25 二人


 ユーティアは無理に、リコットと会おうとはしなかった。自分に今の彼女を癒す力があるとは思えなかったし、多分、それは誰にもないものだろう。子供がいないということも手伝って、わが子を失うという喪失を想定することも、自分には不可能だと思えた。どれほど想像で彼女の悲しみに近づいたとしても、所詮は想像でしかないのだ。
 店主と少し話し、また立ち寄ると約束した。会えなくてもいいのだ。クッキーやお茶を持って、時々、来続けようと思う。
 マルタはといえば、現在は駅の裏手にあるアパートで独り暮らしをしていた。花屋も空爆を受けて倒壊してしまった上、今は一人だ。年齢のこともあり、新たに店を開く気はもうないと言う。あれだけのことを越えた命だもの、あとはゆっくり、静かに過ごすわ。そう話していた通り、招かれたアパートは小さく質素なものだったが、編みかけのショールやテーブルの上の花瓶など、随所に彼女が今の生活に馴染もうとしている様子が見受けられた。
 ――そう、それから。
 ユーティアは軽く息を吸い込んで、髪留めに手を触れた。小さな銀の花が並んだ、とても古いもの。以前、独房でレドモンドに頼んだものとは、色は似ているがデザインが違う。これは、彼に髪留めを買ってきてもらう前。サボに渡してしまうあの日まで、ユーティアが何年も、変わらずに使い続けていたものだ。
 石の塔で別れ、北の戦地へ向かったサボのことを思い出さなかった日はない。サロワへ行って、戦争の恐怖と幾分か遠ざかった日々でさえも、心の底にいつも彼のことは引っかかっていた。
 サボは、戦死した。
 コートドールへ来て、家の修理を頼んだり店内を片づけたり、二週間ほど時間を要したが、結局は心を決めて、彼の安否を確認しに向かった。郵便局へ行き、サボという人を探していると告げると、局員の一人がはっとした顔で近づいてきた。名を訊かれ、答えると彼はゆっくりと目を伏せて、奥からハンカチに包まれた小さなものを持ってきた。
 サボに渡したはずの、髪留めだった。
 曰く、その局員はサボと共に召集を受けて、北の地へ行ったのだという。彼はそこで戦い、サボの最期を知っていた。敵兵に撃たれ、運び込まれた処置用のテントで、サボはポケットから出した髪飾りを彼に預けて頼んだという。
 ユーティアという女性に会ったら、これを渡してくれ。きっと、すべてはそれだけで伝わるはずだから。会うことがなければ、それでいい、と。
 ユーティアにはサボの遺したメッセージが、今にも言葉として浮き上がってきそうにはっきりと分かった。戦地までも、本当に自分の髪飾りを持っていってくれたこと。探し出して渡してくれと頼むのではなく、あくまで、ユーティアがやってきたら、渡してほしいと言ったこと。
 すべては、通じ合っていたのだ。サボはユーティアが、自分を探しに来ることを知っていた。今でも特別で、確かに愛していることを。
 分かっていたよ、と微笑む顔が、空に思い浮かぶようだ。ああでも、少しはにかみ屋なところもあった人である。堂々と言い切った後で、まあ、そうだったらいいなと僕は思ってるんだ、なんて照れたようにつけ加えるのかもしれない。
 あなたの希望ではない。それは真実よと、心の中で告げる。もう聞こえない声に、それでも言葉を返さずにはいられないほど。
 目尻に浮かんだ涙を拭って、ユーティアは土がついてしまったことに気づき、慌ててハンカチを取り出した。雨上がりの湿った匂いが、自分のこめかみの辺りに広がっている。
 サボの墓は、この街にはない。列車に乗って、局員の話を頼りにボードマンという町に向かった。コートドールから半日も離れていない、小さいが、比較的華やかな町だ。彼の故郷であるその町を訪れたのは、初めてのことだった。
 花束を供えようかと思ったのだが、結局、ラベンダーの控えめな束を置いてきた。どんな花よりも、自分が来たことを告げられる香りだという気がした。
 髪留めをつけ替えたのもそのときだ。目ざといレドモンドはきっと気づいているだろうが、何も言わずにいてくれる。サボの名前を口にするのは、まだ気持ちの整理ができていない。大方の察しはついているだろうが、その沈黙は有難かった。独房から世話になった銀の髪飾りは、グリモアと日記帳と共に、机の上に置いてある。
 ハーブティーとジャムの絵を描いた看板をポストの下に立てかけ、ユーティアはチョークで塗られたイチゴのジャムを見つめて、そっと目を閉じた。ベレットの消息は、未だに掴めないままだ。
 いなくなってしまったと知ることは辛いが、分からないままでいるのも苦しい。コートドールに戻ってから何度も市場を訪ねてみたが、本人はもちろん、彼女がいたことを知っている人さえほとんどいなかった。薬草魔女だったのだと話すと、皆、気の毒そうに目を伏せる。
 戦争に参加した魔女は、その多くが命を落とした。兵士と違い、武器と呼べるような武器を持たなかった彼女たちは、逃げ延びた者が少なすぎて調査も難航している。何人がどこで、どの程度の攻撃を受け、誰が残ったのか。証言がなく、まるで分からないのだ。従軍と配属の情報を得ようにも、王を始め、軍の上部だった人々は今、セリンデンに捕らわれていて会うことができない。
 どこへ行っているのだろうか。
 絶望的だと、誰も口に出して言うことはしないが、きっと思っていることだろう。市場の人々が向ける目には、隠しきれない、深い同情の色が浮かんでいた。けれど、ユーティアは待っている。いつか必ず帰ってくると信じて、街を探し歩き、黒髪の人がいれば目で追ってしまう。
 誰に何と思われようと、心が探しているのだ。来店する人があれば彼女ではないかと期待して、そのたびに少し傷つきながら、次こそはと待ち続ける。


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