24 コートドールへ


「どうして謝るんですか。お礼を言うのは私のほうです」
「言ってくれるの?」
「もちろん。だって、本当に嬉しかったわ。この庭に、まだ生きている植物の気配があって」
 言いながら、手のひらに触れたレモンの枝の感触や、草を跨ぐときに感じた水の匂いを思い出す。錯覚などではなく、この庭はまだ、生きているのだ。荒れ果ててしまったけれど、終わってはいない。まだ、守られて永らえたものたちが息づいている。
 わずかでも、自分が愛情をかけて育てたものが無事であるというのは本当に嬉しい。ユーティアはにこりと微笑んで、マルタに心からの感謝を述べた。
 そして同時に、どうしても訊かなくてはならないことがあった。
「あの、マルタさん。もう一つだけ、教えていただきたいことがあるんです」
「なあに?」
 朗らかな声に、胸がきゅっと締め付けられる。ユーティアの微かな眼差しの変化に、マルタがそっと首を傾げた。
「ベレットがどうしているか、知りませんか? ここへ、彼女が来たことはありませんでしたか」
 毎年イチゴを植えていた畑が、根を張った草に崩されかけながらも、視界の隅に形を残している。よくそこで帽子を被って、味見と言ってつまみ食いをしていた背中を思い出し、ユーティアはどうしても訊かずにはいられなかった。
 毎日ここへ来ていたというのなら、ベレットと行き会ったことはないのだろうか。あるいは、彼女に関して何かしらの足跡が伝えられたことは。
 後ろでレドモンドが静かに、息を呑む。コートドールへ戻る道中、ユーティアは意図的にベレットの名を出すことを避けていた。彼女が今、どこでどうしているのか、どうなったのか――考えることが不安だった。
 眸がゆらゆらと、緊張に揺らめくのが分かる。マルタはそんなユーティアを見つめ、ふっと唇を開き、申し訳なさげに顔を背けた。
「分からないわ。会ったことはないし、私も何も聞いていないの」
「……そう、ですか」
「私以外の誰かが、ここを訪ねている形跡もないと思うわ。毎日、草の様子は変わっていないし、郵便受けも空っぽ。……ユーティア」
 そろりと、マルタが伸ばした手で肩を撫でた。緊張と、隠しきれない期待で強張っていた体から、力が抜け出していく。
 宥めるように撫でられていると、やがて忘れていた呼吸が戻ってきた。同時に、そうか、と静かな納得がいった。
 ベレットは、今、この近くにはいないのだ。
「分かったわ、ありがとうございます。きっと、コートドールが落ち着くまでどこかへ行っているのね」
「ええ、そうだと思うわ」
「いずれ、また会えるでしょう」
 唇の両側を強く持ち上げて、ユーティアは少し、無理に微笑んだ。痛ましい笑顔でも、作らなくては信じることができなかった。半ば祈るような自分の言葉を。
 マルタが何度も頷いて、安心させるように微笑む。優しい目の奥が、母の姿を思い出させた。ユーティア、と、いつも幸福を願うように呼んでくれた、母の面影を。
 そうだ。まだ、涙ぐむ理由は何もない。
「屋根を直してもらわなくちゃ。入り口のところもずいぶん崩れているし……大工さんを呼ばないとね」
 マルタとレドモンドを交互に見やり、どちらに言うともなく自分に言い聞かせるようにして、ユーティアは唇を笑みの形に引き結んだ。そうして壊れた柵に手をかけ、宣誓するように、はっきりと言った。
「私はまた、この場所で暮らすわ。そのためには、この家も修理が必要よ」


- 102 -


[*前] | [次#]
栞を挟む

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -