第十二幕


「あれ? あんた……」
「ん?」
「ああ、やっぱり。ハイエル様じゃないですか」
 ようやくそれを、見つけられた。
 ハイエルが浅い瞬きで回想を断ち切ったとき、路地から出てきた中年の男が声をかけてきた。頭に異国風の巻き物をして、目元に深く影が落ちている。男はそれを片手で上げて、顔を露わにし、人の好い笑みを浮かべた。眉間に特徴的な傷がある。それがすぐに、男がいつの知り合いであったかを思い出させた。
「用水路の」
「ええ、そうです、そうです。あのときはお世話になりまして」
 合点のいった顔をしたハイエルに、男は巻き物をきつく縛り、目元が明るく覗くように被り直して頷いた。傷跡によって思い出されたことは、それほど悪く思っていないようだ。
 彼はこの辺りの店の人間で、春先に、近所の用水路が何箇所も崩れていると城へ手紙を出してきた。兵士を行かせても良かったのだが、一箇所でないということが人為的な悪戯ではないかという見解もあり、ハイエルが現地に出向いて調査を取り仕切ったのだ。彼に案内を頼み、手紙にあった場所を回って、修復のために原因を探った。あのときの男である。
「その後はどうですか。特に問題は?」
「今のところ、何も。お陰様で前と同じに使えておりますよ」
 結局のところ、原因は単なる老朽化であったのだが。長い月日の間に細かな罅割れが生まれ、そこにたまたま育った街路樹の根が地面の下でぶつかって、継ぎ目から崩れた。
 この辺り一帯に街路樹を植えようという動きがあったのが、今から二十年ほど前。同時期に植えられた木が大体同じくらいに生長を遂げたせいで、あたかも何者かの意図が隠されているかのような、揃いのタイミングで崩壊が起こったらしい。
 地図と記録を元に、変えられるところは用水路の場所を変え、方法のない場所は街路樹を撤去して用水路を修理した。実際の作業を行ったのは兵士と町の人々だが、ハイエルはその後、修理にかかる費用を町に渡してもらえるよう王に申請し、同様に壊れかかっている箇所がないか、調査のための人員を確保して、街路樹が近くにある用水路の再整備を執り行った。
 報告によれば、他にも数箇所ほど罅の深い場所があり、王からも気がかりなところはこの機会に修復するようにとの正式な指示が下りたという。元々、古くなっていることの噂されていた場所だ。一斉工事はこの地域で暮らす人々にとって悪くない結果であったようで、外観としても以前より良くなったという評判は、城にいても度々耳にしていた。
「あのときは、まさか兵士さんじゃなく、騎士様が来てくださるとは思わなかったもんで、そんな大袈裟な書き方をしたかなあ、と内心びっくりしたもんですが。迅速にやっていただけて、本当に、助かりました」
「いえ、そのような。私は、実際に作業を手伝うことはできなかったのですから」
「いいんですよ、人にはそれぞれ、立場に合った仕事があるんですから。修理費の申請なんてのは、俺たちがやるには骨が折れる仕事なんです。あんたが現場を見に来てくれて、上でそういうのを全部やってくださって、皆喜んでいました」
 いや、直接お伝えできて良かった。男がずいぶんと嬉しそうにそう言うものだから、ハイエルもそうですかと言って、言葉のままに礼を受け取った。近くの建物の裏口らしきドアから、果物屋の箱を抱えた女が出てくる。顔見知りなのか、男と挨拶をしたあと、ハイエルのほうにも会釈を残して、路地を曲がり歩いていく。
「お城の制服じゃないと、お若いから、どこの人かぱっと見には分かりませんね。あれも用水路が綺麗になったって、喜んでいたうちの一人です」
「そうでしたか。機会があったら、そう言っていただけてこちらとしても光栄です、とお伝えください」
「ははは、あんたがハイエル様だったって知ったら、さぞ驚くでしょうねえ。ぜひ伝えておきますよ」
 男が肩を揺すって笑った。巻き物に縫いつけられた金の飾りが、日を弾いてきらきらと輝く。つられたことと、眩しかったこともあり、ハイエルもそれに目を細めた。
「その格好でいらっしゃるってことは、もしかして今日はお休みですか」
「ええ」
「そうですか、それじゃ、ゆっくりなさってください」
 帽子を取る仕草でも真似るように、巻き物を軽く持ち上げ、一礼する。ハイエルも男に礼を言って軽く頭を下げ、また何かあったら連絡をください、と言って別れた。


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