第四幕


 ハイエルがその儀式に臨んでいることは、王から伝えられているはずだ。それを思えば彼女の取るであろう行動は、瞼に描くように想像できた。火に油を注ぐことになるのを内心で恐れながら、確証のないことを騒ぎ立てるのは止めてくださいと、まるで恐れなどないかのように威勢よく扉を開ける。
 それが分かっているから、ハイエルは昔から、カナリーの前ではいつもより少しだけ饒舌になるし、強気にもなる。そうして自分が先に立ってやらないと、この少女は傷つきやすいわりに真っ直ぐ突き進みすぎるのだ。
「ごめんなさい、ハイエル」
「何のことでしょう」
「……色々と。貴方を悩ませるきっかけを作ったことだとか、庇わせたことだとか。また、矛先が貴方に向きますわ」
「針の先くらいのものです。貴方が思うより、私は脆くないのですよ。……どうぞ、普段使いのもので申し訳ないですが」
 執務室のソファに腰を下ろすようカナリーを促し、ハイエルは自らも向かい側に腰かけた。
 本来であれば彼女を通すには、些か硬すぎる椅子である。だが、今このときに外で揃って話でもしようものなら、どこからいくつの目と耳が覗いているか分からない。カナリーの手前、咄嗟に大したことではないというポーズを装ったが、ハイエルにとってもこれ以上、自ら噂の種をばらまくような真似をするのは避けたいところだった。
「城に用事がおありだったのですか?」
「ええ。……もっとも、どうしようかと迷っていたところだったのですけれど」
「迷う?」
 ここならば何を話しても、そう聞かれまい。信用の置ける女中に飲み物を頼みに行くべきか控えておくべきか、当たり障りのない話を振りながら考えようとしたのだが、返ってきた答えに思わず顔を上げた。
 紅茶色の眸が、彼女が頷くのに合わせて瞬かれる。膝に両手を揃えて微笑んだカナリーに、ハイエルも少しばかり姿勢を正した。
「貴方と話がしたかったのです」
「私と、ですか?」
「はい。王様からのお話を受けて、貴方が今回のことのために、七夢渡りという大切な儀式に臨んでいると知って。そんな中で、と迷いましたが、そんな中だからこそ、手紙や伝言でない、私の正直な気持ちをお伝えしておきたいと思うのです」
 橙色の髪を、ふるりと払う。幼い頃は肩の高さで切り揃えられていたそれが、いつの間にか長くなったものだと、弧を描いていた唇が歌うように開かれるのを見つめながら、頭の片隅に思った。
「先ほどの方たちが噂していたのは、本当のことなのです。ハイエル、結婚するならば誰が良いと思うかと訊ねられて、貴方の名を最初に挙げたのは私ですから」
「え……」
「父上も王様も、私もそれが良いと思っていたと賛同してくださいましたので、まずは王様の意見という形でお伝えさせていただきました。……そうでないと貴方はきっと、絶対にありえないと思っても、その場で断ってはくださらないでしょう?」
 悪戯っぽく笑えば、浮き上がる笑窪があどけなさを強調する。だがハイエルはその表情の中に、いっそ大人びた、これまでには見せることのなかったカナリーの心配りを見た気がした。
 カナリーが自ら選んだと言われてしまえば、ハイエルは例えそれをどう思ったとしても、頭からは断れない。それは立場の都合というよりも、自分を慕って頼ってきたのであろう少女に、真っ向から恥をかかせて突き放すような真似はしたくないという、ハイエルとカナリーの間にあるごく個人的な感情から生まれるものだ。
 優しさはときに、人の判断を鈍らせる。カナリーは真っ直ぐにハイエルを見つめて、迷いのない声で言った。
「私は貴方よりずっと幼く、ましていつかはこうして、後継の話を受けることになると目に見えていた立場です。ずっと、誰に対しても容易く恋をしてはならないと思い続けてきました。ゆえに、この歳になってもまだ、私は恋がどのようなものなのか、はっきりとは知らないのです」
「カナリー様……」
「貴方のことも、離れて暮らす兄のように思ってまいりました。優しく、温かく、ただそれまでの大切な方。しかし今回、改めて訊ねられて思ったのです。確かに私は、恋の姿も愛の色もまだ知らない。でも」
 ハイエルは自分の心臓が、どくりと鳴るのを感じた。
「――ずっと、一緒にいるのなら。ハイエル、私は貴方が良いですわ」
 紅茶色の双眸が、人懐こく細められる。まるで手を取り合って中庭で遊んでいた子供の頃を思い出させるような顔で、彼女は強く、呆気なくそう言った。紫黒の眸を見開いて言葉を返すことすら忘れたハイエルに、軽やかな声で、でもね、と語る。


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