3 恩師


「会いに来てくださったって、私に? サロワから来てくださったんですか?」
「ええ、先日あなたのお母さんと行き会ってね。ユーティアさんどうしましたかって聞いたら、もうコートドールでお店をやっているっていうものだから、びっくりしちゃって」
「今年の春から始めたばかりなんです。いい家が見つかったので、高等学校を卒業して本当に間もなく越してきてしまって」
「駅からも近すぎず遠すぎず、騒がしくなくていいところじゃない。お母さんから聞いていたから、迷わず来られてよかったわ。あ、これお土産」
 鞄の中から紙袋を取り出して、メアリーは「シナモンクッキーよ」と笑った。もしかして、とその箱を取り出してみて、ユーティアの目が輝く。
 サロワの学校の近くにあった、小さな洋菓子店の箱だ。ジンジャークッキーとシナモンクッキー、林檎のタルトや蜂蜜のケーキが美味しくて、実家にいた頃は母と二人、よく買い求めにいった。
「本当は遅ればせながら開店祝いよ、ってケーキを買ってきたかったのだけれど、サロワからここまではさすがに持ってこられないわよね。こっちで買おうかとも思ったのだけど、やっぱり、せっかくなら故郷の味を持ってきてあげたいと思って」
「ありがとうございます、とっても嬉しくて……あっ、よかったら奥、上がっていってください。ハーブティー、淹れますね」
「営業中でしょう? そんな気を遣わなくてもいいのよ」
「いえ、私が先生とお茶をしたいんです。ここの庭で採れたハーブで作っているんですよ。お客さんが来たら席を外させていただかないとなりませんけれど、お時間さえ大丈夫なら、ぜひ」
 三年半ぶりにサロワから会いにきてくれた人を、こんな一言二言の挨拶で帰してしまうなんてとんでもない。遠慮しようとするメアリーを引き留めて、ガラスのポットにミックスハーブティーを淹れれば、彼女もそれじゃあお言葉に甘えて、と微笑んでリビングへ上がった。
「あら、暖炉があるの」
「そうなんです、ちょうど掃除をしたところだったので、まだ煤が残っているかも。スカート、お気をつけてくださいね」
「ありがとう。しばらく見ない間に、すっかり大人っぽくなったわね」
「そんな、ちっとも」
「髪も背も昔より伸びて、綺麗よ」
 テーブルの椅子に腰かけながら、頬杖をついてメアリーは言う。久しぶりに顔を合わせたというのに変わらぬ口調で褒められて、ユーティアは懐かしさやら気恥ずかしさやらでどきまぎしながら、ポットに蓋をしてメアリーを振り返った。
「先生は、髪を切られたんですね。後ろ姿を見たときは気づけなかったけれど、似合っていらっしゃいます」
「顔は覚えていてもらえて、ほっとしたわ」
「それは、もちろん……忘れるはずがないです」
 シナモンクッキーを箱から出して、六角形の白い皿に並べながら、ユーティアは「憧れだったので」と口にしそうになって、ふいに恥ずかしくなって唇を閉ざした。
 学生時代、特にサロワにいた頃はとにかく内気で人見知りだったユーティアにとって、生徒と明るく打ち解けて、自分のような口数の少ない生徒にも笑顔を絶やさず接してくれるメアリーは、教師というよりもっと根本的に大人として憧れだった。両親に抱く家族の尊敬とはまた違った、敬愛の思いを密かに向け続けていた。
「以前の私を、ちょっと思い出すわ」
「え?」
「その髪型。あなたのほうが色も淡いし、ウェーブがかかっているからずっと印象は柔らかいけれどね」
 メアリーはそんな回想を見透かしたかのように、黙り込んでしまったユーティアにそう言って笑う。
「実は、少し真似させていただきました」
「嬉しいわね」
「昔、毎朝髪を編むのは大変ではないですか? って私が尋ねたことがあって。先生がそのとき、そんなことはない、毎朝、朝の光を見ながら少しだけゆっくり髪を編むのよ。そうすると、眠くても自然と目が開いて、さあ出かけようっていう気持ちになるから、って仰っていたんです」
「よく覚えているのね。ずいぶん昔の話でしょう?」
「十歳くらいの頃だった気がします。私、当時まだ自分で髪を結べなくて、できる日が来るとも思えなくて、どうして女の子は髪を伸ばすことが普通なんだろうって憂鬱に思っていたんです。だから、先生の答えがとても印象的で。……先生、長いあいだ、あの髪型でしたよね。いきなり短くなって、みんな驚いたんじゃありませんか?」
 ペリドットのような、爽やかな色がポットの中に満ちていく。ユーティアはクッキーとお茶と、昨日の夜に焼いたマドレーヌをテーブルに並べた。いずれコートドールで一人暮らしをするだろうと自分の未来を見通したのは、それこそ十歳かその前後のことだったので、料理にはわりと慣れている。


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