[.「ナハトのルクシオン」


「正したというより、普通の状態に戻しただけだと思うが……税をまともな額に下げて、兵士を行かせて、土地の調査を進めて育てやすい作物を見つけ出したり、それを中心部に売って収入に変えられるよう、道の整備を進めたり」
「やっぱり、ちゃんと考えてあげたんじゃない」
「でも、私がそうやって手を出したのは、本当に少しの間だけだからな。皆の努力があって、相変わらず小さな村ではあるが、今ではなかなか暮らしやすい農村になっているようだ。中央からの引っ越し先として、南部を選ぶ者も少しずつ増えている。人手が多くなるのは、良いことだからな。あの頃のナハトの畑も、今くらいの数がいれば、もっと広く活用することができたと思うんだが」
 当時の実情を振り返って惜しむように言い、ルクは背もたれに体を預けて脚を組んだ。裏を返せばそれは、今はその頃よりずっと良くなっている、ということだ。ナハトの人々は、同じ畑を耕していた彼の中央での活躍を、どんな思いで受け止めていたのだろう。
 期待と、喜びと、信じられない気持ちと、少しのお節介。多分、生まれ故郷が巣立った人へ向ける目は、地上も魔界もあまり変わらなくて、そんなものだ。
「ねえ、ルクはさ、故郷のご両親はお城に呼ばなかったの?」
 ふと、気になって訊ねてみた。王になったとき、彼はまだ少年だったという。ならば、家族と一緒に暮らすような生活は望まなかったのだろうか。
「下に、七人の兄弟がいて」
「……え?」
「呼ぶに呼べなかった。さすがに父母を含めて、九人呼んだらいくらなんでも怒られそうだと思ったし、城の暮らしはやはり特殊だから、幼い弟たちをここで暮らさせるのはどうもな。両親もそう考えていたようだ。共に暮らすことはなかったよ。ただ、私はそれなりによく、実家へ顔を出していた」
「あ、そうなんだ?」
「里帰りに関しては、ゼンたちも結構甘く見てくれたんだ。一家を全員呼び出すよりも、私一人が帰ったほうが早いから、年に二度か三度は馬車を出してもらってナハトへ戻っていた。せいぜい一泊のとんぼ返りではあったが、今になって思えば、皆で色々と仕事を代わって、休みを捻出してくれていたのだろうと分かる。まあ、母が百年前――父がさらにその三百年前に亡くなってからは、年に一度帰るか帰らないかという程度だが」
「ふうん、そうなん……は?」
 ルクが、はっとしたように顔を上げた。
 幼い彼と城の人々の、ぎこちないながらも支え合おうとしていたかつての関係が目の裏に浮かんで、じんわりとした感動で危うく聞き流すところだったが。今、何かとても不自然な点がなかっただろうか。
 紫の眸が視線を合わせまいとして彷徨っている。私はそれをできる限り正面から捉えて、テーブルの上に身を乗り出した。
「百年前……、そのさらに三百年前……?」
「あー……いや、これは……な」
「つまり、お父さんが亡くなったのは四百年前ってこと? ねえ、ちょっと待って。貴方って、一体何歳だったの!?」
 動揺で、叫ぶ声が震えてしまった。テーブルを叩いた私に、ルクが身を縮める。
 百年だの、三百年だの。私の知っている「過去の出来事」とは遥かにレベルの違う時間が、今、その口から出なかったか。冗談を言うにしては、私たちはぼうっとして、気を抜いて喋っていた。けれど大きな聞き違いをしたとは思えない程度には、私は真面目に彼の話を聞いていた。
 間違いではない。
 気まずそうにそろりと目を逸らして、ルクは私に聞こえるか聞こえないかの声で、観念したように言った。
「十万、二百十一……」
「じゅうまん!? うそ、全然見えな……いや、十万歳の人って見たことないから分かんないけど! 本気で!?」
「ま、魔族ではまだ若いほうだ! 人間でいえば、君と十は違わないくらいの時期に当たる。魔族だからというより、魔界では誰も当たり前のことなんだ。地上とは、魂や肉体にかかる時間の重さや、流れが色々と違うから」
「え? 何それ?」
「魔界は地上に比べて、時間の粒が細かいんだ。軽くて小さくて、早く流れる。その分、魂にも体にも負担が少なくて、結果的に魔界では誰も彼も、地上とは桁の違う年月を生きる」
「う、んん……?」
「地上の時間は、こちらより重く進む。体感的には変わらなく思えても、地上が一日終える間に、魔界ではその何倍もの月日が流れているということだ」
 頭の中を、よく整理する。砂の粒の大きさが違う砂時計を二つ並べて、しばし引っくり返したり眺めたり覗き込んだりして、私はようやく一つの可能性に行き当たった。
「じゃあもしかして私って、地上ではまだそんなに長い期間、いなくなって――ないの?」
 理屈通りなら、そういうことだ。私は魔界で三ヶ月を過ごしてきたが、それは魔界の時間の流れであって、地上はもっとゆっくり進んでいる。認めるように、ルクが深く頷いた。
「多分、君が思っている以上に、君はまだ向こうの世界で消えていない」
 可能性を、確信へ変える一言だった。驚きと喜びが一気に弾ける。それらは凄まじい速さで私の全身を駆け巡って、最後にパンドラの箱のごとく残った怒りを込め、私はコーヒーカップを掴んで勢いよく立ち上がった。
 なぜ、今の今まで教えてくれなかったのだ。


- 44 -


[*前] | [次#]
栞を挟む

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -