24 コートドールへ


「本当に、もう帰るのかい」
 日だまりの土から芽吹いた雑草に、春の日差しが惜しみなく降り注いでいる。真新しい靴と、縫いたてのシャツ。銀の髪留めで伸びた髪をまとめて、ユーティアは鞄を手に、ゴードンを振り返った。見れば叔父は心配そうに、細い眉を寄せてユーティアを見つめている。
「大丈夫よ、叔父さん。戦争が終わって、もうじき一年になるもの。コートドールも、少しは落ち着いた頃でしょう」
「そうだといいが……如何せん、首都の今はここまで聞こえてこない。気をつけてお行きなさい、何かあったらすぐに帰ってくるようにね」
「ええ、ありがとう。心強いわ」
 節の出た、温かい手のひらと握手を交わす。ユーティアは今日、再びサロワを出て、コートドールへ戻る。
「大したもてなしもできなかったが、一緒に暮らせて、今さらながら姉ができたような感じだった。また捕まって、牢になんか行くんじゃねえぞ? 達者でな」
「こちらこそ、楽しかったわ。あなたも元気で」
 涙もろいジェスは最後まで、顔を赤くして目を潤ませている。本当の兄弟ができたようだったのは、ユーティアも同じだ。この家の賑やかさにすっかり慣れてしまった自分は、一人暮らしの静けさを思い出すのに、きっと時間がかかるだろう。
 寂しさはあるが、戻ると決めた心が揺らいだことはない。元より、戦争が落ち着いたら、帰る場所はコートドールにあると決まっている。
 リヨンがユーティアの肩にショールをかけて、言った。
「必要なものがあったら、連絡しなよ。首都なら大概は揃うかもしれないけど、何かあったら送る。君もね」
「どうも。長い間、世話になりました」
 君も――そう言われたのは、ユーティアの隣に立つレドモンドだ。衣類や食料品といったわずかな荷物と、ユーティアの荷物をひとつ肩にかけている。帽子を取った彼に、リヨンは最後、袋に入った調味料をいくつか渡した。サロワの家でいつも使っていた、自家製のハーブやナッツを交ぜた塩やスパイスである。
 ちらと、ユーティアは正面に顔を向けた。ちょうど、ティムのほうも視線を移したところだった。
 ゴードンとホセに囲まれて立った彼は、ユーティアやレドモンドと違い、いつも通りの仕事着を着ている。
 ティムは、コートドールへは戻らない。ここに残ることが決まったのだ。
「……世話になったな」
「私の台詞よ。あなたは私の恩人の一人。何年経っても、変わらないわ」
 握手を求めると、ティムは気恥ずかしそうに苦笑して応じた。
 二週間前、コートドールへ帰ろうと思う、と打ち明けた日の夜、彼が訪ねてきたときのことをぼんやりと思い出す。
 ――俺は、首都に戻るつもりはない。サロワに、残れないだろうかと思っているんだ。
 躊躇いながらも、はっきりとそう告げた彼の答えを、ユーティアは心のどこかで予感していた。多分、ティムが言い出さなかったら、自分のほうからそれとなく訊ねていたと思う。
 きっと、叔父たちも喜ぶわと言った。翌朝、その「きっと」は本当になった。
「皆を、どうかよろしくね。何か困ったことがあれば、いつでも連絡をちょうだい」
「ああ」
「冬になったら、また帰ってくるわ。そのときは、サロワの話を聞かせてね」
 ティムはもう一度、ああ、と答えて頷いた。言葉少なだが、表情を見ていれば分かる。彼をここに残していけることは、良いことなのだ。後悔のない眼差しはユーティアに、別れの寂しさよりも希望を与えてくれた。
「あんたのほうは、これからどうするんだ?」
 ふと、二人の挨拶を見守っていたホセが、レドモンドに目線を向けた。
「俺は、まだはっきりとは。向こうに戻って、生活が落ち着いてから決めていきますよ」
「そうか? まあ、まだ若いからな、焦ることもないだろう。看守は?」
「恐ろしくて戻れませんね。戦争は終わったとはいえ、一応、王命に背いた身なんで」
「ははは、そうだったな。忘れていた」
「まあ、そうでなくても多分、もう戻りません。あまり向いていない仕事だったみたいですから」
 暗に、ユーティアとの関係を示してそう笑ったレドモンドに、ホセも笑った。確かに、彼らは看守らしく振る舞ったが、看守であったと言えるかは疑問だ。少なくとも、ユーティアにとっては友人であり、息子であり、戦友のような人たちである。その手を取って駆けた記憶に比べて、怖れた記憶はとても少ない。


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