V.星を読む人


 カリヨンの街には、月に一度祝日がある。トウミツ祭と呼ばれるもので、十と三、つまり十三日がそれに当たる。これは昔、砂糖が高価だった頃に養蜂で街が育ったという歴史に由来するもので、糖蜜祭と書いても間違いではない。今は養蜂をやっている人もほとんどいなくなったが、祭は続いている。ここ数年では蜜蜂に由来して、黄色と黒の風船を店先に括りつけたり、蜂蜜のケーキを焼いて日頃世話になっている人に配ったり、そういった行いをするのが伝統となりつつあるようだ。
 マリアの母はケーキを焼くのが非常に好きな人なので、毎月この日は店を休みにして、仕入れたばかりの果物を使ってふんだんに菓子を作る。蜂蜜のケーキはもちろんながら、せっかくの機会だからと作りたいものを何でも作っているようだ。出来上がったケーキや菓子をワゴンに乗せて商店街の顔馴染みたちに配って歩くのは、マリアの仕事になる。母の菓子作りの腕はこの辺りではなかなかに評判で、菓子はいつも自然と残らず受け取られていった。
 「マリア、午後からワゴンを出してもらうけれど、それまでは好きにしていていいわよ。パターさんの服屋も今日は値引きをするって言っていたから、どう、行ってきたら」
 手伝いを頼まれないのは、ワゴンを引く力を残しておいてもらわないと困るからという事情からであることを、マリアも十分に分かっている。なので毎月この日の午前中は、どこで何をするも自由だった。
「そうね、行ってきます。新しいエプロン、いる?」
「ううん」
大きな小麦の絵がついた袋を開けて秤を出した母の後ろをすり抜け、マリアは家を出た。そうしてそのまま、服屋とは逆の方向へ向かって歩く。
「おお、マリア。どこ行くんだ?」
「ちょっとね」
商店街の終わり、曲がり角のほうへ。祝祭の日だ、さすがに人が多い。それでもマリアは話しかけてくる人たちを適当にかわしながら、そっと人目を外れて、いつもの道へ向かった。

 古書屋に入るといつも決まって、紙の匂い、と思う。今日はノックをしたら、すぐに返事があった。本当は、こういう日のほうが多いと最近分かった。彼は存外、普通に店番をしている人だったのだ。
 「ジル」
 「おはよう、マリア。また来てくれたんだ」
 ジル、彼、ここの店主の名前である。二度目に訪れたときに訊いた。黒猫の名はノア。ノアールディアという名だが、長いのでそう呼んでいるのだという。飼い主よりも洒落た名前だ。しかし彼の名が短いせいか、二つ並べると不思議なことにしっくりときた。
 二度目。頭の中でそう繰り返してから、色々なことがあの日をきっかけに変わったと実感する。あれから二ヶ月ほど経つだろうか。マリアはもう何度ここを訪れたかなど、数えるのを辞めていた。
 「紅茶でいいかな」
 「うん。いつも出してもらってばかりでごめんなさい、今度買ってくるわね」
 「いいよ、そんなこと。僕だってたまには買い物に行かないと」
 忘れられてしまう、と。冗談めかして笑ったジルに、足元へ擦り寄ってきたノアを構いながらマリアも笑う。尻尾を撫でたが、身を翻して耳を寄せてきただけで引っかかれなかった。本当に、様々なことが変わった、とマリアは一人、奥の部屋で紅茶を淹れているジルを待ちながら思った。あの二度目のときのことが、脳裏に思い出される。


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