第二幕


「……今日で、十八年になるな」
 王の言葉に、それまでその眸以外にはほとんど動揺を表さなかったハイエルの肩が、ぴくりと震える。何かを訴えるような、あるいは言葉を見つけられず、ただ胸の内を見せつけるような彼の視線に、王は一度頷いて寂しそうに微笑んだ。息を呑む音さえ聞こえそうに静まった部屋で、ふっと、その唇が懐かしい名を紡ぐ。
「ライラが生まれた日から、そして旅立った日から。今日でちょうど、十八年が過ぎた。ハイエル」
「……」
「フィリアの腹の中にいた頃より、そなたをその生涯の相手とすることを決め、わずか九歳という幼い子供だったそなたの心に、結果として深い傷を負わせたことをずっと、申し訳ないと思ってきた」
「ティモン王、それは」
「分かっている、そなたがそれを恨んでいないことは。ハイエル、そなたは優れた騎士だ。つもりがあれば、今、この場で私を押さえ込むこともできよう。そのそなたを、こうして手の届く場所に招くのだ。私はそなたの言葉を、信用している」
 久しく聞くことのなかった名に、珍しく冷静さを欠いて声を上げたハイエルを制し、王は力強くそう言った。背後で扉番が、構えかけた槍をそっと下ろす。
 失礼致しました。落ち着きを取り戻して深く詫びたハイエルに、王は構わぬとそれを許した。
 これくらいの困惑は、予想のうち。髪と同じ灰色の髭を片手で擦って、王は言葉を選びながら続けた。
「確かに、恨んでなどいない。例えそう言ってくれたそなたの台詞が本心だったとしても、私たち大人の気の早い決定が、幼いそなたを傷つけたことは事実だと思っている。それは、現在のそなたを見ていれば分かる」
「……はい」
「……この十八年、結婚もせず、騎士として、そして婚約者として、亡きライラに仕えてきた姿を見ていれば、な」
 ハイエルは返す言葉に詰まって、王の胸元のボタンを見つめた。貝細工が虹色に揺らめく。まるで今の彼の戸惑いを、写し取ったように。
 どう答えたものか。ハイエルは心の中で、返答を思い浮かべては打ち消した。しかし、同じ心の反対側では、いつかこんな日が来ることを考えたことも全くなかったわけではなかったということも、確かに自覚していた。とうとうこのときが来たのか、という思いも、認めがたいがそこには存在していて、二つの相反するはずの感情はすでに混ざり合っている。
 動揺は大きくあっても、それは弾丸で撃たれたような衝撃ではなく、水面に幾重もの波紋を散らすような形のものだった。ハイエルにとって本当に驚きだったことはただ一つ、状況から察するにはカナリーがすでに王とこの話を終えてあり、それについて少なくとも、頭ごなしに断ることはしなかった、ということだけであった。
「ライラ以降、私とフィリアの間にはついに子供が生まれなかった。恵まれなかったというだけではない。生まれてくる子を、ライラの代わりにしてしまいそうで、父親として二の足を踏んだというのも、この立場にあるまじき意見ではあるが、また私の真実だ」
「ティモン王……」
「サイモンのところにも、男児はおそらくもう生まれぬ。後継はカナリーになるだろうが、あれは明るく見えて打たれ弱い一面もあるから、早いうちに、しっかりした相手を傍につけてやりたいのだ」
「……」
「私は、ハイエル。そなたであれば、その役目を安心して託すことができるのではなかろうかと、十八年が経ったそなたを見て、改めて思っている。無論、今すぐにとは言わない。ただ、真剣に検討した上で、必ず答えをもらいたい」
 それがどんな答えであろうとも、と、王はその腕を肘掛けに凭れさせて懇願するように言った。それだけ本気の話だということである。
 ハイエルはすぐには何とも答えられず、唇を結んだ。カナリーと婚約するということは、事実上、女王となるカナリーと共に、次の世代におけるこの目の前にある椅子を、自分が担うということだ。渦を巻く植物の模様にはしる金糸の眩い背もたれが、願って手に入るものではないその座が、唐突に差し出された心地がした。
 国を継ぐ気は、あるか。
 王の問いかけはそういうことだ。一介の騎士であったはずの自分の身にそのような話が舞い込むとは、ハイエルはかつて、ライラと婚約したときでさえ、可能性は薄いと考えていた。ティモン王か、それでなければ弟のサイモンに男児が生まれ、冠はその頭の上に与えられると、まだ当時は誰もが思っていたからだ。


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