19 袋小路と二人の看守


 来る日も来る日も調合室に向かい、朝の九時から夕方の六時まで、空の色が変わったことにも気づかずひたすらに薬を作る。痛み止めを作り、止血薬を作り、合間に作るのは戦場で夜番をする兵士たちのための眠気覚ましや、疲労による風邪や熱を抑えるための常備薬。
 自分の店に並べられる分を作っていればよかった今までと違い、戦地へ送るとなると、薬はいくらあっても足りない。ユーティアは昼の食事時以外、ほとんど立ちっぱなしで仕事を続けて、毎日木箱にいっぱいの薬を作って渡した。材料の余った部分を使って疲労に効く薬湯を作り、自身もそれを飲んで働く日が続いている。
 調合室には毎朝、大量のハーブが補充され、夕方までにすべて煎じて混ぜられたり軟膏に変えられたりする。初めは半信半疑だった兵士たちも、窓を開けて換気をすることを許した。さもないと見張りで立っている彼らのほうが、複数の薬草の混じり合った独特な香りに耐えられなかったのである。長らく使われていなかった調合室はあっという間に薬の匂いが染みつき、ユーティアの手は作業によって荒れて、すり鉢を押さえる左手の内側にたこができた。それでも薬は戦場で求められる量の、ほんの一滴にも満たないほどだ。
 換気のおかげで窓は開け放たれ、おかげで戦地の情報を得るのに苦労はしない。国境付近で大砲を打ち、競り合っていた状況と一変して、セリンデンが海軍を出してきたという話も耳に入った。工業化が進んでいたセリンデンは、蒸気船の製造にも力を注いでいたという。ウォルドは直ちにリュスの王と連絡を取って対応したと言っていたが、はたしてどこまでやれるのだろうか、と窓の外を歩く訓練兵たちが他人事のように話していた。
「区切りがついたか?」
 瓶を三つ、木箱に入れたユーティアを見て兵士が訊ねる。
「はい」
「なら、今日はそろそろ戻れ。とっくに六時は過ぎた」
 手にした時計を見せられて、ユーティアはもうそんな時間だったのかと道具を片づける。
 戦地の状況が以前より詳しく知れるようになったのは、良いことばかりではない。知ればそれだけ、現地の辛さも想像してしまう。少しでも力になれないかと、微々たるものだと分かっていながら時間を忘れて働くユーティアを、居た堪れなくなった兵士が休むように促したことも一度や二度ではなかった。
 彼らは作業を見張る他、ユーティアの行き帰りの道程にも付き添う。日によって来る者は違うが、決まっていつも一人だ。拘束もされておらず、比較的ゆったりと歩くことも黙認された。
 夕方の風を浴びて石の塔へ帰る途中、見上げる空にはためく雲や飛び交う鳥を見ていると、これから帰る場所が牢であることも明日が来ればまた同じ仕事をすることも、そのときばかりは忘れてしまう。代わりにどうか戦場の夜が穏やかに過ぎるようにと、心のすべてを使って祈る気持ちになれる。
 牢へ戻ると食事が出されて、それが済むとシャワーを浴びる。以前は遠くのシャワールームまで連れていかれていたが、仕事をするようになってから、石の塔の中にある古い風呂場を自由に使っていいと言われるようになった。塔そのものに鍵はかかっているが、仕事を終えて帰ってから数時間の間、独房の鍵は開けられているのである。
 もっとも、鍵を開けられたところで余計な誤解を招くのを防ぐため、ユーティアは最低限しか出入りなどしない。風呂が済めば自分の牢に戻り、日記をつけたり本を読んだり、じっとしている。やがて夜番の看守たちがやってきて、ユーティアの牢に兵士から預かった鍵をかける。それまでにシャワーを浴びておくのが、大体の目安になっていた。
 今日もいつも通り、そうしておきたいと思っているのに、なんだか体が重くて力が入らない。冷めないうちにと食事をとったが、食べ終わるころには瞼まで重くなってしまった。
 欠伸が絶え間なく続く。このところ働き通しで、疲れが溜まっているのかもしれない。ユーティアはシャワーを浴びなくてはと思いながらも、倦怠感に抗えずベッドに横になって、目を瞑った。
 すぐに泥のような、重い眠気が訪れる。近頃、夜はいつも気を失うように眠っている気がする。少しだけ、十分だけと思いながら目を閉じていると、自分が次第にうとうとと、眠りの中に引きこまれていくのが分かった。体が水の中にあるように、上下感覚を手放していく。意識と無意識が交互に訪れ、無意識の占める間隔が広くなっていく。
「――て、――――だろ……」
 そうしてどれくらいの時間が経った頃か。一瞬にも一時間にも思える空白の後で、ユーティアはふと耳に入った声にぼんやりと意識を取り戻した。こつこつと硬い足音がする。聞きなれた黒い、硬い靴底の音だ。レドモンドとティムが話しながら歩いてくる。今が夜なのか、朝なのか、それすらも曖昧なままユーティアは静かに寝返りを打った。
「――に、セリンデンが……」
「ああ、船が少し足りなかったらしいな。リュスの海軍は、昔はけっこう頼もしかったらしいが」
 ぼそぼそと低い声で話すティムに比べると、レドモンドの看守としては些か明るすぎる、喜劇役者のような声はよく通る。リュスの海軍、という言葉が耳に届いたが、脳がまだ眠っていて何のことだとも分からなかった。しかし次の瞬間、ユーティアは深いまどろみから一瞬にして引き戻されることになった。


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