4:商隊兵団


「タペストリー室は楽しかったか?」
「はい。ニフタではあまり、織物の文化は盛んでなかったので……生地に刺繍をして模様をつけることはありましたが、糸を織りあわせて絵を描くなどというものは、見たことがなくて」
「へえ」
 ジャクラの返答は、意外そうだった。彼に見せたら、絵画のほうが珍しがられそうだ。ベンチに座ろうとして広さに迷うと、とんとんと隣を示された。
 腰かけてから、そこはちょうどジャクラの体が影を作っている場所だったのだと気づく。
「それなら、白の間を見に行ったら、もっと驚くかもしれないな」
「白の間ですか?」
「タペストリー室に飾ってあるものほどではないが、シュルークには織物商人がたくさんいる。白の間にきている店でも二割くらいが、絹織物やタペストリーを扱っているんだ。食べ物や雑貨を扱っている者も多いが……やはり鮮やかさで目を惹くのは、織物商だな」
 天文台から見下ろした風景を思い返して、ルエルは珍しく、もっと近くでその風景を見てみたいと思った。思ってから、自分の中にそういう興味が現れたことに驚いた。
 時間を潰すために勉強をしたり、勉強のために本を読みたいと思ったりするのとは違う。何の役に立てるわけでもない、ただの純粋な興味だ。
「行ってみるか? 今度」
「え……」
「サルマだけでは、何かあったときに彼女が責任を問われるから、二人では行くな。次の休みに、都合があいそうなら俺が一緒に行く」
 よほど行きたそうな顔でもしただろうか、とルエルは自分の頬を押さえた。顔に出したつもりは、否、出せるとは思えないのだが。
「忙しいでしょう。たまの休みを使っていただかなくても、私はこうして時間を割いていただいているだけで、感謝しておりますから」
 申し出に、惹かれなかったと言ったら嘘になる。けれどわずかに、遠慮のほうが上回った。にこりともしなければ雨を降らせることもできないルエルとの関係を良くしようと、彼はすでに、こうして十分な努力をしてくれている。
 休みの日まで、皇子として働くことはない。ルエルはそう思って断ろうとしたが、ジャクラは首を横に振った。
「気にすることはない、元々休みには、俺はよく白の間へ行くんだ」
「え?」
「子供の頃からな。商人の持ってくるものというのは、間近で見るとどれも面白いぞ? すっかり馴染みなものだから、客も商人たちも、白の間に俺がいてもあまり気に留めない。大きくなられましたな、なんて、親戚みたいなことを言うんだ」
 人を何歳だと思っているんだか、と笑うジャクラに、ルエルは唖然として返す言葉を見つけられなかった。
 皇子が、それもこの国で唯一継承権を持つ立場の皇子が、敷地内とはいえ不特定多数の出入りする場所を、堂々と出歩くなど。長兄であったら考えられない。長兄に比べればいささか奔放すぎるとよく叱られていた次兄でさえ、そんな振る舞いはしていなかった。
 よほど王宮が安全なのか、この人が変わり者なのか。何から訊ねればいいものかと唇を開いたり閉じたりしているルエルに、ジャクラは挑戦的な笑みを浮かべた。
「嘘だと思っているなら、一度、確かめるつもりで来てみればいい。次の休みは……、明後日だな」


「――これはこれは、皇子! お変わりありませんでしたか」
 翌々日の正午、ルエルはジャクラと共に、白の間を訪れていた。広い石畳の庭は、予想以上の賑わいだ。さあさ、ここでしか手に入らない品だよと、別の場所でも聞いた常套句が飛び交う。
「ああ、お前も相変わらずのようだな、ムラーザ。売れ行きはどうだ?」
「おかげさまで、また船を出せそうですよ。駱駝を行かせて買う東の品も良いですが、私の本業はやはり、南へ海を渡ってこその品々ですからな」
 良い生糸が入ったので、工房の者たちに織らせたのです、と、たっぷりとした布の帽子を目深に被った壮年の男が腕を広げる。白の間を中心部まで歩いてきたジャクラが足を止めた先、深い青の絨毯を広げたその男の店は、色とりどりの織物で溢れていた。
 親しげに話す二人を眺めて、ルエルは二日前のジャクラの言葉が事実だったことを、今さらながらに実感した。彼は確かに、白の間に顔見知りがずいぶん多いらしい。
 ここへ辿り着くまでにも、あちこちからずいぶんと声をかけられた。菓子商人やら家具商人やら、職業は問わず、みな気さくに挨拶をしてくる。
 ジャクラはその都度、後で顔を出すと言って目配せをしていた。大抵、それで後ろに隠れていたルエルに気づいて、商人たちはおやという笑みを浮かべる。彼はひとまず目的の店まで、ルエルを案内するつもりだったようだ。確かにあの人数を相手に一人一人と捕まって挨拶を受けていては、織物屋へ着くころには、ルエルは疲れ切ってしまっただろう。
 同じ、王の息子という立場でありながら、兄たちとはずいぶん違う生き方をしている人だ。それとも自分が知らなかっただけで、兄たちも時には民衆の前に出て、こんなふうに振る舞うことがあったのだろうか。
(……いえ、きっとなかった)
 自分が感情を湧き立たせることのないように、外の話はあまり耳に入らないよう、制限されていたと思う。けれどそれを抜きにしても、兄たちはやはり、いつも城内にいた。長兄は城の中でも側近をつけて歩いていたし、次兄だって、誰かを控えさせていることは珍しくなかった。ルエルにもメイドが付き従っていて、昔からそれが普通のことなのだと思っていた。
 故に、こんなふうに皇子と王女が警護もなく連れ立って歩くなど、ついてきた今となってもにわかには信じられないでいる。


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