第4章


 彼はタミアの声に、足を止めて振り返った。焚火の炎がぎりぎり照らし出せる最後の距離で、ログズよりもログズのように、いたずらっぽく微笑む。
「どうしタ? 行こうゼ」
「……っ」
 タミアはぐっと、ワンピースの陰で拳を握った。これ以上はもたせられない。騙されているふりをするには、従わなければ。
「焚火は?」
「そのままでいいだロ。居所をごまかすのにちょうどいイ」
「そうね」
 爪先で、砂地に一本、長い線を引いて。
 タミアは笑顔を浮かべ、ジンと共に歩き出した。

 真珠色の髪が夜風に吹かれるたび、月明かりがその上をうねり、鈍い光を跳ね返す。
 ――杖が見当たらない。
 緩急をもってどこまでも続く砂の上を黙々と歩きながら、タミアは前をゆく背中を見つめて、ずっとそれを考えていた。ログズの姿、ログズの服。でも、一緒に奪われて、さらに一度は自演によって嘲笑うように取り返されたはずの杖が、今も見当たらない。
 どこにあるのだろう。杖だけを消して持っていることができるとしたら分からないが、そうでなければ、どこか別の場所に置いてあるのか。ジンを倒すには、杖が必要だ。今のままのログズと自分では、分が悪すぎる。
「ねえ、これどこまで歩くの?」
「ン?」
「タフリールから離れてるわ。侵入のポイントは、あっちよね?」
 せめて何か、情報を引き出せないだろうか。
 タミアはジンができるだけ口数を少なくしているのを分かった上で、あえて揺さぶりに出た。さながらログズに訊ねるように、当然の顔をしてタフリールを指差す。大きな口のように暗闇を開けた礼拝堂が見える。あそこにいたときは、確かに杖を持っていたはずだ。
 ジンはちらとタミアを見やって、口を開いた。
「警備がいル」
「ふうん、そうなんだ」
「計画変更だナ」
 うまく流されたな、と思う。ひとまず分かったと答えて、タミアはそれとなく後ろを振り返った。
 もう、結構長い距離を歩いている。
 ログズはそろそろ戻っただろう。どこまで行ったか知らないが、この夜の中をそう遠くまで行っては、焚火を見失ってしまう。もう戻って、タミアの不在に気づいている可能性が高い。
 それを異変と見做してくれるか、はたまた「なんだ、あいつもションベンか」で済ませるかは分からない。前者に賭けるしかない。きっかけは、最大限残してきた。
「ああ、あれダ」
 祈る気持ちで唇を噛みしめていると、ジンが前方を指し示した。暗闇の中にぼうっと、白い柱のようなものが浮かび上がっている。
「遺跡……」
 朽ちて崩れ、落ちた天井が傾いて半分ほど砂に埋もれたそれは、古代の神殿を思わせる遺跡だった。タフリールの近郊にこんな場所があったなんて、と息を呑む。ここに隠れるふりでもするつもりだろうか。
 砂の丘を登りきって、もう一度その中に視線を向けたとき、タミアはあっと声を上げそうになって手のひらで口を押さえた。
 遺跡の奥の、祭壇跡だろうか、黒曜石でできた台の上に。見覚えのある杖が横たえられている。
「さてト。少し、話をしておかないカ」
「ええ……」
 クリソコーラの眸。琥珀の蛇が巻きついたような全体。間違いない。
 タミアは釘づけになって、うわの空で頷いた。ここを棲家にしているのだろうか、ジンは寛いだ様子で奥へ向かって足を進める。
 その背中が、一歩、また一歩と、後ろを向かずに歩いていくのを、一息、もう一息と見つめて。
 タミアは片手をそっと、空に翳した。
 来て。
 ここへ来て。
 私を見つけて。
 心臓から溢れた声が外へ響き、その声に応える力が、また心臓へ帰るように。体の中に、見えない力を駆け巡らせる。
 空に大輪の、音のない花火が上がった。
 瞬間、七色の光に染まるタミアの目の中で、ジンの背中がゆらりと振り返った。

 ションベン、とは使い勝手のいい言葉だ、とログズは思う。
 ナツメヤシの影が足元に揺れている。月が幾分か高くなったおかげで、少し離れたところへ来ても焚火が見えた。座り込んだ影までは見えないが、ここまで来ればタミアからも自分の姿は見えないだろう。天日で乾いた甘い実をひとつ口に放り込んで、幹を背に腰を下ろす。


- 32 -


[*前] | [次#]
栞を挟む

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -