3 恩師


 青々とした空の夏が過ぎ、秋になった。川辺に並ぶプラタナスの葉はこの十日ほどでみるみる色づき、橋の上から見下ろせる川面には、黄金色の落ち葉が点々と浮かんでいる。
 ユーティアも毎朝、開店の前に店の玄関先を掃除して、たまった落ち葉を箒で集めるのが日課になっていた。両隣のアパートからも住人が顔を出して、おはよう、と声をかけながら入り口を掃いている。
 おかげで夏に比べて、近所の人と話をする機会も多くなった。アパートの人々と話していると、彼らの知り合いが通りかかって、必然的にユーティアとも顔見知りになっていく。アパートに住んでいるのは学生であったり学者であったり、一人暮らしの若者が多かったが、彼らは自分たちより若いユーティアが一人で店を切り盛りしていることに関心を寄せているようだった。暇があるとソリエスに顔を出してくれる人も少なくない。
 彼らのような人々には、薬やお茶がぽつぽつ売れた。最近になって作り始めた果実酒も人気があって、新しいのができたら教えてよ、とよく顔を合わせる学者の青年などは言う。一方で、花屋のマルタたちのような世代の女性も比較的やってくる。彼女たちには石鹸や肌を潤すクリーム、ハーブの香りが溶け込んだ、料理に使えるオイルや蜂蜜などが売れていく。
 今年の秋は生活を少しばかり切り詰めると決めて、ユーティアは売り上げの半分近くを裏庭の環境作りにつぎ込んだ。アーモンドやベリー、オリーブ、林檎などの苗を植え、崩れていた花壇を作り直して、バラの苗を育て始めた。ドアの近くから裏庭の隅にかけて、長いハーブ用の花壇も用意し、収穫の最盛期を終えたブルーベリーの足元はすっかり賑やかになっている。
 反対側の角、水汲み場の近くには、無花果の苗を数本植えつけた。実家から送ってもらったもので、サロワより少々雪が多いと聞くのが不安な点だが、うまくいけばコートドールでも実をつけるかもしれない。
 春にこちらへ来てからというもの、まだ実家へ帰ったことはないが、週に一度は電話で互いの近況を伝えあっていた。母は相変わらず心配性で、ほとんど毎回、何かあったらいつでも言うのよと言って電話を切る。
 父は元々、母よりも口数が少ない。電話でも頻繁に話せているわけではないが、無花果の苗を送ってほしいと頼んだところ、箱に添えられていた育て方のアドバイスは紛れもなく父の字であった。ユーティアへ、と書かれた宛名書きに、自分を呼ぶ父の声が重なって聞こえた。
 帰りたくなることはある。一人で食事をしているときや、何気ない買い物の合間などに、ふとサロワの家を思い出して懐かしい気持ちが込み上げる。だが、ソリエスがようやく店としての歯車を回し始めた今、一週間近くも休みをとって帰郷することは考えられなかった。裏庭のことも、店内のことも、一年目である今はとにかく毎日が慌ただしい。
 リビングの窓を開けて、秋の日差しの中で髪を結いながら、ユーティアはふうと息をついた。
 今日は、暖炉の掃除をするのだ。
 この家に越してきたときから、リビングの隅に作りつけられていた古い暖炉。多少汚れてはいるが、大切に使われていたのだろう。磨けばまだまだ十分に、活躍が期待できそうだ。季節はこれから、冬に向かっていく。そろそろ肌寒くなってくる夜のためにも、準備は早いほうがいい。
 スカートをたくし上げて短くしばり、エプロンをしっかりとかけて、ユーティアは暖炉の前に膝をついた。

 店のベルがカランカランと来客を告げて鳴ったのは、ユーティアが慣れない暖炉の掃除に苦戦しながらも、ようやく終わりを迎えるかという頃だった。ちょうど正午を回ったところで、この時間帯の来客は珍しい。
 慌てて立ち上がり、スカートだけきちんと下ろしてリビングから出る。小柄な女性が一人、店内を見回していた。
「いらっしゃいませ」
「あ」
「すみません、ちょうど奥にいたもので――」
 小麦色の、肩で切り揃えた髪をくるりとひるがえして、その人が振り返った。目が合って、思わずその先の言葉を忘れてしまう。
 その人は綻ぶように笑みを浮かべて、明るい声で言った。
「ユーティアさん!」
「先生? どうしてここに」
「あら、懐かしい。あなたに先生って呼ばれるのも久しぶりね。決まっているじゃない。会いにきたのよ」
 顔を見ればすぐに、唇が自然と「先生」と呼んでしまう。サロワの学校にいたころの担任、メアリーだった。コートドールで突然の再会がかなうなんて信じられないという思いと、驚きやら嬉しさやら、様々な感情が一気に込み上げてくる。
 両手を広げたメアリーと抱き合ってから、ユーティアはほとんど同じ高さになった目線を合わせて、その手を取った。


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