第3章


 ちょうどログズが酒場で稼いできた二万ガルムも、底をつくところだった。お金を稼ぎましょうと言ったタミアに、二つ返事で酒場に乗り込んでいこうとした首根っこを掴み、普通の仕事をするのよと力ずくで引っ張っていって今に至る。
 確かに、彼のカードの腕は便利だ。でも、いつもいつもそれに頼るのは、良心に反する。きちんと働いて堂々と報酬を得たいというタミアの訴えに、渋々ながらログズが折れ、二人で菓子のワゴンを押して歩く一日になった。
 売れ行きは、まあこんなものだろう。
 タミアが焼き菓子、ログズが砂糖菓子を運んでいた。焼き菓子の七割程度、砂糖菓子の半分程度が売れている。予想通りだ。どう足掻いてもまっとうな菓子売りには見えないログズの売り上げは、若干落ちるだろうと踏んで、タミアは傷みの早い焼き菓子のほうを自分が売った。砂糖菓子は長持ちする。最悪、売れなくても叱られはしまい。
「ああ、あの店よ」
 通りの奥に見えてきた菓子屋を指して、タミアは目を凝らした。ちょうど、ドアから店主が出てきて、看板を店の中に片づけようとしているところだった。
「店じまいか? おーい、オッサン」
 ログズが後ろ姿に声をかける。聞こえるか聞こえないかの距離だったが、誰かの声がしたことは聞こえたのだろう。店主が植木をしまおうと、屈めていた身を起こした。
 そのときだった。
「――――ッ!?」
 ドン、と轟音が鼓膜を打った。始め、タミアにはそれが音だとは認識できなかった。
 耳の中を直接平手打ちされたような、びりびりとした衝撃が走る。店主はよろけて、音のしたほうを見上げた。見ればログズも副団長も、唖然として耳をおさえている。
「なんだ今の?」
「爆発か? あ、煙が……!」
 屋根の間から立ち昇った黒煙を見つけて、副団長が坂の上を指さした。そうして「待て」とぼやき、信じがたいものを見ているように、その目を大きく見張った。
「礼拝堂が、崩れている……!?」
 黒煙に混じって、砂煙が上がっている。タミアも信じられない思いでその方角を見つめた。坂の頂上、タフリールの頂に、渦巻いていた煙が晴れていく。
 後に見えた景色に、いつのまにか集まっていた人々がどよめいた。
 礼拝堂の青い屋根に、巨大な穴が開けられている。
 ざり、とよろめきを堪えるように、副団長が足を引いた。その腿で、剣がベルトに触れて微かな音を立てる。
「一体、何があったというんだ」
「見に行かなくていいんですか?」
「行きたい気持ちはあるが、礼拝堂は我々の管轄ではない。私がやるべきことは、礼拝堂に向かう人々の混乱を止めることだ」
 我に返ったように、彼は冷静に答えた。その返事に、タミアも動揺でいっぱいだった胸が落ち着きを取り戻すのを感じた。見渡せば、通りには次々に人が溢れてきている。
 タミアは副団長の手から、ワゴンを譲り受けた。混乱が大きくなる前に、せめて残りのお菓子を店に返さなければと思った。
「副団長さん、気をつけてね。私たちは大丈夫ですから」
「ああ、すまない。君たちもすぐ安全なところに避難するようにな」
「ログズ、行きましょう。道がいっぱいになる前に、通っておかないと……」
 黒煙をじっと見上げていたログズが、ああ、と同意してワゴンに手をかけた。そうして二人と一人、それぞれの方向に離れようとしたとき。
 路地の角から、白い鳥の一群のようなものが、坂を駆け下りてくるのが見えた。
「……んん? ありゃ確か……」
「何? あれ」
 ログズがターバンの奥から、彼らに目を凝らす。白い群れは、人だった。純白の長衣に身を包み、鳥の翼のように金と白の旗をひるがえし、もう片方の腕に銀の槍を掲げた、揃いの一群だった。
 驚いて道を開ける人々を突き破るように、彼らはどうどうと坂を駆け下りてくる。
「聖兵団じゃないか。どうして今こんなところに」
 副団長が呆気に取られたように言った。耳慣れない単語に、タミアは彼を振り返る。
「聖兵団?」
「礼拝堂の警護を専門にしてる、特殊集団だよ。礼拝堂に関する事件や事故は私たち民間の管轄ではなくて、彼らが処理することになっている……のだけど」
「じゃあ、今って礼拝堂にいなくちゃならない……わよね?」
「……そのはずなんだけれど、向かって来てないかい? こっちに」
 地鳴りのような足音がみるみる近づいてくる。礼拝堂に仕える兵士というにはあまりにも猛々しい様相に、タミアは狼狽えて、ワゴンをどかそうとしていたことも頭から飛んでしまった。どうしてだろうか、ひどく嫌な予感がする。
 空で何かが光った気がした。はっと見上げたタミアが見たものは、夕映えを受けて輝く緑の目。
「あ――――……!」
 クリソコーラの眸を嵌め込んだ杖を手に、真珠色の髪を靡かせて舞う、褐色の人影だった。礼拝堂の風見に足をつき、嘲笑うように爪先で回って、煙の中に消えていく。
 ギンと、金属の弾かれる鋭い音がした。我に返って視線を下ろしたときには、タミアに向けられた聖兵団の穂先を、副団長の剣が弾いたところだった。


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