2 魔女の店


「それじゃ、ここは今日からあなたのお店なのね。お若いのに、大変でしょうけれど頑張ってほしいわ」
「ありがとうございます。あの、よろしくお願いします」
「ええ、私マルタ。すぐそこの橋の傍で、主人と花屋をやっているの。この道は散歩がてら毎日歩いているんだけど、何日か前から、誰か引っ越してきたみたいだわって気になっていたのよ。ラマンシャさんはもうコートドールには戻られないのね。残念だけれど、でも助かるわ。こうして魔女の店がまたできてくれて」
 緊張で口ごもるユーティアと対称的に、マルタは次から次へと滑り出すような口調で喋りながら、店内を眺めて回った。花屋、と言われてすぐにあの店のことかと思い当たり、工房の先のお店ですよねと訊ねてみると、そうそうと笑う。話しながらジャムとオイルを手に取り、見比べて、オイルを置いてジャムを持った。ハーブティーの棚に目を向け、近くに吊るしたラベンダーに気づいて、あら良い香りと声音を弾ませる。
「あの、マルタさん」
「ん?」
「ラマンシャさんのお店にあって、便利だったものって何かありませんか? お店にもっと色々な種類のものを置きたいと思っているんですが、何か良いものはないかなと考えているところで」
 ユーティアは少し勇気を振り絞って、マルタに聞いた。マルタは以前の魔女の店を、よく知っているような口ぶりだ。この辺りの地域で暮らしている人が、魔女の店に何を求めて足を運んでいたのか気になった。
 マルタはそうねえ、と顔を上げて、思い出したように言った。
「石鹸は、よく買わせてもらったわ」
「石鹸ですか」
「そう、ハーブとか檸檬の香りのね。あとはやっぱり、薬かしら。病院に行って診てもらうほどじゃないけれど、どうも咳が続くときとか、花を触っていて手を怪我したときなんかにね」
 石鹸、とユーティアはそのアドバイスを頭に焼きつけた。あまり作ったことがなかったが、そういえば石鹸だって、魔女の店にある材料で作れそうな品物だ。礼を言うと、マルタはいいのいいのと言ってジャムをユーティアに渡した。おいくら、と聞いてエプロンから小さな財布を取り出す。
「この辺りって、人が住んでいるわりに食べ物屋さん以外が少ないのよ。石鹸とかクリームとか、そういうものは駅まで行かなきゃ買えないでしょう。近いんだけど、私もいつもは仕事だからねえ。この恰好じゃ、駅前のお店までいくのはちょっと恥ずかしくて」
 すっかりバンダナで癖がついた髪と、花を扱うせいか所々に染みのできたスカートの裾を示して、マルタは苦笑した。土がついちゃってることもあるのよ、と言ってから、今日は大丈夫かしらねとエプロンを見下ろす。
 マルタの恰好は仕事着なのであって、みすぼらしい服ではなかったが、彼女の言いたいことはユーティアにも何となく理解できた。コートドール駅の周辺は城が近いせいか、どことなく気の引き締まった、きっちりした服装の人が多い。駅のほうまで出かけていくときは、ユーティアもエプロンを外し、髪を下ろして靴の汚れを確認してから出かけていた。店内と裏庭を行き来しているせいで、気がつくと爪先に土がついている。
「ありがとうございます」
「どうも。また来るわね」
 買い物かごにジャムを入れて出ていくマルタを見送り、ユーティアは時計を見て、今日は店を閉めることにした。
 看板をクローズの面にして、店内の明かりを消す。掃除のため小さな照明だけを残すと、店の中はほのかな明かりに照らし出されて、壁にかかったラベンダーが天井まで影を伸ばし、棚に並ぶオイルの瓶が金色に輝いた。

 ユーティアは翌日には王立図書館へ出向いて、石鹸の作り方を調べ、市場で材料を買い揃えた。ラベンダーやレモングラスの香りがたっぷり詰まった石鹸は、量り売りという形にして、お客さんの希望に合わせてその場で切る。パラフィン紙に包んで紙紐で留めて渡せば、買い物かごに油が滲むこともない。
 品物はまだ少ないが、少しずつ増えてきて、一週間が過ぎるころには一日に二、三人だがお客さんも来るようになってきた。新たにブレンドしたハーブティーを試飲しながら、キッチンの小窓から店内を見つめて、ユーティアは深く息をする。
 私は、この店と生きていくのだ。
 流れる空気を共有して、土と植物のように、この路地と家のように。私という体は末永く、ソリエスと共に生きてゆく。
 蜂蜜をひと掬い、カップに落としながら、ユーティアは静かにそう思った。


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