手することを目的といたします」
 つまり、支部の軍事機能は停止させたいが、西鬼に関する実験施設を壊滅させることは避けたい。だんだんと作戦の概要が見えてきて、橘はテーブルの下で脚を組んだ。爆破による襲撃で、一思いに破壊するのではだめなのだ。建物をできるだけ残しつつ、中にいる西華の兵士たちを一人残らず排除したいとくれば、こちらも同じように建物内へ入れる人間を使って戦うほかない。
 近頃いくらか西鬼による襲撃のペースが緩められているから、人員や武器、資金の減りも緩やかになって、東黎軍は潤っている。この機会に新王都支部を奪って、防戦気味になりかけていた姿勢を、攻勢に戻したいのだろう。
「作戦の予定日は、二週間後の夜。すでに本部から、各支部への援軍の要請が出されています。彼らの到着までに、作戦の大まかな工程を取り決めたいと思っております」
 よろしくお願いします、というふうに、シランが頭を下げた。いよいよ討論による軍議が始まる。椅子を引く音が一斉に響き渡った。橘も立ち上がって、周囲の将校たちに合わせて、軍帽を外して深く礼をした。

 木製の的の中心に、矢が風を切って吸い込まれてゆく。タン、と清々しい音が三本続いて響いたとき、背後から拍手の音が聞こえた。
「精が出るね」
「ケイ。来てたの」
「うん、さっき。ずいぶん集中してたみたいだね」
 千歳はええ、と頷いて、額に流れる汗を拭った。休日の午前中は、専ら自主訓練に費やされている。それは千歳だけに言えることではなく、こうして訓練場に来ていると、同じナーシサス隊の面々と何人も顔を合わせた。
「ケイも訓練?」
「まあね。あんたは、魔術の訓練じゃないんだ?」
 指摘されて、千歳はどきりと大弓を握りしめた。ケイはその青い目で何もかも見通したみたいに、ふ、と笑う。
「心配?」
「……そりゃあね。東黎を出て戦うのは、初めてのことだし」
「うん」
「西鬼以外を……、生身の人を、相手にするかもしれないんでしょ? それも初めてだもの」
 一週間前、各隊の隊長を通して伝えられた作戦の決行日が、もう三日後に迫っている。旧王都の地に建てられた西華の支部・新王都支部を襲撃する――襲撃、という言い方は使われなかったが、つまりはそういうことだ。
 ナーシサス隊もその作戦の、突入部隊に抜擢された。橘隊を含む五つの騎蜂軍部隊と、他四つの花繚軍部隊と共に、支部を正面から突破していく役割の一団だ。
 花形といえば聞こえはいいが、ようは襲撃の先陣を切る虐殺部隊に過ぎない。を外して手のひらの汗を拭いた千歳に、ケイが諭すような口調で言った。
「多分ね、僕らが戦うのは西鬼がほとんどだよ。襲撃があったらまず、廊下の角々にある檻から飢えた西鬼が放たれる」
「ええ」
「僕らが化け物の相手をしてる間に、西華兵はみんな、外へ逃げる」
「でも、そこにも蜂花が配置されているんでしょう?」
 千歳の問いかけに、ケイが寂しそうに笑った。その顔を見て、千歳ははっとして「ごめん」と言った。


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