25 二人


 毎朝、窓を開けて外の空気をいっぱいに吸い込む。屋根裏部屋から見下ろす景色は、運河と真新しいアパート、ジオラマのように目覚める街。カーテンを両側にまとめ、ミルク色の雲が浮かぶ青空を見て、髪を結ぶ。ほっそりとした首に、風が絡みついた。室内を、朝の瑞々しい空気が満たしていく。
 机の上に並んだグリモアと日記帳をちらと見やり、ユーティアは洗いたてのエプロンをつけて、階段を下りた。スカートの裾が持ち上がるたび、セージの香りが辺りに散らばる。
 戦火を逃れて庭に群生したセージはちょうど収穫の時期を迎えているが、今年は薬や料理に使うような柔らかいものは採れない。植え替えの作業が、昨日までかかってようやく終わったところだ。
 有り合わせのもので朝食を済ませ、食後のお茶だけはゆっくりと楽しむと、ユーティアは十時に合わせて店を開けた。コートドールへ戻ってから、およそ一ヶ月。ソリエスは一週間ほど前から、またこの場所で開店している。
 箒を持って石の床を掃き、棚に並んだ瓶を端から手に取る。乾いた布で表面を拭くと、赤や紫のジャムはより鮮やかに、ユーティアの手の中で光を浴びて輝いた。
 なんだか借り物の宝石を撫でている気分だ。
 爪先まで影を落とすほど美しい赤のジャムを見つめ、ユーティアはふっと、何とも言えない微笑を浮かべた。これは、市場で買ってきたイチゴで作ったジャムなのだ。
 家を直し、裏庭も自らの手で整備をし直したが、当然、まだ以前のように薬草や果物が採れるわけではない。種も蒔いていないし、手つかずの庭で伸び放題に伸びた草木は、野生も同然。硬いし、味も劣っている。店内の今ある品物は、ほとんどが買ってきた材料で作られたものだ。そうするしか、店を開く方法はなかった。
 市場の果物は美味しい。味も見た目も、品物として何の問題があるわけではない。ただ、それでもどことなく余所余所しい気がしてしまうのは、自分の錯覚や固執、わがままというものだろうか。
 ユーティアは瓶を棚に戻し、語りかけるように微笑んだ。ごめんなさいね、あなたのおかげで店を開けられるのにね。ジャムはきらきらと輝くだけだ。ガーネットのように、深く淀みなく。
 看板にチョークで絵を描いて、魔女の店、と記し、外に置きに出る。ほんの一時間か二時間前に窓を開けたときよりも、一層暖かな初夏の日差しが、頭の先から足の先まで包んだ。玄関先のポプラの木は、崩れた屋根の下敷きになって朽ちてしまった。今はそこで、サロワからもらってきた無花果の苗を育てている。
 土に触れてみて、先に水をやろうと如雨露を取った。玄関の脇に、以前はなかった小さな水汲み場ができている。裏庭だけでなく家の前やポストの足元にも花を植えているユーティアを見て、レドモンドがサロワでの礼にと、置き土産に造らせていってくれたものだ。
 彼は二週間ほど、ソリエスの片づけを手伝ったりどこかへ出かけたりしながら客室に泊まっていたが、駅前の酒場で仕事を見つけて、住み込みで働くといって出て行った。宿を兼ねている酒場で、客室の一つを安く借りられることになったようだ。ホールで働くのかと思いきや、料理の腕を買われてキッチンに雇われたというから、ユーティアは思わずおめでとうと口にせずにいられなかった。
 ユーティア自身も、この一ヶ月弱の間、裏庭を整備するばかりだったわけではない。合間に街へ出ては、様々なことを確かめて歩いた。
 初めに見に行ったのは、城だ。景観のだいぶ変わった商店街を抜けて、まっすぐ進んだ先に、かつての面影はなかった。二つの塔はなく、盾や髪の壊れた天使の像だけが、修理も追いつかずに残されている。額に鳩が止まっていた。そういえば、彼らもあの塔に暮らしていたのだ。
 代わるように、長方形に聳えるずんぐりとした箱型の建物から、大時計のついた物見台が伸び上がっていた。赤みの強い煉瓦の建物の上に、セリンデンの、緑色の旗が翻る。すぐ傍ではまだ建設中の建物があって、いずれそちらが完成したら、中心にある建物ももう少し威厳のあるものに建て直すのだと聞いた。資材を抱えた人々が、機械のように統制されて動き回っている。
 立ち尽くして、しばらく眺めていてから、セリンデンの軍服に身を包んだ門兵が、自分を怪しむとも憐れむとも見える目つきで見つめていたことに気づいて、その場を去った。そうして、帰り道にあるリコットの金物屋へ足を運んだ。
 金物屋は商店街の中でも、最も被害の大きかったエリアにあり、建物は真新しく建て直すしかなかったようだ。以前よりも安く、短期間で建てたことの窺える、これまた煉瓦の箱のような、一回り小さい店舗に様変わりしていた。中に入ると、出てきたのは店主でもある夫のほうだった。彼は足を悪くしていたおかげで戦争に行かず、無事だったのだ。
 ただ、それを幸運だとは到底思えないだろう。元より落ち着いた人だった彼は、ユーティアを懐かしんで出迎え、土産にと持ってきたお茶を淹れて、言葉少なに互いの無事を確かめた。息子のことは聞いているかと訊ね、遠慮がちに頷くと、リコットを呼んでくれた。
 奥から姿を見せた彼女は、一層痩せて、ほとんど紙のような顔色をしていたが、ユーティアを見るとわずかに目元を和ませた。けれど、それが限界だったようだ。来てくれてありがとう、と礼を言ったきり、すぐに奥へ戻ってしまった。夫いわく、今は塞ぎこんでいて、誰と顔を合わせてもこのような状態らしい。


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