19 袋小路と二人の看守


「まあ、あまり大声で言うなよ。これは入ったばかりのニュースだったんだ。囚人が最新の戦況に詳しいなんて知れたら、俺たちが何でもかんでも、あんたに喋ってると疑われるからな」
「約束するわ。誰にも言いふらさない」
「よし」
「教えてくれて、本当にありがとう」
 ユーティアは誓いを示すように、胸に手を当てて微笑んだ。立ち上がると、髪に染みついた薬の匂いが漂う。風呂は、とレドモンドが訊いたので、眠ってしまったからこれからだと答えると、彼は鍵を開けたままにしておいてくれた。急いで支度をして済ませようと、タオルと着替えを用意する。
「どうせ明日も、薬臭くなるんだろ」
 鉄格子の向こうから聞こえた声は、ティムのものだった。
「ええ、そうだけど」
「一日くらい、そのまま寝たって変わらねえだろ。何のために髪なんか洗うんだ」
「何って……それは」
 考えたこともない質問に、ユーティアは言葉を失って振り返った。衛生のため、とでも言えばよいのだろうか。大多数の人間が、シャワーを浴びる理由なんて同じではないのだろうか。囚人の身だからこそ、不衛生にして病気をするのは印象が悪い。そういう意味では、以前よりも最近のほうが清潔さには気を遣っているくらいだが。
 一体なにを思って、唐突にこんなことを訊かれなくてはならないのか分からない。どうしたのだろう、と戸惑うユーティアを感情の読めない目で見据えて、ティムは吐き出すようにぽつりと言った。
「……あんたは変わった人間だ」
「え?」
「魔女ってのはみんなそうか? グリモアがあって、やるべきことが分かってるから……」
「ティム? どうしたの、いきなり」
 ユーティアはほとんど無意識に、初めて彼の名前を口にした。今までは知っていても、何となく呼ぶのが憚られた。けれど今は、呼びかけないと彼がどんどん俯いていってしまうような、そんな気がしたのだ。
「あんたを見張るようになってずいぶん経つが、俺はずっと、あんたの真面目さが不気味で仕方なかったんだ」
「不気味……?」
「おい、ティム」
「ああそうだ、不気味だ。生真面目で従順で、叫んだり悪態をついたりすることもなけりゃ、俺たちが夜中に何を話していようと告げ口一つしない。レドモンド、あんただってそう思ったことないのか? こいつを不思議に思ったことは、一度もないって言うのかよ!」
 低く、唸るような声を上げてティムはレドモンドを睨みつけた。彼が声を荒げるのなんて、初めてのことだった。いつも、レドモンドにどれだけ都合よくトランプのルールを改変されようと、賭けで負けてコインを持っていかれようと、せいぜい舌打ちくらいしかしない無口なティムが怒鳴っているのだ。
 あまりの珍しさに、ユーティアはおろか、彼を止めに入ったレドモンドまでが黙り込んでしまって、石の塔にしんと沈黙が訪れた。
「あんたは牢屋に捕らえられている身で、自由なんてほとんどない。状況もろくに教えられないまま、外では戦争がされている。そんな中で、今度は仕事だと言って毎日、延々と薬を作らされている。――罪人でもねえのに、だ」
「罪人よ、私は」
「不敬罪だろ、そんなもん罪とは言わねえよ。ただの名目だ」
 ティムはあっさりと、ユーティアの発言を却下した。その声の冷たさに、ユーティアは反射的に口を閉じる。
「先も見えなけりゃ、自由もない。俺たちから見れば、あんたは内も外も絶望の中にいるんだ。それなのに、絶望しているように見えない。不満も苛立ちも、鬱積している様子がまるで見えない。これが不気味じゃなくて、何だって言うんだよ」
 ちらとレドモンドを見やると、彼はいつの間にか身を引いて、ティムを宥めることを放棄したようだった。ユーティアと目が合うと、先ほどと別人のように感情の読めない目線を投げ返してくる。
 レドモンドも、口に出さなかっただけでティムと同じ疑問を抱いているのだ。ティムの言動に対してユーティアがどう反応するか、彼は見物を決め込んでいる。
 ティムは自分もレドモンドの見物の対象になっているなど気に留める余裕もないかのように、固く握りしめた拳を鉄格子へ当てた。
「ティム……」
 呼びかけると、睨むような眸と視線が重なる。激昂する一歩手前のように見える青年だが、ユーティアには不思議と、今の彼がそれほど恐ろしく思えなかった。怠惰な気配を纏わせて、目だけを鋭く動かして廊下でトランプを広げているときのほうが、よっぽど恐ろしい。ああいうときのティムのほうが、よほど何か気に食わないことがあれば一瞬で殴りかかってきそうな、暗く張り詰めたものを見え隠れさせている。


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