Y.真価


「あら、こんにちは」
「テティさん」
 掃除担当の集合場所は、一階西階段の踊り場だ。覚えたての近道を使ってみたくて、いつもと違う廊下へ入ったところで、この時間に行き会うには珍しい人と顔を合わせた。テティさんのほうも同じことを思ったようで、奇遇ですねと顔を綻ばせる。
「午後のお仕事ですか?」
「うん、掃除。テティさんは……すごい荷物だね。大丈夫?」
 その顔の、顎の下に触れるか触れないかという高さまで、彼女は腕に大量の紙を抱えていた。束にして結ばれていたり、紐で留められていたりするものもあるが、それにしても重そうな枚数だ。落としてしまわないのかと心配になる。
 テティさんはそんな私のはらはらを他所に、慣れた様子で「よいしょ」とその紙を抱え直して頷いた。
「これくらいでしたら、特に問題ありません」
「そ、そうなんだ」
「書類整理をやっていると、よくあることです。執務室まで持っていくのですが、近くに行けば兵士さんが手を貸してくださいますし」
 執務室は、東階段の先にあったような気がするのだが。
 こんな華奢に見える腕の、一体どこにそんな力があるのだろうと心底納得がいかないが、テティさんは何でもなさそうだ。まあちょっと嵩張りますよね、程度の顔をして書類の山を抱えている。
 無意識にそっと、自分の二の腕を触った。なあなあの筋肉と、若干の柔らかさがついている。言えない。これでもメイドの仕事に就いてから、ずいぶん締まった、なんて。
「これ、全部執務室に持っていくの?」
「ええ。ルク様に見ていただく、魔界の各地域の状況ですとか……投書を基にした予算案であったり、治安の維持に関する報告書であったり。そういうものです」
「それって、政治ってことだよね。……政治、やるの? ルクが?」
「はい、やっていただきますよ。魔王ですから」
 私はよほど怪訝な顔をしたらしい。テティさんが軽く笑って、だめですよ、と首を振った。
 急いで顔に出ていたものは押し込めたが、しかしやはり、あまり想像はつかない。ルクが政治。執務室にいる姿なら何度となく見ているし、言われてみれば王なのだから、治世をしなくて何をするという話でもあるのだが。そういえば、考えたことがなかった。彼が実質的にどうやって、日々何をして、この魔界を治めているのかなど。
「……まあ、デスクワークなら威厳は必要ないもんね」
 目の前にある大量の書類を見て、ふむと思う。独り言のような私の呟きに、テティさんは少し目を丸くしてから微笑んだ。机に向かうのであれば、別に威風堂々としている必要はないし、筋骨隆々としている必要もない。魔界というと何となく、そういう歴戦の猛者のごとし、見るからに「強い」と分かる人でないと上には立てないイメージがあったのだが、案外そうでもないのだろうか。
「思えばルクって、よく無事でいるね」
「はい?」
「だって魔王っていうには、何ていうか……分かるでしょ? 反乱とか、よく起こらないなあって」
 下克上を、真っ先に狙われそうなタイプだ。弱々しくて、あまり危機感がなくて、妙なところでお人好し。自分で言うのもなんだが、保護するという理由があると言えど、どこの誰とも分からない私をこうして雇ったりしている。野放しにされたところで大した悪事を企める人間でもないが、城主がそれを目に届く位置に置くかどうかは五分五分だろう。猜疑心の強い人であれば、少なくとも執務室へは近寄らせないと思う。
 城の警備が、よっぽどしっかり護ってるのかな。
 城門の傍にいたゼンさんを始めとする人たちを思い出し、そういうことなのだろうかと納得しかけた。だが、テティさんは書類を腕に抱えたまま、驚いたように肩を竦めて、
「はんらん、ですか」
と、珍しいことに声を上げて笑った。
「そうですね、それは何と言いましょうか。ふ、ふふふっ」
「テティさん?」
「ルク様を相手取って、戦うなんて。無謀すぎて、私はむしろ応援したくなります」
 数秒、何を言っているのか分からなかった。半開きになった唇から、ようやく「は?」とだけ絞り出した私に、テティさんはゆっくりと、言葉を探すようにして口を開く。
「もしかしてですが、マキさんは、ルク様が世襲で王位に就かれたと思っておられますか?」
「そりゃあ……、違うの?」
「魔界の王は、血統ではなく実力が何よりです。あの方は、もとはここから休まず歩いて三日ほどかかる、遠い田舎の出身ですよ。ご両親もそちらの方で、生まれも育ちもお城とは何の関係もありません」
 脳天に、氷水と熱湯を同時にかけられたような衝撃があった。
ルクが、実力でこの世界の王になった? 彼の座っている玉座は、王家という一つの血の流れに乗って、代々続いてルクのところへ流れ着いてきたものではなく?
 嘘だ、としか思えない話に、私はテティさんの目を見上げた。今にも彼女が「なんて、冗談です」と言うに決まっているだろうと思って。頭の中に、城内をふらりと歩いている ルクや、こちらに気づくと「マキ」と呼び止めて、調子はどうかと問いかけてくる彼の姿が思い浮かぶ。次いでゼンさんやタリファさんと言葉を交わす姿、執務室の机で頬杖をついて考えている姿。


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