八章 -ウェストノールの風-


 カルドーラの中を突っ切るという、平時では考えられない事態だが、彼女はいつものように柔らかく微笑んだ。空いた右手で、テオの肩を掴む。そこに込められた強い力が、彼女もまた、テオの作戦に本気で同行する決意をしたのだという証拠となって伝わってきた。
「ルーダ!」
 足元に眠っていた予備エンジンを呼び起こし、テオは迫りくるカルドーラに目を向けた。飛行石が、爆発しそうなほどにその輝きを増幅させる。真っ青な光に包まれて、飛行艇は速度を一気に上げた。百五十、二百、三百。メーターが見たことのない速さで、銀色の針を動かしていく。
「ここだ!」
 吹きつける風は飛行艇が速度を増すほどに強くぶつかり、テオには一層はっきりと、その風の弱まる瞬間が掴めた。纏われた北の風を突き破って、その一瞬の隙間に滑り込む。
 ガンッと、まるで鈍器が金属を殴ったような音がした。それは強すぎるカルドーラの表面の力が、後部の飛行石を積んだ装置を打ち、回路を断ち切った音だった。ブゥン、と低く唸りを上げて二つの光が消滅する。
 ――こんな風が、いつまで続くんだ。
 レバーを前へと倒す腕ごと後ろへ追いやられそうになって、目も開けられない轟風の中、針路を見失わないようにと手に全身の力を込めて堪える。
 その瞬間、あたりが無重力になったように、体を襲うすべての圧力がなくなった。
「――――」
 テオは思わず、恐れも忘れて両目を開けた。視界の隅で翻るセネリのシルクが、ほとんど純白に戻っている。良かった、無事そうだ、と思う。自分もどこかに怪我を負った様子はない。
 周囲ではあの凄まじい風が、ごうごうと渦巻いていた。細いトンネルの中に閉じ込められたように、耳の底まで響き渡る。だが、今ここにその風はまったく吹きつけず、ゴーグルの端を掠めて止まなかったテオの煉瓦色の髪も静かに下りていた。セネリ、と呟くように名前を呼ぶ。後ろから返ってきた声は、同じように現実味を感じさせない、夢の中の音声のような響きを孕んでいた。
「風の、根」
 カルドーラの真の中心は、無風だった。周囲を轟音に囲まれているが、それはどこか一枚壁を隔てた向こう側のことのようにくぐもって、内側では声さえも一つ一つが宙へ浮かぶように反響する。上部がとても明るく光っているのが見えたと思ったが、それは飛行石の放つ青が、風の折り重なる天井に反射しているからだった。
 そこにいたのは、おそらく本当に短い瞬間のことだった。初めにシルクが激しく羽ばたいて、それの終わりを告げた。陶然としていた意識がはっと我に返り、気づいたときには機体の先端が再び、風の中を突き抜けようとしてゆくところだった。突入の際にタイミングを計ったおかげで、飛行艇は抵抗の少ない隙間の部分を抜けてゆこうと進んでいる。レバーを掴んで、機体のすべてがそこを抜け出せるよう、テオはもう一度無我夢中で速度を上げた。


- 48 -


[*前] | [次#]
栞を挟む

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -