V.魔界


 彼女は、脛まである黒のワンピースに白いエプロンをして、まとめた髪をシンプルな白のカチューシャで押さえていた。メイド服だった。
「マキ。君にこれを貸しておこう。仕事中か否かに関わらず、君はできるだけ、この服を着ておくといい」
「なんで?」
「城の関係者だという、分かりやすい目印になる。連絡は徹底しておくが、城内には普通、人間などいないからな。万が一、また人間だという理由で疑われたとしても、それを着ていれば瞬殺されたり、目の前が急に真っ暗になったりすることはないはずだ」
 そんなゲームオーバーみたいなことが、現実に起こるわけ。ない、とは言えないのが、どうやらこの世界での私の立ち位置のようである。
 長い髪をきっちりと編み上げたメイドさんが、どうぞ、と軽くお辞儀をして、袋を手渡した。覗いてみると、ぱりっとアイロンの効いた白と黒の布地が見える。間違いなく、彼女の着ているものと同じメイド服だろう。
「後ほど、もう何着か届けさせる。丈が合わなかったら、タリファに言って換えてもらってくれ」
 初めて耳にした名前に顔を上げると、メイドさんが静かに頭を下げた。耳の先が三角に尖っている。眸も深い赤をしていた。人間にはいない色だ。彼女も、魔族なのだろう。
 まさか本物のメイド服に袖を通す日が来るとは思わなかったなあ。
 ぎこちなく抱えた袋をまじまじと見下ろして、一人苦笑する。苦、の成分のほうが八割で、笑は二割にも満たなかった。ここでは普通の職業なのかもしれないが、メイドなど、私の世界では半ば架空の仕事と化していたものだ。どうしても、コスプレ的な恥ずかしさが抜けない。着るのか。これを。
 その上、ルクの言い様から察するに、私は部屋着さえこれにしておくくらいの心構えでいたほうが良いということなのだろう。廊下を曲がった瞬間にデッド・エンドなど、冗談じゃない。これを着ているだけでそういった不慮の事故を避けられるというのなら、しばらくは大人しく、メイド服大好き人間として過ごそうではないか。
 多少やけになっている気もしないではなかったが、私もだいぶ、優先順位を見極めるのが早くなってきた。
「それから、もう一つ」
 ルクがそう言って、透明なプラスチックのカードのようなものを取り出した。
「何、これ?」
「ポイントカードだ」
「……はい?」
 至極、真面目な面持ちで言われて、聞き返さざるをえなかった。チェスボードを模した〈裁きの間〉に、突如として溢れかえるこの生活感はなんだろう。頭の中を駅前のショッピングモールから近所のスーパーまで――洋服から鮮魚まで――が、鮮やかに駆け巡る。ポイントカードはお持ちですか。ええ、何だかお作りされたみたいです。
「君が何を想像しているのか、大体の見当はつくが」
「あ、うん」
「言っておくが、有効期限はないし、お金では貯められない。メイド服以上に、君に必要なものだ。再発行は可能だが、紛失すると最初から貯め直しになるからな。失くすんじゃないぞ」
 雑多な想像を見透かされたようで、若干気恥ずかしい。どうやら私の知るポイントカードとは、果たす役割の重要度が全く異なるようだ。
 念を押して渡された透明なカードには、銀の文字が浮かび上がっていた。読めない。辛うじて文字と分かるのは、先ほどルクが書いた文字を見ていたからで、知らなければ模様か何かとしか思えなそうだ。
「タカクラマキ、と書いてある。後はまあ、簡単な君の情報だ」
「そうなんだ……、魔界の字ってどこが区切りなのか分かんなくて、難しそう」
「初めは仕方ないさ。それに、数字だけは地上の文字に合わせてある。ポイント数を見る分には、何ら困らないはずだ」
「あ、そうなの? じゃあ、もしかしてこれがポイント数?」
 カードの中心にある、唯一見慣れた形を指して訊く。そこには「0」と記されていた。
 お近づきのしるしに、五百くらい入れておいてくれてもよかったのに。内心でそんなことを思ったが、さすがに口には出さなかった。
「ああ。君が何かしらの善行をすると、そこに数字が加算されていく。自動的に増えていくから、カードに何かする必要はない。例えば……、そうだな、こんなふうに」
 ルクが手元にあった羽根ペンを、ぱっと落とした。拾ってみてくれ、と言われて、足元に落ちたペンを手渡す。
 その瞬間、カードに刻まれた文字が音もなく動いた。「0」だった部分が、「2」に変わっている。魔法のような出来事に、私は軽い歓声を上げた。
「と、こんな感じでポイントが増える」
「へえ、ちょっとすごいかも」
「今のは少なかったが、仕事によっては二十、三十と加算されるものもある。色々と試して、効率のいいものを選ぶといい。ただし、あまりに雑な仕事をしたり、できもしないものをやっているふりでごまかしたりといった悪行をすると、ポイントは減ってしまうこともあるからな。得意なものを選ぶことが、一番の近道かもしれない」
「近道――元の世界への?」
「そういうことだ。カードのポイントが貯まりきったとき、君は罪を償ったと見なされ、そのポイントと引き換えに、私も君を地上へ帰すことができるようになる」
 なるほど、と私は頷いた。


- 12 -


[*前] | [次#]
栞を挟む

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -