第二幕


 もっとも、その婚約がそうも簡単に成り立ったのは、末端とはいえグラン家が王家と血の繋がりを確かに持っていたからではあったのだが。
 数ある分家の中からハイエルが選ばれたのは、ひとえに父が武勇に優れ、騎士として王と親密に接することのできる立場にあり、所謂友人関係であったからであった。彼の息子の話を何度となく耳に挟んでいた王が、王妃のお腹の子は女児であるという読みを受けて、それならばと父を通してハイエルに話が流れてきたのだ。
 大きな話ではあったが、どちらかといえば王家の娘が嫁いでくるのであって、自分が王家に入り、あまつさえ国の中心に座すことなど、そのときは想像もしていなかった。彼女を娶り、王家を補佐しながら、騎士として生きてゆくつもりだった。ハイエルだけではなく、誰もがそう考えていた。
 そして、その娘と出会うことはとうとう果たせなかった。
「このようなお話をいただき、本当に……光栄に思います。真剣に検討し、必ずやお返事をさせていただきに参ります」
「ああ、よろしく頼む」
「つきましては、今日から一週間ほど、私に時間をいただけないでしょうか」
 婚約は、事実上破棄以外の選択肢を見失った。だが、王も王妃も、そしてハイエルとハイエルの父も母も皆、悲しみと突然の喪失に各々が戸惑い、すぐには現実的な話をすることができなかった。婚約など、無効に違いないことは誰もが分かっている。だが、誰一人としてそれを口にはできなかったのだ。ライラとハイエルの名を並べるはずだった誓いの書状も、破れないままでグラン家の戸棚の奥にしまってある。
 ハイエル自身の中でもまた、胸の奥の一部分が、そのときを境に時間を止めてしまっている。生まれてくる王女を、生涯をかけて守ってやるんだよと父に教えられたときのまま。
 恋にも愛にもまだ縁のない子供だったが、それでも何か、心に灯るものはあったのだ。テラスに出て外を見ている王妃の横顔を見かけては、強くなろう、といつか大人になることに憧れを抱いた。その頃には隣にいるのであろう、まだ名もなかった王女を想像した。心が湧き立つだけではなく、慈しみを知ることも恋ならば、ハイエルの初恋はきっとそのときだ。
「一週間? 構わぬが、具体的だな。何か思い当たる検討法でもあるのか?」
「はい」
 以来、ずっとハイエルの心は亡き王女に仕えている。喪失を埋めるために剣の特訓に没頭した日々でさえも、悲しみや困惑の他にまだどこか、彼女のためにと思うところがあった。
 もっと強く、今よりも逞しく。生まれてくる女の子がどんどん大きくなっていっても、笑って抱きとめてあげられるように。彼女より早く、大人になろう。
 ふと、そう思って剣を振るったところで気づくことが何度もあった。ああなんだ、大人になるのは自分だけではないか、と。
 王の問いかけに、今度は迷うことなく答えて、ハイエルはしっかりと頷いた。あの冬の朝から何度となく、考えてきたこと。ライラという、特殊な事情を持って自分の中に深く刻まれた存在と、それを抱えたまま、その頃に願ったはずの大人になっていった自分と。
 二つの点は結ばれずにあの世とこの世に分かたれたが、忘れられずに生きてゆくのなら、いつかは必ずその存在と向き合わねばならないときが来る。線を繋げるときが、やってきたのだ。
「七夢渡りを、行ってみようかと思います」
 その言葉に、王と王妃がにわかに目を丸くした。ハイエルは姿勢を正して跪き、頭を垂れて続ける。
「カナリー様との婚約について……、いえ、これより先の未来について考えるためには、私にはどうしてもそれが必要なのです。父母であるお二人を差し置いて、このような願いが無礼であることは重々承知しております。それでもどうか、お許しをいただけないでしょうか」
 ハイエルの言葉は、裏を返せば、それができないのならこの話についても忘れることにしたい、という交渉であった。結婚という将来の選択について考えるとき、ハイエルの心はいつも十八年前に立ち返って止まる。少年が、心細い顔をして訴えるのだ。本当に、お前にそれができるのか、と。
 そのたび、そうかと思い知る。婚約という大きな未来を与えられ、唐突にそれを失い、幼い自分はその衝撃に耐えられず、すべてを受け止めることができなかった。ライラの死は自分の中に、半分は現実のものとして、そしてもう半分はというと、そもそもあの婚約さえ幻だったのではないかという、物語を傍観するような現実味のないものとなって残っている。


- 4 -


[*前] | [次#]
栞を挟む

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -