V.魔界


 無実の罪を償うために働かされる時点で、こちらは妥協を強いられている。その上、さらに自分に傅けというのか、この魔王は。労働をすることはこの際、仕方がないことだとしても、つい数時間前まで普通の高校生だった私にとって、誰かの使用人になるというのはひどく抵抗があるものだった。自分が何だかとても弱い立場に落ちてしまうような、そんな恐れが湧き上がる。
 メイドになって、結局それっきり帰れなかったらどうしよう。
 ずるずると働かされて、家に戻れなくなる可能性を想像して、私は知らず知らずのうちに険しい顔になっていたらしい。家族も友人もいないという状況がようやく飲み込めてきたせいか、私は妙な緊張状態にあり、とにかく自分の身の安全を確保しなくてはと躍起になっていた。気持ちが不安定に昂ぶって、悪い想像に過敏になっている。
 そのことに気づいていないわけではなかったが、不安からくる焦りは簡単に抑えられるものでもなく、私はまた結局、苛立ち紛れにルクを睨みつけた。彼はうっと怯んだように、背もたれに身を沈めて距離を取る。
「そ、そんな顔をして睨むんじゃない。仕方ないだろう。あまり遠くへ行かせるわけにもいかないんだ」
「なんでよ」
「それはさっきも言った通り、君たちに馴染みのある文化で言えば、ここが地獄だからだ。君は今、うっかり生きて地獄に堕ちた状態なんだよ。でも外にいる魔族たちには、そんな区別はつかない。ゼンたちの反応を忘れたわけではないだろう」
「……?」
「城内の者は、侵入者があっても無闇に傷つけず捕らえることを徹底しているが、一歩外へ出ればそんな話は通用しない。目の届く範囲にいてもらえないと、手違いで煮たり焼いたり裂いたりされたら困るだろう!」
 紫の眸が微妙に吊り上がっているのは、もしかして、睨み返しているつもりなのだろうか。早口で捲し立てられたことを頭の中で整理していきながら、私はあれ、と首を傾げた。
 困るだろう、というが、その口調ではまるで、何かあったら「迷惑だ」というより、「君は困るだろう」というようではないか。いや、ようも何も、そもそも私に何が起ころうが、ルクに困ることがあるとは思えない。
 つまり、これはもしや。
「私を、この城に保護する、ってこと?」
「そうだ」
 まさかと思いながらも訊ねてみれば、最初からそう言っているとでもいうような肯定が返ってきた。先にそれを言ってくれればいいのに、と思う。最初に「君は我々が保護する」とでもビシッと言い切ってくれれば分かりやすいものを、そこはかとなく頼りない話し方をするせいで、また気づくのに手間取ってしまった。
「さっき、さらっと言ってたけど。私、煮たり焼いたり裂いたり、されるの?」
「魔界では、人間はそういう扱いを受ける場合もある。魂は苦痛を受けるだけで、死を持たないからな」
「さっき言ってた、過酷な環境ってそういうことだったんだ?」
「そうだ。城内であれば、皆に連絡を通して君を安全に働かせることもできる。ただ、城門の外へ出してしまっては、人間である君の安全を保障することは難しい」
 真面目な表情で言い切られて、思わずごくりとつばを飲んだ。私はあの〈地獄の門〉から直接この城内へ堕ちてきて、槍を突きつけられて、とんでもない目に遭わされたと思っていた。だが、そうではなかったのだ。ルクの話が真実ならば、もし門の向こう側へ堕ちていたら、この身は今ごろどうなっていたか分からない。捕らえられて無事でいるという時点で、私はこの魔界でトップクラスの、慈悲とモラルのある場所に堕ちたのだ。
 メイドというからついつい、こき使われる可能性にばかり頭がいっていたが、そういうことなら私も考えを変える必要がある。顔を上げ、改めてルクを観察した。
 魔王というには人の良さそうな、裏を返せば気弱そうな眸。ここまで話してみた感触からいっても、傲慢でふんぞり返ったタイプではないだろう。むしろどちらかと言えば頼りない印象なので、保護という保護をどの程度してもらえるかは怪しいものだが、少なくともメイドとしては、劣悪な環境下でぼろぼろになるまで働かされることはなさそうである。
 何より、侵入者と決めつけられていたはずの私を、問答無用に殺すのではなく、彼はその目で確かめにきた。おかげでどうにか生き延びたのだ。彼がもし何事にも無関心で残虐な王であったら、私が生者だったことなど知る由もなく、私はきっと何も分からないまま、ここが一体どこなのかも知らずに処刑されていただろう。
 想像すると、寒気が首筋を駆け上がった。同時に、心は決まった。
「……分かった」
「マキ」
「元の世界に帰れるまで、ここで働かせて。ちゃんとやれば、必ず帰れるんだよね?」
 この城を出て、他にどこへ向かうあてもない。ルクを信用して、メイドとして住み込みで働かせてもらうことに決めた。念を押すように訊いた私に、ルクは「もちろんだ」と頷く。一度信用すると決めた以上、私は彼の言葉を確かなものとして受け取った。
「失礼致します」
 軽いノックと共に、女性の声が聞こえた。ゼンさんが向かっていって、ドアを開ける。入ってくれ、とルクが言うと、その女性はちらと私を見たものの、特に驚く様子はなく傍へやってきた。


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