V.星を読む人


 ―――星。
 目の前に腰かけた人の言葉に、マリアはただ目を瞬かせるしかできなかった。テーブルには温かそうな紅茶が並べられているが、先に手をつける勇気は出ない。
 「信じられない、と言いたげな顔ですね」
 「……だって」
 疑いを隠さない眼差しで彼に訴えかければ、それも当然だとは思いますと、彼は手の中の一欠片を目の高さに掲げて言った。薄金色の、歪できらきら眩しい物体だ。マリアがあの日届けたのと同じで、そして今は、テーブルの上にも山積みにされている。
 「信じがたいですよね。―――これが、星、だなんて」
 俄かには信じがたいことだったが、彼は確かに再度、そう言った。マリアはまだ若く、耳が悪いという可能性は考えにくい。だとすれば、これは確かに星だ。少なくとも目の前の青年がそう言い切ったということに関しては、何の間違いもないだろう。
 「星読師という仕事をご存知ですか?」
 青年は静かに、自分の前のカップを傾けて言った。マリアはその響きを口の中で繰り返してから、ゆっくりと首を横に振る。星を読む師、という字を彼は指で手のひらに書いた。そんな職業、聞いたこともない。
 「無理もありません。あまり……、いえ、この国にほとんどいない仕事ですから」
 「占い師さんみたいなものですか?」
 「彼らの“読む”とは全く別物です。彼らのほうがよほど、神秘的なものかと」
 大きな街や伝統の古い村には星の動きを見て様々な事柄を読み当てる人がいる、という話を思い出して挙げてみたのだが、違ったようだ。マリアは唯一思いついたものが否定されてしまったので、それ以上は何も浮かばずに、ただ黙って続きを促した。
 「彼らの“読む”は、見通すことですよね。星を通じて情報を得る。僕たちの“読む”は、ただそのまま。星について書かれている物語を、読むことなのです。例えば」
 彼は立ち上がり、本棚の前へ行って一冊の本を取り出した。それをマリアのほうへ向けて、テーブルの上に置く。
「あ、きらきら星……」
表紙を見て、マリアが思わず呟いた。それはこの国の人間であれば誰でも知っているような、子供のときに飽きるほど語って聞かされる童話だったのだ。分厚い、字の掠れた難しい本ばかりが並んでいそうだと思っていた本棚から、こんな可愛らしい本が出てきたことに驚く。そっと手を伸ばして表紙を開くと、紙は古くなって焼けていたが、挿絵は記憶の中にあるものと変わらなかった。
「この本も、僕たちの仕事になります」
「え?」
「もちろん、これだけでなく、ここにある本は童話でも怪談でも、恋愛小説でも推理小説でも、すべて僕が仕事を終えたものばかりなのですが」
すいと、伸びてきた手が頁を捲る。童話が展開して、少年が窓の外の星を眺めるシーンが開かれた。
 彼はその挿絵に描かれている星の一つ、尾を引いて流れていく一つの星を指差して、言った。
「貴女は、この世に一体どれくらいの“星が流れる物語”があると思いますか?」
「え……?」
「数え切れないくらい。それこそ、数多の星の数と同じくらいの数が、存在しています。流れ星は、幸福なシーンにも物悲しいシーンにも、あらゆる物語のあらゆる場に描かれているでしょう」
挿絵の中の、少年を見る。彼は確かこの後、流れ星に願いをかけるのだ。明日はぼくの誕生日だから、いい天気になりますようにと。すると素早く流れていたはずの星がふいに立ち止まって、少年の三度の願いを聞き届けてから流れていったように見えた。少年は星がぼくの声を聞いてくれたというが、大人たちは笑う。しかし翌朝、空はすべての天気予報を裏切って、青く晴れ渡るのだ。そんな物語だった気がする。
 「この世界での流星は、宇宙のリズムに従って、人の意思とは無縁に流れています。例えば貴女が星を見たいと思ったからと言って、簡単に流れてはくれないでしょう?」
 「それは、もちろん」
 「そう、もちろんそうなんです。しかし物語の中で星は、決定的な展開や美しい終わりを演出するために、物語を書く人々の都合で流れていきますよね?」
 マリアは初め、彼がなんて当たり前のことを言うのだろうと思って頷いたが、すぐにあっと声を上げた。星は、都合よく流れない。それが当然のことだが、物語の中ではいつだってここぞというときに流れ落ちる。恋人たちのために、ある誰かの嘆きのために、夢を見る子供のために。だが、物語とは大概においてそういうものだ。現実よりも絶対に、過酷で美しく、世界中が最高の形で主人公を飾る。流星も、そのための材料の一つに過ぎない。
 だが彼は、きらきら星の本を閉じて棚へ戻すと、はっきりとした口調で言った。
「人間の都合で空に生まれ、呆気なく流れていく星が、この世には素晴らしい物語の数と比例して存在します。……それを拾って、救い出し、新たに星としてこの世界の空へ返す。それが、星読師の仕事です」


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