14 アルシエとセリンデン


 国王の死から間もなくの秋、その座を継いだのは第一王子、ウォルド皇太子だった。先代の王が長命であったため、彼も今年で五十七歳になる。ウォルド国王は戴冠式で、父に代わってアルシエのために尽力することを高らかに宣言し、国民の見守る中、誓いの文書を一文字一文字、落ち着いた様子で読み上げた。
 元より、政治の半分は彼が行っていたようなものだ。先代の王が高齢だったため、以前から外交活動などは彼が代理で出向いていたのである。政治の腕が悪いという評判は特に聞かない。人柄も、先代の王に比べればやや人当たりが硬い印象はあるが、それは先代が見るからに穏健な人であったからだ。
 若くして結婚しており、男児を二人もうけて、長男はすでに妃を迎えている。第二王子はまだ独身だが、勉強家で様々な国を飛び回っていた。将来は兄に王位を譲って自分は補佐に回りたいと宣言し、第一王子が正式に皇太子として認められている。
 ウォルドは後継者として、何一つ不足はなかった。
 ただ、それは国の内側から見た場合の話である。彼の代になってからというもの、セリンデンは以前より強気の態度を示すようになった。
 セリンデンの国王は、四十八歳とまだ比較的若い。しかし、王になってからすでに十年は経っている。先代のアルシエ王と違い、両手で数えられる程度しか歳が離れておらず、尚且つ自分より経験の浅いウォルドをあれこれ試しているようだと新聞記事が伝えていた。即位から間もないうちに上手く押さえ込んで、上下関係を築いてしまおうという算段なのかもしれない。
 先代のアルシエ国王は穏やかな人物だったが、その前の代の王が短命だったために、三十二歳という若さで即位した人だった。病で倒れた父に代わって急遽その空白に腰かけ、民衆に意見を求め、自らの耳で吟味して、それから五十年以上に渡り政治を行った。誰もが認める、アルシエの誇りと言える人だった。
 優れたものは存在のありがたみも大きいが、失われたときの反動もまた大きい。セリンデンの態度の変化も相まって、人々の中には即位したばかりのウォルドに対する期待と不安が、縺れた糸のように複雑に絡み合っている。ウォルドはそれに応えるべく力を尽くしていたが、彼を包む風も雲も、簡単に和らぐ気配はなかった。
『セリンデン、再三に及び魔女の返還を求める』
 新聞を広げて、一番に目に飛び込んできた記事を読みながら、ユーティアは暗雲の立ち込める胸に左手を当てた。このところ、セリンデンがアルシエに要求しているものがこれだ。
 セリンデンから逃げ出したと思われる魔女のリストを寄越して、調べ出して返してもらいたいという。アルシエは初めこそ、そんな暇はないと断っていたが、セリンデンはだんだんと「ただちに実行してもらいたい」と口調を強めてきた。言い分としては、正式な出国許可を出していない者たちなので、管理のために一度戻ってきてもらいたいという。当然、セリンデンの魔女たちが自主的に帰るとは思えない。
 セリンデンの国王はそれも踏まえた上で、探し出してほしいと言ってきたそうだ。断れば貿易関係を切り、今後の付き合い方を考えさせてもらう、とも言ったと新聞では報じている。実質の脅し、あるいは宣戦布告と同じものだ。
 ウォルドは会合で仕方なく、その約束を呑んで帰ってきた。このことが、セリンデンの魔女が厄介者であるという印象を、アルシエの端から端まで広く印象づけてしまった。
 セリンデンの魔女の存在が、アルシエをおびやかす――そんな幻想がまことしやかに囁かれて、彼女たちはいよいよ居場所がない。身分を偽り、アルシエの出身だと名乗る者が増えた。おかげで、本当にアルシエで生まれた魔女でさえも、見知った人のいない土地へ出向くのは控える風潮が生まれているほどだ。
 ユーティアもこの冬は、いつもより慎重に帰郷をした。開通したばかりの寝台列車でサロワへ帰る間、グリモアを持っていることが誰かに見つかってしまっては、妙な誤解を受けかねない。暴かれて困るような身分は何もないが、魔女というだけで疑いの眼差しを向けられることを想像すると嫌だった。今のアルシエはお世辞にも、魔女の暮らしやすい国とは言えない。
「ユーティア」
 ため息をこぼしかけたとき、店のドアがベルの音を鳴らして開いた。色素の褪せた金茶色の髪に、朱色のバンダナを巻いたマルタが立っていた。いらっしゃいませ、と新聞を畳んで立ち上がり、傍へ出ていって挨拶をする。
 近づくと、揺れる彼女のエプロンからはほのかに秋の花々の香りがした。
「あったかいわねえ、今日は」
 目尻に皺を浮かべて微笑み、マルタは石鹸の棚に手をつく。ラベンダーの石鹸はあるかしら。かごの中を覗き込んで首を傾げた彼女に、ユーティアはもちろんと答えて、紫の紙紐を結んだパラフィン紙の包みを取り出した。これこれ、とマルタは嬉しそうに頷く。彼女はユーティアが作るラベンダーの石鹸を、昔から愛用してくれている一人だ。


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