第3章


「オイオイ、礼拝堂のヤツらがわざわざ何の用だ?」
 口調だけは平時のままに、引き攣った声でログズが問いかける。はっとして目を向けると、彼はタミアの倍以上の兵士に囲まれて、槍を突きつけられていた。ログズ。思わず声を上げて、飛び出しかけたタミアの腕を副団長がおさえる。
 同時に、自分に向けられる槍の数が一斉に増えたのを見て、タミアは全身から血の気が引くのを感じた。
「魔法使いログズ。礼拝堂爆破の罪で、神の審判を受けてもらう」
「なんだって?」
「違うんです! あの、それはこの人の姿をしてるけどこの人じゃなくて……きゃっ!」
「同行者タミア・ガザール。話は後で聞こう。貴様にも来てもらう」
 事情を説明しようと一歩、前に出た途端、鼻先に槍を据えられてタミアは息を呑んだ。そんな、と愕然としてかぶりを振る。後で聞くなんて、それはつまり一度は捕まえるということだ。
 礼拝堂に手を出したのは、断じてログズではない。だって、確かに〈見た〉――そう言いたくて空を見上げるも、そこにはもう、ログズに化けたジンの姿はなかった。
「待ってくれ、聖兵団長」
 民衆が固唾を呑んで見つめる中、沈黙を破ったのは副団長だった。剣を下ろし、ログズと相対している一人の兵士に向かって、彼は語りかける。揃いの服と武器を見て、タミアには一体誰が団長なのかなど、まったく分からなかった。
 しかし、語りかけられた男は緩やかに手を持ち上げると、目深に被っていたフードを脱ぎ、顔を晒した。
 白皙の、想像よりもずっと若い青年のかんばせが露わになる。透けるような金の髪は、西国の歌に聴く天使のようだった。
 青年はちらと副団長を一瞥し、口を開く。
「……そのバッジ、月の盾の者か」
「ああ、そうだ。聞いてくれ、彼らは――」
「捕えろ」
 え、と。たった一言、訊き返す暇さえなかった。
 どこからともなく突きこまれた槍が、副団長の手から剣を弾いた。大ぶりの剣が坂道を回転しながら滑り落ち、民衆がわっと道を開ける。白い衣がひるがえり、数人の手が副団長を抑え込むように伸びた。
 瞬間、ログズがワゴンを突き飛ばし、色とりどりの砂糖菓子が宙に舞った。
「逃げろ!」
 ワゴンにぶつかって、数人の兵士が崩れる。取り落とされた槍を拾い上げ、ログズの背中に向けられた穂先を弾いて叫んだのは、副団長だった。彼は槍を横なぎに振り払った。柄の折れる音と、布地の切り裂かれる音が続けざまに響く。人々の悲鳴が、通りに湧き起こった。
「逃げろ、ログズ!」
「きゃ……!」
 突き飛ばされて、タミアは倒れ込むようにログズにしがみついた。次の瞬間、タミアが立っていた石畳に、無数の穂先が傷をつくった。思考が停止しそうになる。どうにかしなくてはと思う意思に反して、足の力が抜ける。
 ログズは一瞬、躊躇をみせた。それからすぐにタミアの押していたワゴンを蹴飛ばし、副団長に向かっていた兵士の一群を散らすと、空に向かって腕を掲げた。
「恩に着る」
 ログズの言葉が何を意味するのか、タミアはすぐに理解することができなかった。副団長の持っていた槍が弾き飛ばされ、頭上を越えて、坂をカラカラと落ちていく音が響く。すべてがゆっくりと目の中を流れて、それなのに一言も発することができなかった。
 聖兵団長が副団長を捕らえ、無数の手が彼を拘束する。
 白い鳥の群れに呑まれる一匹の獣のように膝をつきながら、彼は顔を上げ、タミアに気づいて微笑んだ。
「灰を頼む」
 その言葉に、何かを答えるよりも早く。強い風が渦巻き、向かって来ていた兵士たちとタミアたちの間を切り離した。砂塵が舞い上がり、目の前の風景が霞む。手を伸ばしかけたタミアを、ログズが引き寄せた。
「掴まってろ」
「え?」
「落ちるな、離すな、舌噛むな。いいな?」
「えっ、なに、まさか……っ」
 そんな馬鹿な、と。言いかけた口は、足が地面を離れたことにとって咄嗟に噤んだ。風が体を持ち上げる。人、街灯、屋根。周囲の景色がどんどん高くなっていく。
 刹那、ふ、と無重力空間に浮かんだような感覚があった。
 次の瞬間には、視界がぐるりと傾き、弾丸のような速度で体が坂道を駆け抜け始めた。
「――――……!」
 あまりの出来事に、タミアは声も上げられなかった。球形の風が体を包んで、二人を飛ばしている。上下も左右も目まぐるしく入れ替わって、高度も安定しない。空が見えたかと思えばすぐ傍を木が掠め、地面のすれすれまで落ちては、通行人を躱して急上昇し、どこかの屋根を欠いた。
 眼下を、灯りの燈り始めたバザールが通過していく。
 絢爛たる月の都。
 その名を思いのままに描いたような眩しさに、一瞬、すべての状況を忘れて目を奪われた。引っくり返された宝石箱のようだ。鮮やかな煌めきの粒に囲まれて、名前も知らない人々が大勢、自分たちを見上げて口を開けている。


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