Y.真価


 どうやらぼんやり歩いていて、角を曲がってきたルクに気づかず、思い切り衝突したらしい。落としたカードを拾い上げて「ごめん」と謝れば、彼は私が気を取られていたものを察したのか、失くさないようになと答えた。
「もうちょっと、気をつける」
 ポイントカードのこともそうだが、まさか城主に体当たりをかますとは。相手がルクだったからまだ良かったものの、これが別の城主だったり、例えばこの城の中であっても大切な客であったりしたらと思うと、さすがに笑えない失態だ。タイミング悪く自己暗示などかけていたせいで、目上のはずの人から謝らせてしまったのもなかなかにどんくさい。
(そりゃアルさんにも、怒られる――)
 私が悪かったな、と思って、注意しようとしてくれたアルさんを見上げ、私はあれっともう一度身を硬くした。鎧を被った銀の肩が、細かく震えている。
 まさか。
「――貴方は本当に、いつもそうやってっ!」
 キーンと、私を怒鳴ったときの倍はあるかと思われる声量で、アルさんはルクへ向かって叫んだ。あまりの出来事に、怒られていない私まで反射的にビクッとしてしまう。無論、ルクは私よりも相当に驚いて、軽く肩を跳ね上げた。城の廊下に、「てっ」というアルさんの残響が吸い込まれていく。
「毎回毎回、どうしてそうやって片づけてしまわれるのですか! 使用人を甘やかしすぎだと、いつも申し上げているでしょう! 大したことないとかお互い様だとか! それは対等な立場においてのみ、通用する話なんですよ本来は!」
「ア、アル?」
「わたくしのこともぉお! なぜ一回も生意気だと仰らないのですか! こんなに口煩くて喧しいのにぃい」
「喧しい自覚があるなら、せめてもう少し、ボリュームを下げてくれると……いや、君は確かに騒々しいところもあるが、それは私の至らない部分を思っての発言だろう? そういうものを怒るのは、逆上というんだと思って……」
「ほらまた! 貴方はいつもそうやって、誰も悪くないってことでまとめすぎなんですよお! もう少しご自分の立場を分かって、警戒心を持ってください。彼女がもし貴方に恨みを持つ侵入者で、いま手にナイフを持っていたとしたら、貴方刺さっちゃうんですよ!」
 わんわんと、喚かれる言葉が耳に痛い。物理的な意味と、そうでない意味とで。
(私、最初はそう思われてたんで、疑いを盛り返すようなことやめてほしい……)
 お願いだよ、アルさん。心の中でそう願いつつ、私はポイントカードをポケットに押し込んだ。例え話でもやめてほしい、縁起でもない。「彼女」、「ナイフ」、「侵入」のような断片的な部分だけ、誰かに聞こえてしまったらまた妙な疑惑をかけられかねないではないか。〈裁きの間〉の絨毯に転がるのは二度とごめんだ。
 まあ、万が一の例え話にされるということは、裏を返せばそれだけの信用を得たということなのかもしれないけれど。
 一向に声量を落とす兆しのないアルさんに、ルクはひたすら捲し立てられて叱られている。内容はどれを取っても、やれ夜遅くに一人で出歩くなだの、毒見を通さず躊躇なく食べるなだの、面会を申し込まれたら誰でも彼でも了解するなだの。ようはただひたすらに、アルさんはルクに、もっと身を守ることを徹底してほしいと訴えているようだ。これまでにも何度となく口を酸っぱくして言っているのか、今日こそはうんと言わせようとしているように、凄まじい気迫で並べ立てていく。
 ――大変なんだなあ、アルさんも。
 私は、ルクではなく彼に同情した。危機感に欠ける主を持つと、不安の種が尽きないのだろう。王様らしい王様ではないと前々から感じてはいたが、まさか毒見にも無頓着だとは思わなかった。アルさんが若くして頭髪を失ったら、ルクのせいである可能性が高い。
 もっとも、彼は彼で心配性が過ぎるというか、青年で、少なくとも私よりはいくつか年上に見えるルクに対して、過保護なきらいがあることも否めなそうではあるけれど。本当に危険が潜んでいる可能性があれば、タリファさんやシダさんも進言しているだろうし、そもそもすでにゼンさん辺りが陰できっちり処理を行っているような気もする。
 ゆるいようで、ゆるくない。お堅いようで、意外に寛容。この城で働く人たちは、なぜかそこだけ共通している。
「あの、私そろそろ掃除の時間だから。お騒がせしました」
「はっ、え、ちょっと待てマキ! 君は私を置いていくつもりか……!」
「メイドの仕事にご主人さまを連れて行くなんて、できるわけがないじゃありませんか」
 わざとらしく畏まって、お辞儀をする。諦めて頑張ってね、という意味を込めて。
 私を叱ったアルさんを制止したときのルクは、ほんの一瞬、王様に見えないこともなかった。でも、アルさんに押しまくられて「悪かったって」と縮こまっている今のルクを見ていると、何だかそれも錯覚だったとしか思えなくなってくる。宥めようとしてもひたすらに逆効果で、助けを期待して向けられた目などすっかり涙目だし、魔王らしさの欠片すら感じられない。
(やっぱ、錯覚だわ)
 呆れて歩き出した背中に、尚も「ですから貴方は!」と叫んでいるアルさんの声が響いて、じきに届かなくなった。


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