第三幕


 ――七夢渡り。
 それはこのアレステア王国に古くから伝わる伝統の儀式で、誰もがそれを行える権利を持つ。発祥は諸説あるが、少なくとも三百年前には、すでに民間の一般的な儀式として広まっていたことが記録に残されている。多くの人が一生のうちに経験するもので、しかし何度でもとはいかない。七夢渡りを行えるのは、一人の生涯につき、一度きりだ。
 七夢渡りとは、言ってしまえば死者との対話である。
 左の手の甲に七の字を書き、月光に晒した水晶を浸けた専用の水を飲んで眠ると、その晩から七日間、魂が夢の中で死者の世界――トコロワ――に出向いてゆけるというものだ。呪術と違っているのは、死者を呼び戻すのではなく、正式な手順を踏んだ上で生者がこのウツロワから、死者の元へ向かうということである。
 トコロワの夢を見ていられる時間は、最終日に向かうにつれて長くなり、初日は顔を合わせるくらいで話せることなどほとんどない、というのが一般的な形のようだ。日ごとにそれが伸びていって、会えないはずの人に会えていることにも落ち着きを保てるようになってきて、そうして七日間、短いながらも徐々に長くなる奇跡の時間が与えられる。
 ほとんどの人間は、それを両親との対話に使う。大きな迷いを抱えたとき、不慮の事故で突然の別れを余儀なくされたとき。あるいは自分に、若くして死が迫ってきたとき。人生の大きな転換点に立たされたとき、最も血の繋がりの深い家族ともう一度会うことで、それぞれの持つ壁や時間と向き合い、答えを手に入れる。
 晩年まで儀式を行わず、その権利を大切に残しておく者も少なくない。人は生まれ変わりを選ばない限り、百二十までなら、トコロワで歳を重ねて暮らし続けるという。先立った親にさえその意思があれば、わが子が老いて、近づきつつある自らの寿命を意識する年齢になるまで、待ち続けることも不可能ではないのだ。
 反対に生まれ変わることを選択してしまえば、魂は次の体へ転生する。誰が訪ねてきたとしても、もうトコロワでその人として会うことはかなわない。
 王はこの点についてひどく心配していたが、ハイエルにはきっとライラがいるという確信があった。
 情に厚く国思いのティモンと、その公正で温かみのある性格を見初められた王妃、フィリアの娘である。彼女がトコロワでどのような日々を過ごしているのかは分からないが、もしかしたらいつか、二人が会いに来るかもしれないという可能性を考えれば、そう足早に次の生を選んではいないのではないだろうか。
 まして二人には、ライラの後に子供がいない。王家の、そして王国の行く末が決まるまで見守ることもせず、一人で生まれ変わることなど、同じ立場であったとしたら自分にもできるものだろうか。そうは思えない。
 彼女はきっと、トコロワにいる。
 確信を改めて深くしたハイエルは、七の字を書いた自分の手の甲を見つめ、ベッドに腰かけた。窓の外には青白い満月が浮かんでいる。七夢渡りに使う水を飲んで、じきに三十分。そろそろ、体の芯までそれが染み渡った頃だろうか。
 横になり、普段眠るときと同じように時計を傍へ置く。カチ、カチ、と秒針の進む音がやけに大きく聞こえるように感じた。呼吸に合わせて上下する胸や、ほんの小さな服の擦れる音。部屋は、これほど静かな場所だったろうかと考える。
 ――十八年、か。
 静寂を振り払うように寝返りを打って明かりを消し、ハイエルはわざと音を立てて足を投げ出した。鼓動が震えているようだ。目を向けるまいと思っていたが、やはり緊張は少なからずあった。ふ、と細く息を吐く。窓の向こうで、夜を渡る鳥が鳴く。
 瞼を下ろし、徐々に心音と溶け合っていくその鳴き声を、ただ聞いていた。やがて、緩やかな眠りが訪れた。

 目を開ける。深い霧が、辺り一面に立ち込めている。
ハイエルは二度、三度とその紫黒の眸を瞬かせた。ゆっくりと、視線を動かす。上を見たが、霧が濃くて何も見えない。
 次いで下を見れば、自分の体が見て取れた。正装だ。眠ったときは部屋着に近い格好をしていたのだが、いつの間に着替えたのか、昼に王を訪ねたときのようなマントまで身につけている。
 ――トコロワでの姿は、肉体でなくその者の魂の姿である。
 いつだったか、そんなことが文献に書かれていたのを思い出し、少しばかり記憶を辿った。魂の外観は、その者の精神や役職、最もあるべき姿などを反映する。見れば、日頃扱えるものよりずっと長く、装飾の豊かな剣を携えていた。
 ハイエルはそこに、自分の中の野心的な一面を垣間見た気がして、なるほど恐ろしいものだと苦笑を浮かべた。


- 6 -


[*前] | [次#]
栞を挟む

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -