V.魔界


 全部貯まるといいことがある、という点では、地上のポイントカードも魔界のポイントカードも、本質的には同じようだ。ただし、貯めないわけにはいかないという点において、これまでに作ってきたカードたちとは、重みが一線を画しているが。
「それで、私の満タンは何ポイントなの?」
「ん? ああ、すまない。重要なことを伝え忘れるところだった」
 硬い透明なカードを目の前に透かしながら、その向こうに見えるルクに訊ねる。
「五千だ」
 そして、返ってきた答えに、私は両目を二度、三度と瞬かせた。
「え……、五千? 五十じゃなくて?」
「これでも、刑期としては最短だ。言っただろう、心配しなくても、仕事によってはもっと一気に稼げるものも多いから」
「二十とか、三十ってやつ?」
「そうだ。毎日、百ポイントくらいは充分に稼げるだろう。週に一度休みを取って、慣れるまでは何度か失敗したとしても、そうだな、大体――」
 白く長い指を折って、ルクは計算を始めた。
 そうして少し考えてから、悪気のない笑顔で言った。
「余裕をみて三ヶ月あれば、帰れるだろう」
 頭が真っ白になるのは、本日何度目のことか。
 一体、何を平然と言っているのだ。勇み始めた心を殴り飛ばされたような思いで、私は涙目になってルクを睨みつけた。ついでに何とか言ってもらいたい一心で、ゼンさんのことも睨んだ。彼は怒りもしなかったが、冗談ですよとも言ってはくれなかった。
 本当なのだ。絶望的な気持ちが、一気に胸を叩く。気づけばルクに向かって、ふるふると首を横に振っていた。
「む、無理だって!」
「帰りたくないのか?」
「いや、帰りたいけど! そうじゃなくて、三ヶ月もこっちにいろっていうの? 学校、どうすればいいのよ……お母さんとかだって、私のこと行方不明だと思っちゃうだろうし」
「それは……仕方がないだろう。君がこの世界に来てしまった以上、これしか方法はないのだから。それが無理だと言われると、私に協力できることは何もないし、他の場所へ行けばさらに時間がかかるのは明白だぞ? 城内は君にとって安全だ。その上、仕事も選べるくらいある」
「う……、だけど、でも……!」
 なんとか、せめて一ヶ月。できることなら一週間、いや、三日以内には帰りたい。自分が滅茶苦茶なことを願っているとは分かっていたが、三ヶ月という時間は、はいそうですかと覚悟するにはとてつもなく長かった。
 学校だって、じきに冬休みが終わるのだ。無断外泊もしたことがない私がいきなりいなくなって、今晩、ただでさえ家族は動揺するだろう。それが三ヶ月も続く。世間は春になって、私も学年が三年生に上がってしまう。否、三ヶ月も休むことになるのだ。進級は不可能ではないだろうか。
「りゅ、留年……」
 頭の中に浮かんだ文字が、そのまま声になって、妙な現実味を帯びてしまった。縋るように見上げたが、ルクは難しい顔をしたままだ。刑期が最短というのは、きっと本当なのだろう。瞬きを何度繰り返して待ってみても、五千ポイントより早めてあげよう、とは言ってくれなかった。
 代わりに、彼はゆっくりと、慎重に言葉を選ぶようにして、私に告げた。
「マキ。君にとって、三ヶ月も元の場所へ帰れないことは、辛いことだろう。地上は、時間の重さが魔界よりずっと重い。家族が心配するだろうということも、私とて分かっていないわけではないぞ? だが、君には君が思っている以上に、選択肢がないのだ」
「……っ」
「帰れるか、帰れないか。二つしかないのなら、君は今、できることをするしかない。三ヶ月は長い。だが、二度と帰れないことと三ヶ月間の、何を比べる必要がある? 三ヶ月は、三ヶ月だ。永遠ではない」
 はっとする、とは、こういうことなのだろう。頭の中に散らかっていた大小様々な迷いや戸惑いが、すべてを上回る大きな手に一掃されて、頭がもう一度真っ白になった。ただし、今度は爆発のような白ではなく、圧倒的な静寂の白だった。音も色も、何も姿を現さない。
 私には、ルクに返す言葉が出てこなかった。
「……マキ、君は今日、色々なことがあって疲れているだろう。このまま思いつめるより、一旦ゆっくり体を休めてはどうだ」
 ルクはそんな私の沈黙を、キャパシティオーバーによる過度の疲労だとみたのか、同情するようにそう言った。
「客室が空いていたはずだ。どの部屋でも構わない。タリファ、すまないが案内を任せる」
「かしこまりました」
「ゼン、私は一度部屋へ戻るから、念のため護衛をしてやってくれ。彼女のことは明朝、皆に伝える」
「お任せください」
 反論する暇もなく、てきぱきと物事が進められてしまう。気づけば私はタリファさんに荷物を持たれて、ゼンさんに促されて椅子から立ち上がっていた。
 紫の眸が、見下ろす位置にある。
「夕食は届けさせる。今夜はできるだけ、部屋から出ないようにな。明日の朝、また話をしよう。それまで休んでいてくれ」
 気力がさすがに尽き果ててきていて、もうあまり無意味に抗う気にもなれなかった。色々あったなんてものじゃない。整理したくても振り返れば怒涛のごとく押し寄せてくる、たった数時間の出来事に、私は一度、考えることを放棄したくなって黙って頷いた。心なしかほっとしたように、ルクが微笑む。
「では、おやすみ」
 夕暮れさえもまだなのに早い挨拶だ、と思ってから、ああでもここではそれほど違和感もないか、と思い直す。城門の傍で見た空は、朝とも夜ともつかない奇妙な色をしていた。この部屋に窓はないが、ちょうど今、目の前でルクが腰かけているような紫の。
 タリファさんとゼンさんに連れられて、私は再び長い廊下へ出た。白い壁に何枚もの肖像画が並んでいる。どれも人間では見たことのない髪の色をしていて鮮やかだったが、すべて頭を素通りしていって、留まることはなかった。
 タリファさんの尖った耳の先ばかり、ただ記憶に残った。


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